第42話:鉄壁の連携プレーと、守られた朝の聖域
ルビー色に透き通るしそジュースのソーダ割りを飲み干し、喉を鳴らしたバルトとクラウス、そしてオズヴァルトの三人が鋭い視線を向けた先――泥まみれの地面に這いつくばっていた査察使の従者長ギルバートは、青ざめた唇をワナワナと震わせていた。
「ひ、ひぃぃぃっ! た、助けてくれぇぇぇっ! 悪魔だ、こいつら全員狂ってやがるッ!」
失禁寸前で腰を抜かしていたギルバートは、地面を這いずるようにして跳ね起きると、抜き身の剣を放り出したまま、脱兎の勢いで踵を返した。四人の私兵たちも、神獣の冷気と鍛冶槌の破壊力、そして首元に突きつけられた刃の恐怖に完全に呑まれ、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ惑い始めた。
「待てッ、逃がすか!」
クラウスが剣の柄に手をかけ、追撃のために大地を蹴ろうとした。
――だが。
「クラウス殿、追う必要はありませんよ」
オズヴァルトが眼鏡のブリッジを人差し指でクイと押し上げ、冷ややかに制した。その口元には、すべてを計算し尽くした怜悧な笑みが浮かんでいる。
「外敵をただ叩き潰すだけでは、能がありません。……あの輩には、この森の過酷さと恐ろしさを骨の髄まで叩き込み、二度とこの領域に近づく気すら起きぬよう、徹底的に恐怖を植え付ける必要があります。……すでに、網は張ってあります」
オズヴァルトが指し示した木立の奥――。
そこには、森の植生を知り尽くした「小さな案内人」と、有り余る体力を誇る「新米騎士」が、息を潜めて待ち構えていた。
***
「――あっちだ! 街道へ戻るぞ! 早くしろッ!」
ギルバートは息を切らし、背後の気配に怯えながらがむしゃらに木々の間を疾走していた。
だが、彼らが踏み込んだのは、平坦な道などでは断じてなかった。
頭上の巨木の枝の上から、小鳥のような身軽さでひらりと飛び移りながら、行く先を先回りしていた少年――ルッツが、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
「へへっ、かかった! そっちの道は『茨の迷宮』だよ!」
ルッツが指笛をピィッと短く鋭く吹き鳴らす。
その合図とともに、前方の藪から巨大な人影が躍り出た。
「うおおおおおおおおっッ!! 女神様の聖域を汚した罪、その身体で償うっすよぉぉぉッッ!!」
新米騎士ヨハンだった。
十九歳の若さ、そして真昼の唐揚げと白米で限界まで満たされた無尽蔵のエネルギーが、今まさに爆発していた。
ヨハンは抜刀することすらなく、訓練用のぶ厚い木製の大型盾を構えると、まるで暴走する猪のように真正面から突進を仕掛けたのだ。
「ぎゃああああっ!? な、何だこいつはぁぁっ!?」
私兵のひとりが盾の直撃を受け、枯葉の吹き溜まりへと派手に吹き飛ばされる。
ヨハンは立ち止まることなく、盾を大風車のように振り回し、逃げ道を塞ぐようにして私兵たちを特定の方向へと追い立てていった。
ルッツが上空から小石を投げて退路を絶ち、ヨハンが力尽くの威圧で追い込む。
森を知り尽くした薬草採りと、体力だけは騎士団商船隊をも圧倒する大型犬の新米騎士。
その見事な連係プレーにより、ギルバートたちは一本の細い獣道へと誘導されていた。
そこは――森の住人すら決して近寄らない、鋭利な棘を持つ野バラと黒茨が幾重にも群生し、足元には靴を飲み込む底なしの泥濘が広がる、天然の蟻地獄だった。
「ぎゃっ!? 痛ぇっ! トゲが、服に……腕に刺さるぅぅっ!」
