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聖女様がいらしたので、身代わりはもう不要だそうです。では、十年分の呪いをお返ししますね。  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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第64話 裁きの前に

 

 会所の広間には、いつもより多くの椅子が並んでいた。

 ミーナさんは席につくと、持ってきた布包みを膝へ載せた。エーリクさんは隣へ、エッダさんは私の向かいへ座る。ゲルトさんの席は、長い机を挟んだ反対側だった。

 七日前、代官の出張所で約束した回答の日だった。

 ヴァイス伯爵は、用意された納入表へ目を通していた。私たちが名乗ると、まずエーリクさんへ顔を向けた。


「隣領へ移るとなると、ここにある分のうち、どれだけが納められなくなる」


 エーリクさんが返事をする前に、ミーナさんが包みをほどいた。

 織った布を、納入表の脇まで広げる。伯爵の手へは触れないところで、端を止めた。


「これを作る手のことから、聞いていただけませんか」


 広間が静かになった。

 伯爵は布を見たあと、代官へ目をやった。代官が口を開きかけたが、ミーナさんは夫を見ていた。


「俺の手が震えていた頃は、縁を揃えるだけで、一日が終わることがありました」


 エーリクさんが言った。

 磨かれた机の上に、荒れた指が置かれていた。指の爪に、糸の細かな埃が残っている。


「別の買い手も探したいと話したあとでした。娘に教えようとしても、同じ失敗をする。仕事が遅れた分は、家で夜までやり直しました」


 ゲルトさんが椅子の背へもたれた。

 次に、エッダさんが右手を机へ置いた。袖が引っ掛かり、左手で直す。


「私は、働いた分のお賃金を尋ねました。いつ払っていただけるかと。その時に言い争いになって、あとから、道具を持つ手が」


 声が途切れた。

 私は代わりに答えず、水の椀を届くところへ動かした。エッダさんは椀を見て、もう一度、伯爵へ顔を向けた。


「震えるようになりました。今も、右では筆が持てません」


 伯爵が書記を振り返った。


「今の二人の話から、記録してください。納入量は、そのあとでよい」


 書記が新しい頁を開いた。

 私は本人たちが提供を認めた記録について説明した。エーリクさんの糸は、解いてすでに消えている。エッダさんには別の糸があり、発症はエーリクさんを治すより前だった。

 読み取った言葉と名、診た日、処置の有無を、書記が繰り返す。

 ゲルトさんは、その筆を見ていた。


「その方が読んだというだけで、私の納入まで疑うのですか」


 代官が、脇にあった書類を手元へ引いた。


「納入については、こちらを確かめます」


 私は記録の説明を終え、椅子の背から離していた肩を下ろした。


 ◇


 ミーナさんは、二枚の納品受領書を出した。

 何度も開いてきた折り目が、白くなっていた。書記が品と受領日を読み、ゲルトさん側の記録と照らす。


「どちらも、品物は受け取っていますね」

「受け取っています」


 ゲルトさんは短く答えた。

 代官は、領主側の精算書を開いた。そこには、その二口を職人へ支払ったものとして、費用を精算した記載があった。

 ミーナさんは、自分の支払台帳を開いた。


「うちへは、入っていません」


 代官が、精算の済んだ日を口にした。

 ミーナさんはその日の前後まで見せた。ほかの仕事で受け取った代金は記されている。二口の欄は、支払期日を過ぎても埋まっていなかった。


「先日の荷を受け取らなかったことを、恨んでいるのでしょう」


 ゲルトさんが言った。

 エーリクさんの膝が動いた。ミーナさんは夫を見るより先に、二枚の紙を指した。


「こちらは、その前に渡した布です。荷車が積まずに行った新しい分とは、違います」


 拒まれた荷の知らせも出したが、二枚の受領書の下へ重ねなかった。


「この二口のお代を、いつ私たちに渡しましたか」


 ゲルトさんの目が、ミーナさんから代官へ移る。


