第31話:現代文明のシールドと、爽快リフォーム大作戦
森の緑が、本格的な夏の熱気を孕んで濃密に波打っていた。
先日の財務官オズヴァルトの来訪以来、このログハウス一帯はシルヴァ辺境伯領財務部直轄の『辺境警備特別保全補給拠点』という大仰な名目を手に入れ、法的な安全は完全に確立されていた。王都からの怪しげな詮索も、中央貴族の干渉も、オズヴァルトが張り巡らせた分厚い書類と予算の結界によって完全に遮断されている。
外敵からの脅威が去り、平穏そのものとなったはずの小さな小屋。
――だが。
季節の移ろいとともに、真昼の前にまったく別の、そして極めて厄介な「新たな侵略者」が立ちはだかっていた。
――ブゥゥゥン……。
――チチチチ……プーン……。
「……っ、もう! また入ってきた!」
ログハウスのリビングで、真昼は丸めたチラシを片手に、眉をひそめて宙を睨みつけた。
初夏を過ぎ、日中の気温がぐんと上がり始めた頃から、森の湿地や木立の奥から湧き出すように発生し始めた、無数の小さな羽虫たち。
日本のブヨやヌカカによく似た、米粒よりもさらに小さな微細な虫――この世界では『銀針虫』と呼ばれるその羽虫は、森の清流や腐葉土を住処にし、動物や人間の体温と二酸化炭素を敏感に察知して群がってくるのだ。
毒性こそ低いものの、肌の露出した部分をチクリと刺されると、後から猛烈な痒みと赤みが数日間にわたってぶり返す。
何より、朝の静かなテラスや、涼しい風を通そうと開け放った小屋の窓から、遠慮なしに無数に飛び込んでくるのが耐えがたかった。
「くぅ……ん」
足元では、純白の神獣ベルが、三角形の小さな耳をパタパタと忙しなく動かしながら、不快そうに鼻を鳴らしていた。
神獣の清らかな神気であっても、悪意なき自然の羽虫を一網打尽にするわけにはいかないらしい。ベルの周囲を飛び交う羽虫に対し、前足を空中で素早く振って「ぺしっ」と叩き落とそうとしては空を切り、悔しそうに唸り声を漏らしている。
「ベルも鬱陶しいよね……。せっかくの朝ごはんの時間が、虫との戦いになっちゃうのは絶対に嫌!」
真昼は腕組みをし、部屋の素朴な木製窓を見つめた。
ログハウスの窓には、頑丈な木の雨戸と、ガラス風の半透明な鉱石板が嵌め込まれた窓枠がある。だが、それらを閉め切ってしまうと、かまどの排熱も手伝って室内はたちまち蒸し風呂のような熱気に包まれてしまう。
風は通したい。森の清涼な空気は胸いっぱいに吸い込みたい。
けれど、虫の一匹たりとも室内には入れたくない――!
「……よし。文明の利器を調達しに行こう!」
元・限界OLの快適化魂が、メラメラと燃え上がった。
真昼は奥納戸の押し入れゲートをくぐり、現代の古民家へと戻ると、迷うことなく軽トラックのエンジンをかけた。
***
山あいの道を軽快に走り抜け、真昼がやってきたのは、いつもの大型ホームセンターだった。
平日の午前中、広大な店内にはプロの職人やDIY好きの買い物客がまばらに歩いている。
真昼は大型カートを引き、迷わずリフォーム・建具資材コーナーへと直行した。
「あった……! これこれ!」
棚一面に並んでいたのは、様々な網目の細かさを持つ『張り替え用網戸ネット』のロールだった。
一般的な十八メッシュや二十メッシュでは、異世界のあの米粒以下の微細な銀針虫はすり抜けてしまうかもしれない。
真昼が選んだのは、プロ仕様の『二十六メッシュ・極細防虫ネット』の特大ロール(長さ三十メートル)。
一本の糸が極めて細く、光の透過性を妨げないブラックカラーでありながら、網目の隙間は一ミリ以下。これならば、風通しを最高レベルに保ったまま、いかなる微細な羽虫の侵入も物理的に百パーセント遮断できる。
さらに、木枠に直接貼り付けるための『屋外用・超強力防水両面テープ』を五巻き。
ネットを木枠にガッチリと留めるためのプロ用ハンドタッカー(建築用大型ホッチキス)と、錆びにくいステンレス製の替針を三箱カートに放り込んだ。