「足が……足が抜けねえ! 泥に引きずり込まれるぅぅぅっ!」
私兵たちの悲鳴が響き渡る。
高級な仕立てだったギルバートの紫色の従者服は無残に引き裂かれ、泥水にまみれてボロ雑巾のようになり、顔中が擦り傷と泥でぐしゃぐしゃに汚れていく。
四つん這いになり、泥水をすすりながら、命からがら茨のトンネルを這いずり抜けたギルバートたち。
ようやく木立の切れ目、砦へと続く街道の砂利道が見えた――その、瞬間だった。
――ピシリ。
空間が、凍りついた。
砂利道の中央。
逃げ出そうとしたギルバートたちの行く手を塞ぐように、ひとつの人影が音もなく立ちはだかっていた。
「……………………」
ギルバートの喉から、声にならないヒッという悲鳴が漏れた。
そこに立っていたのは――。
太陽の光を浴びて神々しくきらめく、白銀の重装甲冑。
濃紺の儀礼用マントを秋風になびかせ、手甲に包まれた右手で腰の大剣の柄を静かに握りしめた男。
シルヴァ辺境警備騎士団長、ジークフリート・フォン・ヘスラー。
その青氷の瞳は、足元に這いつくばる泥まみれの侵入者たちを、道端の小石屑を見るかのような冷淡さで見下ろしていた。
先ほど真昼の前で見せていた、耳を赤らめてお焦げを頬張っていたあの不器用な青年の面影は、微塵も存在しなかった。
全身から立ち上る、万軍を屠ってきた本物の武神の覇気。
その圧倒的な威圧感の前に、ギルバートは完全に腰を抜かし、泥の上に額を擦り付けてガタガタと震え上がった。
「だ……団長……殿……! こ、これは……その……我らはただ、森の巡回を……」
「黙れ」
地を揺るがすような、低く静かな一喝。
それだけで、ギルバートの言葉は喉の奥で凍りついた。
ジークフリートはゆっくりと一歩、前へと踏み出した。
重厚な白銀の軍靴が砂利を踏みしめる音が、ギルバートたちの耳元で死刑宣告の鐘のように鳴り響く。
「……貴様らの下劣な企みも、我が背後を嗅ぎ回る浅ましい意図も、すべて承知の上だ」
ジークフリートは鞘から大剣を、わずか三寸だけ滑り出させた。
シャリィン……と澄んだ、恐ろしいほどに研ぎ澄まされた金属音が森に響く。
青白い刀身から放たれた目に見えぬ剣気が、ギルバートのベレー帽の派手な羽飾りを、触れもせずにハラリと両断して地面へと落とした。
「ひぃぃぃぃっ……!?」
「二度と、この森に足を踏み入れるな」
ジークフリートの青氷の瞳が、絶対零度の光を放つ。
「この領域は、辺境伯領の不可侵特区であると同時に……私が我が命と誇りのすべてを賭けて守る、絶対の聖域だ。……次にその汚らわしい足で境界を越えてみろ。我が剣の名にかけて――侵入者は誰一人として生かして返さん。森の土の肥やしとする」
脅しではない。
言葉の端々に込められた、一片の容赦もない鋼の殺気。
ギルバートはもはや言葉を返すことすらできず、白目を剥きかけながら、私兵たちの襟首を掴んで悲鳴を上げた。
「で、出たぁぁぁぁぁっ! に、逃げろぉぉぉぉっ!!」
泥まみれの男たちは、履き物すら脱ぎ捨てたまま、命からがら街道の彼方へと転がるように逃げ去っていった。
二度とこの森を振り返る勇気すら、彼らの魂には残されていなかった。
***
男たちの完璧な連携プレー。
オズヴァルトの法的な壁、バルトの圧倒的な筋力、クラウスの神速の剣、神獣ベルの絶対的な威圧、そしてヨハンとルッツの野生の追撃。
何重もの鉄壁の防壁によって、真昼のログハウスの正確な位置も、そして奥納戸の押し入れゲートの秘密も、誰一人として指一本触れさせることなく、完全に、完璧に守り抜かれたのだ。