「材料代をこちらで立てている。次の原毛代と、まとめて調整するつもりでした」

「その約束は、していません」


 ミーナさんは原毛の控えを開いた。


「払う分はこちらにあります。布代を渡さず、そのまま差し引いてよいとは、お話ししていません」


 代官はゲルトさん側の支払記録を、机の真ん中で開いた。調査で提出させたものだという。領主の費用からゲルトさんへ精算金を渡した記録も、横に置かれた。

 書記が日付と額を一つずつ読んだ。

 受領した布。職人へ支払ったという申告。領主側が払い戻した金。そのあとにあるはずの、職人への支払い。

 最後の記載だけが、なかった。


「まだ渡していない、ということでよいですか」


 代官が尋ねた。

 ゲルトさんは袖口を引いた。


「取引全体が終わっていません。あとで合わせれば」

「この二口について、お願いします」


 長い沈黙があった。

 私は机の木目を見た。ここで私がもう一度送り主の名を言っても、二口の金が誰の手を通ったかは増えない。


「その代は、まだ渡していません」


 ゲルトさんが言った。

 ミーナさんの手が、一度だけ止まった。

 書記は同じ内容を読み返し、ゲルトさんへ確かめた。彼は、あとで調整するつもりだったという言葉を付け加えた。書記はそれも記した。

 壁際で待っていた別の職人が呼ばれた。

 その人は自分の未払いの一件だけを話し、持ってきた控えを見せた。誰もが同じ被害だとは言わず、知らない家のことは知らないと答えた。

 ミーナさんは、その声を聞きながら二枚の受領書を指で揃えていた。

 最後に、原毛の停止と新しい荷の撤回の日も確認された。私の隣で、エーリクさんが口を閉じたままうなずいた。あの朝、戸口に立っていた人の顔だった。


 ◇


「私がまとめなければ、今月の納め物も揃いません」


 ゲルトさんは納入表を取り、自分の手元で広げた。


「どの家が何を持っていて、誰の荷車がいつ出るか。この席で決め直せるのですか」


 伯爵はすぐに返事をしなかった。

 代官に示された表を見て、指を一本、机へ置いた。


「その仕事を見込んで、任せたことは認める」


 ゲルトさんの肩が少し戻った。

 伯爵は、契約の写しを開くよう代官へ伝えた。


「受け取った品に期日までに支払うことも、選ぶ権限を私的な威迫に使わないことも、守らせる側にいた」


 ミーナさんが、伯爵を見た。


「支払いがないという話は、前にも窓口へ出しました。返事を待つあいだに、家を譲る話が来たんです」


 代官は書記に受付の控えを出させた。今日のために取り寄せた束の中に、以前の相談も、七日前に渡した写しもあった。

 伯爵は頁をめくる手を止めた。


「納め物が届いているというだけで、済ませていた分がある。そちらも、記録に残してください」


 書記の筆が動いた。

 私はその音を聞いた。謝る声を大きくするように、とは思わなかった。あとで読み返しても、今の行が残っていてほしかった。

 取引の原記録を保全し、確認を続けることになった。契約を続けるか、未払い以外の損失をどう扱うかは、この場で決まらなかった。

 担当者が呼ばれ、相談した人へ接触して返事を変えさせたり、脅したりしないよう、調査中の窓口と対応を任された。

 明朝の処置については、エッダさん自身の希望を伯爵が聞いた。


「立会いのある朝を、選ばれたのですね」

「はい。手のことを、見て書いていただきたいです」


 ゲルトさんにも、正式に出席が求められた。

 彼は、自分の説明も記録するのかと聞いた。記録するとの返事を受け、しばらくしてから出ると答えた。

 私は立会人へ、見ていただくのは本人の意思と症状、処置の経過だと伝えた。読み取った名の説明は私が行う。同じ名が皆の目に見えるわけではない。


 広間を出る時、エッダさんは右手を上着の陰へ入れかけた。

 それをやめ、左手で鞄を持った。

 ミーナさんは戻された原本を数えていた。エーリクさんが包みを支え、彼女が最後の一枚を入れるまで、そのまま待っていた。


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