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聖女様がいらしたので、身代わりはもう不要だそうです。では、十年分の呪いをお返ししますね。  作者: 堀吉 蔵人
第3部

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第78話 私の仕事のお代


 ユリアさんは、私のお代を右手で渡してくれた。

 硬貨を一枚落としかけ、左手で受ける。それから少し恥ずかしそうに笑った。


「縫えたら、何でも前のようにできる気になってしまって」

「少しずつ、お確かめください」


 先にお伝えした通常の解呪代を受け取り、控えをお渡しした。

 娘さんが、これは先生の処置のお代ね、と母親へ確かめた。ユリアさんはうなずいて、ほかの紙と重ねずにしまった。

 レオンさんへ払った手配分のことは、まだ残っていた。

 私は、お帰りになる前に少しお話しできるか伺った。母娘には休める椅子へ移ってもらい、先にレオンさんと向かい合った。

 彼は部屋の窓を開け、通りの音を入れてから、私を見る。


「会場の主人には、今日の延長を了承してもらいました。鍵を返しに行った方の診察もできます」

「ありがとうございます」

「毎回、こうはいきません」


 その声には苛立ちがあった。

 私は椅子へ座った。自分の手を見下ろすと、細い糸を支えていた指が少し疲れていた。


「先ほどは、私も強く申し上げました」

「私が、患者を追い出そうとしたように聞こえました」


 彼は椅子を引かずに立っていた。


「紹介するだけなら、名前をお渡しすれば済みます。けれど、ここを借り、先方へ連絡し、来る時刻を揃え、待つ方へ説明するのは、名前を渡すだけではできません」

「はい」

「一人延びれば、その後ろの方全員へ話し直します。部屋も余分に借ります。先生の処置が丁寧なほど、何もしていない時間が増えるわけではないんです」


 私は、窓の外へ目をやった。

 迎えの車が通り過ぎた。そこへ乗る人の時刻も、戻る約束も、私が糸を見ている間に誰かが合わせていた。

 レオンさんが、その全てを私に押しつけたことはなかった。


「何もなさっていないとは、思っていません」


 私は彼へ向き直った。


「ただ、処置の途中で急げと言われても、なくせない手間がございます。今日の方の糸は、上から見える端を引くだけでは解けませんでした」


 私は机に自分の両手を置いた。

 指を重ね、隠れるところを示す。糸の詳しい記録や、患者の名を出す必要はなかった。


「ここを支えたまま、下を確かめました。急ぐために指を離せば、見つけた端まで戻ってしまいます。次の方に早く会うためにも、ここは省けません」


 レオンさんが、私の手を見た。


「初めから、長く掛かると分かるものでは?」

「診て見当がつくことはあります。それでも、手を入れてから分かるところがございます」


 彼がようやく椅子を引いた。


「では、短い仕事ばかりにすれば」

「それも、診る前にはお約束できません」


 彼は口を閉じた。

 私も、すぐに次の説明を重ねなかった。

 ユリアさんの手を、面倒だからと候補から外すことはしたくなかった。あの一針が縫えるところまで、私は自分で引き受けたかった。


「診察と処置を、必ず続けて入れないようにできますか」


 しばらくして、私から尋ねた。


「診察のあとで処置の見込みをお伝えします。先にお待ちになる方には、今日できると決めずにご案内いただきたいです」

「来てから別の日だと言われるのは、嫌がられますよ」

「はい。その方が待てるかも、最初に伺ってください。私も、受けられる範囲を曖昧にいたしません」


 レオンさんはしばらく考え、予定表を開き直した。


「面談の時刻をまとめて、処置の時間は先生の返事を受けてから。会場の空き方次第ですが、次はその組み方を試せます」


 私は、机に置いた手を下ろした。

 言い合った相手から、具体的な方法が出てきたことに、少し驚いていた。


  ◇


 ユリアさんの控えと、レオンさんの持つ控えを並べた。

 支払ったのは、今回の面談を手配するための前金だった。実際に手配が済んだ分と、使わずに残った分がある。早い時刻の調整を頼む場合の追加料金は、その下に別に載っていた。

