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聖女様がいらしたので、身代わりはもう不要だそうです。では、十年分の呪いをお返ししますね。  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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第60話 残る人の注文

 

 街道の会所には、荷を置くための広い庇があった。

 ミーナさんはそこで布包みを抱え直し、戸をくぐった。昨夜届いた返事には、リゼ伯爵が街道を通る今日の午前なら、購入の相談ができると書かれていた。

 私も同席を頼まれ、隣へ座った。ハンナさんは見学先から持ち帰った図案を、布とは別の包みにしていた。


「先に、住まいのほうを確かめておきましょう」


 リゼ伯爵は、前の案内を卓へ置いた。


「工房と住居、当面の賃金は、こちらへ移って働く方のために用意しています。村に残る場合、同じ費用をお渡しすることはできません」


 ミーナさんの指が、包みの結び目へ入った。ほどかず、少し引く。


「家だけ借りて、こちらへ通う形でも、難しいでしょうか」

「その形では、お約束している仕事の時間を確保できません。すでに移って働いている方にも、同じ条件をお伝えしています」


 見学した家には、雨の日にも使える干し場があった。

 ミーナさんがそこで長く立ち止まっていたことを、私は思い出した。彼女は案内の屋根の線を見て、膝の包みへ目を戻した。

 エーリクさんが椅子を引き寄せる。


「では、村で織るなら、話は」

「買う話はできます。今日は、そのために伺いました」


 リゼ伯爵は案内を脇へよけた。

 私はミーナさんの手が動くのを待ってから、尋ねた。


「本日は、移るかどうかのお返事とは別に、こちらの布を見ていただくのでよろしいですね」

「ええ。見せてください」


 ミーナさんが結び目をほどいた。

 私の前へ渡しかけた包みを自分へ戻し、卓の真ん中へ布を広げる。端が少し折れていたので、手のひらで押さえた。


「この縁と、染まり方を見ていただきたいんです」


 リゼ伯爵が身を寄せた。

 買付の担当者も、膝の書類を卓へ上げた。


 ◇


 リゼ伯爵は布の端を折り、重なった部分を指でつまんだ。


「ここは、あまり硬くならないのですね」

「ああ、縁に糸を詰めすぎると、そこだけ浮くんです」


 エーリクさんの手が伸びた。

 布の表と裏を返し、どこから引くと厚くなるかを示す。最初は伯爵の顔を見ていたが、途中からは布を見て話していた。


「最後に押さえても、織る時に寄せた分は戻りません。ここの幅を見ながら、少しずつ」

「染めた後にも、確かめます」


 ミーナさんが、別の端を広げた。


「乾いた時の色で揃えるので、染め上がったその日に出せるとは言えません。仕上げに回す前の時間も、いただきます」


 担当者はうなずき、持ってきた紙へ数量を書いた。

 エーリクさんがそれを見て、背を伸ばす。


「これだけなら、機を止めずに」

「待って」


 ミーナさんが紙を夫のほうへ向け直した。


「織ったあとを、どこで、誰が仕上げるの。今ある糸だけで全部は織れないよ」


 エーリクさんの指が、数量の下で止まった。

 ハンナさんは鞄から見積りの控えを出した。昨夜、手持ちの材料を数え直して書いたものだという。ミーナさんが自分の筆を取り、引き受けられる量を隣へ書く。

 担当者は、その小さくなった量を見た。


「荷を一度運ぶ費用は、あまり変わりませんが」

「はい。それも入れて、この代です」


 ミーナさんは答えたが、最後だけ少し声が細くなった。

 エーリクさんが口を開いた。私は見積りの端を押さえ、彼の手前まで動かした。


「運ぶ方や仕上げを頼む方へのお代は、この中にございますか」

「ああ。こちらの欄だ」