嵐の去った広場には、再び初秋の清らかな木漏れ日と、穏やかな小鳥のさえずりが戻っていた。
小道の木々の間から、誇らしげな足音が響いてくる。
「へへっ、逃げてった逃げてった! 泥だらけになって、尻尾巻いて逃げてったよ!」
「ヨハン、大声を出すな。真昼様が驚かれるだろう」
「だってクラウス副官、めちゃくちゃスカッとしましたよ! 俺の突進、完璧だったっすよね!?」
肩を並べて戻ってきたのは、額に汗を光らせたヨハンとクラウス、そして木の上から飛び降りてきたルッツだった。
広場の中央では、鍛冶槌を地面に置いたバルトと、書類を鞄に収めたオズヴァルトが、満足そうに腕を組んで待機している。
そこへ、街道から静かに歩み戻ってきたジークフリートが合流した。
白銀の甲冑の威圧感はすっかり解かれ、その金糸の髪を秋風になびかせながら、彼らはウッドデッキの前へと集結した。
その足音を聞きつけ、ログハウスの扉が勢いよく開かれた。
「――みなさんっ!!」
白い割烹着の裾を揺らしながら、真昼がウッドデッキへと駆け出してきた。
黒髪を少し乱し、その瞳には隠しきれない心配と動揺が滲んでいた。
真昼は手すりにすがりつくようにして身を乗り出し、広場に立つ男たちを見渡した。
「みなさん、大丈夫でしたか……!? 怪我は……怪我はありませんでしたか!?」
真昼の切迫した声。
自分自身が危険に晒されかけたというのに、真っ先に男たちの安否を気遣い、涙ぐみながら必死に呼びかけてくるその姿。
そのあまりの健気さに、男たちの表情が、一瞬にしてふわりと緩んだ。
「がはははっ! 何を心配してやがるんだ、嬢ちゃん!」
バルトが豪快に喉を鳴らし、丸太のような太い腕で胸板をドンと叩いてみせた。
「あんな王都の温室育ちの虫ケラども、俺とクラウスの気迫だけで小便漏らして逃げ出すような腰抜けよ! 叩き潰す価値もねえ! 虫ケラどもを森の肥やしにする前に追い払っただけだ、心配ねえよ!」
「ええ、その通りです」
オズヴァルトが人差し指で眼鏡を押し上げ、フッと知的な笑みを浮かべた。
「法的な根回しは完璧です。ギルバートの公金着服の証拠も押さえました。奴らがエドガー子爵に泣きつこうと、此度の不法侵入と横領未遂の事実を突きつければ、査察使一行は王都へ逃げ帰る以外になくなります。……真昼殿、この場所の安全性は、私の名にかけて完全に保証されましたよ」
「ルッツもヨハンも、見事な追い込みだったぞ」
クラウスが少年の頭をくしゃりと撫でると、ルッツは「えへへっ!」と胸を張り、ヨハンは「真昼さんのためなら、ドラゴンだって素手で投げ飛ばすっす!」と力こぶを作ってみせる。
そして、白銀の甲冑を着たジークフリートが、静かにウッドデッキの階段を上がってきた。
彼は真昼の目の前まで来ると、青氷の瞳をこれ以上ないほど穏やかに細め、低く、温かな声で告げたのだ。
「……真昼。約束通り、守り抜いたぞ。貴殿の聖域を、何ひとつ傷つけさせはしなかった」
「……っ」
真昼の喉が、きつく詰まった。
目の前に並ぶ、頼もしすぎる男たち。
身分も、立場も、種族すらも違う彼らが。
ただ、自分というちっぽけな元OLの平穏な日常を守るために。
あの温かい朝食の時間を守るためだけに、本気で怒り、本気で団結し、命がけで戦ってくれたのだ。
その圧倒的な絆と温もりに、真昼の目元が、じわりと熱い涙で潤んでいく。
けれど、真昼は泣く代わりに、袖口で力強く涙を拭い、満面の笑顔を咲かせた。
「……ありがとうございます! 本当に、本当に……ありがとうございます!!」
その時だった。
――グゥゥゥゥ……キュルルルルッ!