 娘さんは、紙のいちばん上を指した。


「ここに先生のお名前があるでしょう。そのすぐ下に金額があったから、私は先生へ払うお金だと思いました」

「処置代は別と、下に書いてあります」


 レオンさんが答えた。

 娘さんの頬が、少し赤くなった。


「読み落としたのは、私です。でも、追加分を払わないと先生に会えないようにも見えました」


 ユリアさんが娘を止めようとした。

 私は先に、レオンさんへその紙を向けた。


「私も、最初に見た時には処置代の一部かと思いました。私の名の下へ置くなら、何のお代か、同じ大きさで書いていただけますか」


 彼は、二枚の控えを見比べた。

 日付も、受け取った額も合っていた。隠された支払いが出てきたわけではない。それでも、この紙を握ってもう会えないと思った人が、目の前にいた。


「面談手配料、と上に入れましょう。先生へお支払いいただく分は、先生からの説明に分けます」


 レオンさんは、筆を取った。


「追加の手配についても、今日のお二人には不要でした。今後の先生へのご相談は、優先料を増やす扱いにはせず、待てる日時を伺います」


 私はその文面を見た。

 大市の企画でも、私が会うと決めた人を、追加の金で後ろへ送らない。これから用意する案内も、渡す前に私へ見せてもらう。

 レオンさんは分かったと答え、書き直した控えを母娘へ渡した。

 使われなかった手配分は、彼がユリアさんへ戻した。

 私は、自分のお代を取り出さなかった。


「これで、布を買う分が残ったわ」


 ユリアさんが小声で言った。

 娘さんは、母親の袖を引いた。


「布はもうあるでしょう。まず、帰りに何か食べましょうよ」

「そうね。今日は、そうしましょう」


 母娘が立ち上がると、レオンさんは帰り道の車を使うか尋ねた。ユリアさんは娘と歩けると答え、戸口でもう一度、右手を開いて見せた。

 私は二人を見送り、部屋へ戻った。


  ◇


 次の方が戻るまで、少し時間があった。

 レオンさんは会場の主人へ話すため席を外し、マリエラさんが窓辺で水を飲んでいた。私は隣の椅子へ腰を下ろした。


「外のお話、助かりました」

「鍵をお返しする方は、待ちたくないのではなく、何時までここにいてよいかが分からなかったそうです」

「私には、そこまで伺えませんでした」


 彼女は椀を置いた。


「私も、先生の手元を見ていたかったです」


 胸が少し痛んだ。

 すぐ、次は外へ出なくてよいと言いそうになったが、マリエラさんは笑って首を横へ振った。


「でも、あの方が、一針縫えたと教えてくださいました。次は、どこをほどいたのか、あとで図を見せてください」

「はい。今日のうちに」


 私は約束した。

 彼女の役目を、外へ返事に行くことだけにしてはいけないと思った。

 戸の外で、別の人の声がした。


「今日は無理でも、明朝の最初でどうだろう。支払いは増やしていい」


 戻ってきたレオンさんと話しているらしかった。

 私は顔を上げた。マリエラさんも、椀から手を離した。


「先生の承諾していない順番は、お売りできません」


 レオンさんの声がした。


「お急ぎの理由は伺います。診察の相談をして、可能な時刻をご連絡しましょう。追加のお代だけ先にいただくことはいたしません」


 相手は少し不満そうに何か言った。

 レオンさんは、もう一度同じ返事をした。

 私は、戸を開けなかった。

 先ほど決めた扱いが、私の見ていないところでも使われた。それだけのことが、思っていたより嬉しかった。


 その日の仕事を終えてから、会場と紹介の費用を確かめた。

 差し引いたあとにも、自分が働いた分のお金が残った。マリエラさんに手伝ってもらった分も、そこから分けた。

 袋は、来た時より重かった。私はその重さを確かめた。借りたものを預かる時のような、落ち着かない感じはなかった。

 袋の口を結び、自分の鞄の内側へしまいながら、ユリアさんの針を思い出した。

 誰かに喜ばれたのだから、自分には要らないとは思わなかった。このお代で、また仕事へ来られる。帰る部屋にも、私の使う道具にも払える。


「先生」


 レオンさんが、新しい一枚を差し出した。


「ご相談があります。ダリオさんという商人です。出張と、必要な時間のお代をきちんと持てる方で、まず先生に診ていただきたいと」


 私は紙を受け取った。

 病状を詳しく聞く前に、受けるとは言わなかった。けれど、読む手は早かった。

 もう一件、自分の手を使いたかった。


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