続いて、園芸・アウトドアコーナーへ。
物理的な網戸のシールドに加え、真昼は「化学的・嗅覚的なバリア」も構築する腹づもりだった。
真昼がカゴに入れたのは、天然由来の防虫成分を凝縮したアロマグッズの数々。
虫が本能的に嫌がるシトロネラとレモングラスの精油を練り込んだ、ガラス容器入りの『アウトドア用アロマキャンドル』を六個。
そして、日本の伝統的な天然防虫剤の最高峰――北見産の純度百パーセント『天然ハッカ油』のボトルと、アルコール除菌スプレーの空ボトル。
さらに、ディートなどの強力な化学薬品を使わず、ユーカリや薄荷の天然精油だけで作られた、肌にも環境にも優しいオーガニック防虫スプレーを大量に仕入れた。
「これで防虫対策は完璧! ……次は、今日の美味しいご飯の調達!」
ホームセンターの隣にある大型スーパーと業務スーパーをハシゴする。
夏の暑さを吹き飛ばし、身体の熱を優しく冷ましてくれる料理。
青果コーナーで真昼が厳選したのは、初夏の太陽を浴びて丸々と太り、皮がピカピカと黒紫色に光る、実の引き締まった極上の『米ナス』。
濃い緑色が瑞々しい『ピーマン』。
真っ赤に完熟した小ぶりの『完熟トマト』。
そして、涼やかな香気とシャキシャキの歯ざわりがたまらない、新鮮な『みょうが』を四パック。
さらに米コーナーで手に入れたのは、食物繊維が豊富でぷちぷちとした食感が楽しい『押し麦(大麦)』の大袋だった。
「よしっ、全部揃った!」
軽トラの荷台に満載の資材と食材を積み込み、真昼は意気揚々と古民家へと引き返した。
***
古民家から押し入れゲートを通じて物資を運び込んだログハウスのキッチン。
真昼はまず、リフォーム作業の前に、今日のごはんの「仕込み」を終わらせることにした。
今日の献立は、夏の日本の食卓の王様――キリッと冷やした『夏野菜の揚げ浸し』と、ぷちぷちの食感が香ばしい『麦飯』だ。
「揚げ浸しは、作ってすぐに食べるより、一度冷暗所でキンキンに冷やして、出汁を芯まで吸わせた方が何倍も美味しいんだよね」
まずは、土鍋で炊く麦飯の準備から。
研いだ白米二合に対し、押し麦を一合。麦が水を多く吸うため、水加減は通常の三合分よりもわずかに多めに合わせる。ジークフリートが汲んでくれた精霊の湧き水に浸水させること三十分。
バルト特製の二連かまどの右側の火床、熾火の熱を使って、萬古焼の土鍋でコトコトと炊き始める。
続いて、夏野菜たちの下拵えだ。
バルトが研ぎ澄ましてくれた燕三条製の三徳包丁を握り、まな板の上で野菜を切り分けていく。
ナスはヘタを落とし、縦半分に割ってから、皮の表面に斜めに細かく、一ミリ幅の格子状の切れ目を入れていく。
この『鹿の子包丁』を入れることで、熱い油が一瞬でナスの中心まで通り、皮の鮮やかな紫紺色が褪せることなく美しく発色する。何より、後から浸す出汁がスポンジのように染み込むのだ。水にさらしてアクを抜き、清潔なキッチンペーパーで水分を徹底的に拭き取る。
ピーマンは種とワタを取り除いて一口大の乱切りに。
トマトは湯剥きをして皮をつるりと剥き、丸ごと出汁に漬け込めるようヘタの周りに十字の切れ目を入れる。
みょうがは縦半分に割り、爽快な断面を露出させる。
そして、味の決め手となる『特製浸し出汁』の調合だ。
小鍋に、水出しにしておいた濃厚な利尻昆布と本枯節の一番出汁を四百ミリリットル。
そこへ、本みりん大さじ三、薄口醤油大さじ三、濃口醤油大さじ一、純米酒大さじ一、そしてきび砂糖を小さじ一杯。
ひと煮立ちさせてアルコールを飛ばし、火を止めておく。
出汁のふくよかな香りと、醤油のまろやかな香気が台所を満たす。
「さあ、一気に素揚げしていくよ!」
二連かまどの左側の火床を強火にし、中華鍋に注いだたっぷりのサラダ油を百八十度まで熱する。
まずは、ナスから投入。
――ジュワァァァァァッッッ!!