静かな森の空気に、ヨハンの腹の底から、けたたましい腹鳴りが鳴り響いた。
ヨハンが真っ赤になって腹を押さえ、バルトが「おいおい、空気の読めねえ腹だな!」と笑い飛ばす。だが、つられるようにして、ルッツのお腹も、そしてクラウスのお腹までもが小さく鳴りを潜めて音を立てた。
張り詰めていた戦闘の緊張が解け、激しい運動のあとの強烈な空腹が、一斉に男たちの胃袋を襲ったのだ。
「ふふっ! みなさん、身体を動かしてお腹が空きましたよね! ……豪華なご馳走は夕方にたっぷり作るとして、まずは今すぐ、お腹を満たせるものを作ります! ちょっとだけ待っててくださいね!」
真昼はそう叫ぶと、身を翻してログハウスの台所へと駆け込んだ。
***
戦いを終え、汗を流した男たちの身体が今、何よりも本能的に求めているもの。
それは、余計な味付けのない、胃袋にダイレクトに染み渡る炭水化物と――失われたミネラルを補給する『純粋な塩分』だった。
「急いで、でも一番美味しいおにぎりを握ろう!」
萬古焼の土鍋には、先ほど炊き上げたばかりの、出汁の効いた五目ご飯とは別に、予備として炊いておいた『新米の純白白米』が、まだたっぷりと温かい湯気を湛えて待っていた。
真昼は飯台に、炊きたての熱い白米を惜しげもなくあけた。
新米の瑞々しいデンプンの甘い香りが、湯気とともに立ち上る。
真昼が取り出したのは、現代の古民家から運んできた、特別な調味料だった。
瀬戸内海の海水から伝統的な平釜製法で作られた、結晶が粗く、甘みを含んだ『上質な粗塩』。
尖った辛さがなく、海水に含まれるマグネシウムやカリウムなどのミネラルがそのまま凝縮された、まろやかで奥深い旨味を持つ塩だ。
真昼は手水桶の冷たい湧き水に両手を浸し、掌にしっかりと水を行き渡らせた。
そして、指先に粗塩をたっぷりと取る。
手のひら全体に、ジャリッと塩の粒を擦り合わせるようにして馴染ませる。
塩を均一に掌に広げることが、一口目から最後の一粒まで、均一な塩気を行き渡らせる秘訣だ。
両手で、熱々の白米を鷲掴みにする。
――アチッ!
手のひらがジンジンと熱を帯びるが、躊躇してはいけない。熱いうちに握るからこそ、米の表面のデンプンが滑らかに膜を作り、旨味を内側に閉じ込めるのだ。
真昼は米粒を押し潰さないよう、指先でふんわりと空間を作り、優しく、リズミカルに形を整えていった。
キュッ、キュッ、と三回。
力を入れすぎず、外側はしっかりと形を保ち、内側は空気を含んで口の中でほろりとほどける、絶妙な握り加減。
男たちの胃袋を満たすため、一つひとつが子どもの拳よりもひと回り大きな、見事な正三角形の『塩むすび』が次々と生み出されていく。
仕上げに、黒板海苔。
磯の香りを凝縮させた上質な焼き海苔を、おむすびの底から両脇を包み込むようにして、ぐるりと巻く。
純白の米肌に、漆黒の帯。
大皿の上に、湯気を上げる出来立ての塩むすびが、ピラミッドのように十数個、堂々と積み上げられた。
そして、合わせる飲み物。
真昼はログハウスの冷暗所から、朝一番に仕込んでおいた大きなガラスピッチャーを取り出した。
六条大麦をじっくりと水出し抽出した、琥珀色に透き通る『冷たい麦茶』。
大きな陶器の木目カップに、カチ割りの角氷をガラガラと落とし、麦茶を並々と注ぎ分ける。
カラン、コロン……。
涼やかな氷の音が、初秋の風の中に響き渡った。
「みなさん、お待たせしました! 急ぎで握った塩むすびですけど、どうぞ!」
真昼はお盆を抱え、ウッドデッキへと運んだ。
***
「おおおおっ……! むすび飯か!!」
テーブルの上にドンと置かれた大皿を見た瞬間、男たちの目が一斉に輝いた。
湯気をもうもうと吹き上げる、純白と漆黒の三角おむすびの山。
手のひらの温もりがそのまま残るその素朴な姿から漂ってくるのは、新米の炊きたての甘い穀物香と、香ばしい海苔の磯の香り。
そして、表面に浮き出た微かな塩の結晶が、初秋の光を浴びてキラキラと輝いている。
「さあ、遠慮しないでどんどん食べてください! お茶も冷たいですよ!」
真昼の声が響くやいなや、ヨハンが両手で大ぶりのおむすびを鷲掴みにした。
熱さに息を吹きかけながら、大口を開けて豪快にかぶりつく!
――ハフッ、ジュワッ、ほろり……!
咀嚼した瞬間、ヨハンの全身が感涙に震えた。
「……………………ッッ!?」
具材など、何ひとつ入っていない。
肉も、魚も、野菜すらない。
ただの、米と塩と海苔。
それなのに――何という圧倒的な美味さか!
歯を入れた瞬間、ふんわりと結ばれていた新米の粒が、口の中で雪崩のようにハラハラと優しくほどけ散った。
そして、舌の味蕾を直撃したのは、瀬戸内の粗塩が持つ、極限までまろやかで甘みを含んだ塩気!