 彼は指でたどった。娘の手間を書いたところでも止まり、そのまま先へ進む。


「これを削れば、また家の者に持たせることになるな」


 ミーナさんは、夫へ向けていた筆を下ろした。

 リゼ伯爵は見積りを読み、もう一度布へ触れた。


「この縁と色で、この量を。一度、買いましょう」


 私は顔を上げた。

 先に返事をしたのは、ミーナさんだった。


「お見せした見本と、同じ仕上がりでお届けします」


 担当者と受け渡しの日を確かめる。織り終える日だけでなく、乾かす日と、荷車へ積むまでの日が入った。

 届いた品を向こうの工房で検品し、合意した代金を支払う。今回が済んでから次を相談するので、続けて同じ量を買う約束ではない。

 ミーナさんはそこを聞き返し、注文の控えへ目を落とした。


「一回分として、準備します」


 エーリクさんもうなずいた。

 品物、数量、代金、受け渡しと支払いの約束を互いに読み、控えを受け取る。ミーナさんの指が、布の角から離れた。

 ハンナさんが布を畳もうとすると、リゼ伯爵が最後に裏側を見たいと言った。エーリクさんは嬉しそうに広げ直したが、今度は数量を増やす話をしなかった。

 私は、最初に脇へ置かれた住居の案内を見た。そちらには、まだ誰も返事をしていない。

 ミーナさんは注文の紙を畳み、その案内とは別にしまった。


 ◇


 昼になり、窓のそばの小卓へ移った。

 修業の相談を扱う担当者が椅子へ座ると、ハンナさんは膝の包みを出した。見学先で試した図案と、家から持っていった縁の見本だった。

 エーリクさんが先ほどの注文控えを見た。


「今度の仕上げもあるから、家を空けるなら」

「お父さん。私の修業の話を、先にしてもいい?」


 ハンナさんの手は、図案を押さえたままだった。

 父親は娘を見た。それから自分の椅子を引き、卓の角を空けた。


「ああ。聞いてからにしよう」


 ハンナさんは紙を開いた。


「見せてもらった模様の作り方を、習いたいです。家の布を買っていただけるかどうかとは、別に」

「別のお申し込みとして伺っています。ご家族がこちらへ移らなくても、個人で修業に来る相談はできます」


 担当者は、彼女自身の前へ説明の紙を置いた。

 ハンナさんは受け取る前に、どんな仕事から始めるのかを聞いた。担当者は図案の一か所を指し、初めは仕上げの手伝いと、模様の試し織りを見ながら進めると答えた。


「習う時間にも、仕事の分のお給金は出ますか」

「はい。受け持つ仕事と一緒に、条件へ書きます。住む場所と食事にかかる分も、隠さずお見せします」

「途中で、続けられなくなった時は」


 声が止まり、ハンナさんは父親を見た。

 エーリクさんは何も言わず、娘の図案の端が椀へ触れそうなのをよけた。

 担当者は辞める時の知らせ方も相談すると答えた。今日ここで決める必要はない。詳しい条件は、本人が家で読み、聞きたいところを持ってから詰めることになった。

 ハンナさんは説明の紙を自分で畳んだ。ミーナさんの注文控えを入れる包みには、差し込まなかった。


 会所を出ると、庇の影が短くなっていた。

 今日は午後に、マリエラさんがお母さんと出掛ける。朝、私は自分の昼の分を包んでもらい、二人を待たせず出発してほしいと伝えてきた。

 道の分かれ目で鞄を持ち直すと、エーリクさんが村のほうを見た。


「仕上げの台を、まず聞いてみよう。全部でなくても、使わせてもらえる日があれば」

「運ぶ人にも。約束した日に届かないと」


 ミーナさんが応じた。

 ハンナさんは紙の包みを抱え直し、父親の横へ並んだ。布の注文を持つ母親と、修業の説明を持つ娘が、それぞれ自分の足元を見て坂を下りていく。

 私は少し後ろを歩いた。鞄には、自分で買った青い小布が入っている。あの布ができるまでに通った手を、今日は、紙の上でも少し知ることができた。


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