激しい快音とともに、油の気泡がナスの皮を包み込む。
強火の油で一気に揚げることで、ナス自身の水分が閉じ込められ、外側はキュッと引き締まり、内側はとろけるようなスフレ状へと変化していく。皮がエメラルドと紫が混ざり合った宝石のような輝きを放った瞬間、網じゃくしですくい上げる。
熱々の油をまとったナスを、躊躇なく、用意しておいた浸し出汁の深鉢の中へと直接落とし入れた。
――ジュッッッ……!
熱いナスが、冷たい出汁を一気に吸い上げる歓喜の音が響く。
続いて、ピーマンを数十秒だけサッと素揚げ。油通しされたピーマンは、青臭さが消え失せ、鮮やかな濃緑色へと覚醒する。これも出汁へ。
トマトとみょうがも、油の中を数秒だけくぐらせてから出汁の中へ投入した。
「よしっ……これを、冷暗所で冷やす!」
深鉢の底には、出汁に浸かった色とりどりの夏野菜たち。
紫のナス、緑のピーマン、真っ赤なトマト、淡い紅色の薄桃色のみょうが。
真昼は深鉢にラップをかけ、ログハウスの北側にある冷涼な床下収納庫へ。さらに、古民家の冷凍庫から運んできた保冷剤と氷水を敷き詰めたタライの中に深鉢を浮かべ、急速に熱を奪っていく。
冷やされる過程で、出汁の旨味と塩分が、野菜の細胞の奥深くまでぎゅっと浸透していくのだ。
***
「おはよう、真昼」
ちょうど仕込みを終えた頃、テラスの扉が開き、ジークフリートが姿を現した。
今朝もすでに薪割りを完璧に完了させた彼は、糊のきいた真っ白なリネンエプロンをきっちりと身につけていた。
だが、その彫刻のように整った眉間には、微かな苦渋の皺が刻まれていた。
手甲を外した右手をせわしなく動かし、首筋のあたりを鬱陶しそうに払っている。
「……森の奥の銀針虫が、ここ数日で急激に増殖しているな。活動服の隙間から侵入され、朝の鍛錬中も集中を乱される。……真昼、貴殿は刺されていないか?」
「大丈夫ですよ! ……でも、ジークさん、ちょうどよかった。今朝はね、朝ごはんを食べる前に、ちょっとしたリフォーム大作戦を手伝ってほしいんです!」
「りふぉーむ……?」
聞き慣れない単語に、ジークフリートが青氷の瞳を瞬かせる。
真昼はウッドデッキの上に、ホームセンターから運んできたロール状の網戸ネットと、強力両面テープ、ハンドタッカーを並べてみせた。
「これです! 私の世界で使われている『網戸』っていう防虫ネットなんです。これをログハウスの窓枠に取り付ければ、窓を開け放っても、あの小さな虫が一匹も入ってこなくなるんですよ!」
「な……何だと?」
ジークフリートは目を見張り、膝をついて網戸ネットのロールを手に取った。
彼の長い指先が、黒い極細メッシュの表面を撫でる。
「……信じられん。繊維の一本一本が蜘蛛の糸のように細いのに、鉄線のように強靭だ。そしてこの網目の緻密さ……これならば、確かにあの微細な銀針虫とて通過することは不可能……! 魔導具でもないのに、これほど均一に編み上げられた防壁が存在するとは……」
「ふふ、日本の工場技術の結晶ですからね! ジークさん、窓のサイズに合わせてこのネットを木枠にピンと張りたいんですけど……手伝ってもらえますか?」
「任せてくれ」
ジークフリートの青い瞳に、歴戦の指揮官のような凄まじい闘志が宿った。
彼は白エプロンの両袖を捲り上げ、逞しい前腕の筋肉を露出させると、真昼から差し出された金属製の巻尺を手に取った。
そこからのジークフリートの作業ぶりは、まさに「神速の職人技」だった。
「窓枠の内寸、縦八十二センチ、横五十四センチ。……四方の歪みは一ミリ未満。木枠の狂いはない」
かつて大根の面取りをミリ単位で完璧にこなした男だ。
ジークフリートは燕三条の三徳包丁を定規代わりに当て、網戸ネットを刃先で滑らせるように一瞬で切り分けた。切り口にはほつれひとつない。
続いて、窓枠の外周に強力防水両面テープを寸分の隙間もなく貼り巡らせる。
ネットを端から当て、ジークフリートが両手で絶妙なテンション(張り)をかけながら引っ張る。
たるみも、波打ちも一切ない。
太鼓の皮のようにピンと張り詰められたネットの上から、真昼がハンドタッカーを押し当てた。
――バチンッ! バチンッ! バチンッ!