その塩気が、新米の瑞々しいデンプンの甘みを何倍にも、何十倍にも爆発的に引き立てていたのだ。
噛み締めるほどに、米本来の清らかな甘みが泉のように湧き出し、パリッとした海苔の豊かな磯の香りが鼻腔を心地よく吹き抜けていく。
「う……うめぇぇぇぇぇぇぇっっ!!」
ヨハンは叫びながら、二口、三口と猛烈な勢いでおむすびを貪り食った。
激しい突進と労働で塩分と水分を失っていた身体の隅々へ、米のエネルギーと塩のミネラルが、電撃のように染み渡っていく。
「な、何なんだこれ……! 具が入ってねえのに、なんでこんなに美味いんだよぉぉっ!?」
「……馬鹿野郎、米と塩が最高級だからに決まってんだろうが!」
バルトもまた、大きな手でおむすびを二つ同時に掴み、口いっぱいに頬張っていた。
豪快に咀嚼し、太い喉仏を上下させて飲み下す。
「……くぅぅぅっ! この塩加減、神業だぜ! 塩が尖ってねえから、米の甘みが際立って止まらねえ! 激しく動いた後の身体に、これ以上の馳走はねえぞ!!」
「……本当に、素晴らしいな」
ジークフリートもまた、手甲を外した素手でおむすびを手に取り、目を細めて慈しむように味わっていた。
青氷の瞳には、至福の光が満ち溢れている。
一口かじるごとに、張り詰めていた心の緊張が完全に解き放たれ、身体の底から穏やかな温もりが湧き上がってくる。
「具のない飯が、これほど深く、心を震わせるものだとは……。真昼の手の温もりが、そのまま米に宿っているようだ」
「……ええ、まったく同感です」
オズヴァルトもまた、上品に海苔の端を持ちながら、感動に眼鏡を曇らせていた。
「過剰な調味料など不要。塩と米だけで、これほど完璧な栄養補給が成立するとは……。真昼殿、あなたの握る飯には、計算や理屈を超えた力がありますね」
「ルッツ、お前も食え! 美味いぞ!」
「うん! 僕、真昼さんのおむすび大好き!」
クラウスに促され、ルッツも両手でおむすびを抱え、無邪気に頬張っている。
男たちが夢中で塩むすびを平らげていく合間に、真昼が差し出した冷たい麦茶を、ゴクゴクと喉を鳴らして煽る。
カラン、と氷が鳴る。
大麦の香ばしい焙煎香と、キリリと冷えた冷気が喉を駆け抜け、口の中を爽快に潤していく。
大皿に山盛りだった十数個の塩むすびは、男たちの凄まじい食欲の前に、あっという間に最後の一粒まで綺麗に平らげられたのだった。
***
「……ぷはぁぁぁぁぁっ! 生き返ったぜ!」
空になった大皿を前に、バルトが満足そうに腹をさすりながら笑った。
ヨハンも、クラウスも、オズヴァルトも、ルッツも、全員が満ち足りた笑顔を浮かべ、ウッドデッキの心地よい木漏れ日の中で寛いでいる。
そこには、先ほどまでの殺伐とした気配など微塵も残っていなかった。
ジークフリートは、真昼の隣に静かに歩み寄った。
白銀の甲冑の肩越しに、初秋の爽やかな風が吹き抜けていく。
彼は真昼の澄んだ瞳を真っ直ぐに見つめ、静かに、だが深い実感を込めて呟いた。
「……真昼」
「はい、ジークさん」
「……我が剣で守るべきものは、やはりここにある。……王都の虚飾など、この一杯の麦茶と、ひとつの塩むすびの温もりに遠く及ばぬ」
ジークフリートの口元に、迷いのない、極上の笑みが浮かんでいた。
その瞳の奥には、これから訪れるであろう査察使エドガー子爵との最終対決に向けて、絶対に揺らぐことのない不動の覚悟が宿っていた。
足元では、真昼から削りたての極上鰹節をもらった神獣ベルが、ウッドデッキの中央で誇らしげに胸を張り、青空を見上げて「わふっ」と高らかに一声鳴いた。
木々がざわめき、初秋の光がふたつの世界を結ぶ小さな小屋を、黄金色に包み込んでいく。
男たちの見事な連携プレーによって守り抜かれた、朝の聖域。
塩むすびの素朴な温もりを胸に抱き、仲間たちの絆は、どんな不条理な嵐をも跳ね返す不落の盾となって、確かな勝利への道を切り拓いていたのだった。