小気味のいい金属音が響き、ステンレスの針がナラの木枠へと吸い込まれるように打ち込まれていく。
わずか十五分。
ログハウスの三箇所の窓すべてに、完璧な網戸が装着された。
外から見ても、まるで何も張られていないかのように透明度が高く、だが指で弾けば「ポーン」と小気味よい音が鳴るほどの強固なシールド。
「すごい……! ジークさん、完璧すぎます! 建具職人さんになれますよ!」
「……軍陣において、防壁の設営や天幕の補修は基本教練に含まれているからな。これしきの作業、造作もない」
真昼に絶賛され、ジークフリートは耳の先端をほんのり赤らめながら、満足そうに顎を引いた。
「仕上げは、これです!」
真昼は窓辺の棚の上に、シトロネラとレモングラスのアロマキャンドルをふたつ並べ、マッチで火を灯した。
ゆらゆらと揺れる小さなオレンジ色の炎。
そこからふわりと立ち上ったのは、レモンに似た鮮烈な柑橘の香りと、甘く爽快なハーブの薫香。
さらに、窓枠の隙間に、天然ハッカ油を精製水で薄めたスプレーをシュッシュッと一吹きする。
――サァァッ……。
瞬間、部屋全体を突き抜けるような、氷のように清涼なミントの香りが駆け抜けた。
その効果は、劇的だった。
開け放たれた窓の外。
匂いに誘われて集まりかけていた銀針虫の群れが、ハッカとシトロネラの香気に触れた瞬間、まるで目に見えない壁に弾かれたかのように、パニックを起こして一斉に旋回し、蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去っていったのだ。
窓からは、初夏の森を渡る涼しい風だけが、ハーブの香りを乗せて心地よく室内に吹き込んでくる。
羽音ひとつ聞こえない。虫の侵入はゼロ。
「……素晴らしいな」
ジークフリートは窓辺に立ち、大きく深呼吸をした。
青氷の瞳が、驚嘆に揺れている。
「外の清涼な風をそのまま室内に取り込みながら、害虫の侵入を完璧に防ぎ、しかも部屋中が清々しい香気で満たされている。……まるで、高度な風の結界魔法を展開したかのようだ。貴殿の知恵には、いつも驚かされる」
「ふふ、これで虫刺されを気にしないで、思い切り美味しい朝ごはんが食べられますよ!」
真昼が満面の笑顔で告げると、足元にいたベルが「わふっ!」と嬉しそうに飛び跳ねた。
***
爽やかなハッカの風が吹き抜けるログハウスの中央、丸太の円卓。
そこへ、真昼がキリッと冷やされた朝食を並べていく。
藍色の平鉢に盛られた『夏野菜の揚げ浸し』。
氷水で芯まで冷やされた野菜たちは、出汁をたっぷりと吸い込み、初夏の陽光を浴びて宝石のように照り輝いている。
紫紺のナス、鮮やかな緑のピーマン、ルビーのような完熟トマト、そして涼やかな薄桃色のみょうが。
琥珀色の澄んだ出汁の上には、仕上げに削りたての本枯節がふんわりと山盛りにあしらわれ、微かな風にゆらゆらと踊っていた。
隣の萬古焼の土鍋の蓋を開けると、ふわりと立ち上ったのは、どこか香ばしく素朴な穀物の湯気。
炊き上げられた『麦飯』は、純白の白米の合間に、真ん中に黒い筋の入った大麦の粒がたっぷりと顔を覗かせ、艶やかに光っている。
そして、小鉢には、ジークフリートの大好物である豆腐とわかめの合わせ味噌汁。
「お待たせしました! キリッと冷やした夏野菜の揚げ浸しと、麦ご飯です!」
「……いただきます」
ジークフリートは背筋を伸ばし、手を合わせると、迷わず箸を大鉢の中央――艶やかなナスへと伸ばした。
細かく鹿の子包丁が入れられた、肉厚の米ナス。
箸で挟んだ瞬間、指先に伝わってきたのは、驚くほどの柔らかさと、ずっしりとした水分の重み。
大口を開け、冷たいナスを一口で頬張る。
――ジュワァァァァァッッッ!!
刹那。
ジークフリートの青氷の瞳が、カッと見開かれた。
噛む必要など、どこにもなかった。
素揚げされてトロトロになった果肉が、舌の上でほろりと崩れた瞬間――内側に閉じ込められていた、信じられないほどの量の冷たい出汁が、口いっぱいに洪水となって溢れ出したのだ!
(な……何だ、この瑞々しさは……!?)
昆布のまろやかな甘みと、本枯節の深く香ばしい薫香。
そこに、素揚げされた油の甘みとコクが絶妙に溶け合い、冷たさによって輪郭を研ぎ澄まされて舌全体を包み込む。
ナスの果肉そのものが、極上の出汁ジュースを抱え込んだスポンジと化していた。
冷たいのに、油の嫌な重さは微塵もない。
すかさず、茶碗の麦飯を箸ですくい、口の中へとかき込む。
――ハフッ、プチッ、モチッ……!
「……っ! 米の食感が……違う……!?」
ジークフリートの喉が鳴った。
ふっくらとした白米の甘みの中に、大麦のぷちぷちとした力強い弾力が弾ける。
噛むほどに香ばしい麦の香りが広がり、ナスの溢れる出汁と脂を完璧に受け止めていく。
続いて、素揚げされたピーマンへ。
サクッとした歯ごたえとともに、油でコーティングされた甘みが広がり、苦味が心地よいアクセントとなって後味を引き締める。
そして、丸ごとの完熟トマト。
箸で割ると、ジュワリと溢れ出す甘酸っぱい果汁が出汁と混ざり合い、信じられないほど爽快なマリアージュを生み出す。
極めつけは、みょうがだ。
シャキシャキとした食感とともに、鼻腔を突き抜ける鮮烈な薬味の芳香。口の中に残っていた油分を一瞬でリセットし、再び新たな一口への食欲を爆発させる。
「……美味い……ッ! 野菜が、出汁そのものになっている……! 冷たいのに、素揚げの油のコクがしっかりと米を呼ぶ……! そしてこの麦の入った飯、噛むのが楽しくなるほど香ばしい……!」
ジークフリートの箸は、もはや止まることを知らなかった。
ナスを頬張り、麦飯をかき込み、トマトを崩し、冷たい出汁を木のスプーンですすり、温かい味噌汁で喉を潤す。
あっという間に一杯目の麦飯が消え去り、
「……真昼、すまない。おかわりを……!」
「はいっ、まだまだたっぷり炊いてますよ!」
結局、ジークフリートは山盛りの麦飯を実に三杯、大鉢いっぱいにあった夏野菜の揚げ浸しを、最後の一滴の出汁まで綺麗に平らげたのだった。
***
「ふはぁぁぁ……っ……」
空になった茶碗を置き、ジークフリートは深く、満足げな息を吐き出した。
窓から吹き抜けてくる初夏の風が、彼の汗ばんだ首筋を優しく撫でていく。
網戸の向こうの森では、木々が青空の下で力強くざわめいているが、室内には不快な羽音ひとつ響かない。
漂うのは、アロマキャンドルの微かなシトロネラの香りと、ハッカの清涼感、そして出汁の温かな余韻だけ。
「……信じられんな。窓を開け放ちながら、これほど静かに、虫の煩わしさを一切感じずに朝食を堪能できるとは……。我が公爵家の本邸ですら、夏場はこれほどの安らぎは得られんぞ」
「ふふっ、大成功でしたね! ジークさんが綺麗に網を張ってくれたおかげですよ」
真昼が嬉しそうに笑いながら湯呑みを差し出すと、ジークフリートは照れくさそうに口元を緩め、両手で湯呑みを受け取った。
足元では、真昼から削りたての極上鰹節をもらったベルが、網戸から差し込む涼しい風を浴びながら、満足そうに丸くなって目を細めている。
現代の知恵と技術で築かれた、完璧な防虫のシールド。
そして、出汁の染み渡った冷たい夏野菜と、香ばしい麦飯。
夏の厳しい森の自然をものともせず、ふたつの世界を結ぶ小さな小屋の食卓は、またひとつ、心地よくてあたたかな進化を遂げていたのだった。




