第57話 誰の職人か
翌朝、出張所の窓口で名を告げると、私たちは奥の部屋へ通された。
入る前に、エーリクさんへ最後の確認をした。手の症状、読み取った送り主の名、解呪した日を、調査のために説明してよいか。
「それは、話してくれ。俺からも言う」
私は一人分だけ用意した処置記録の写しを、鞄の上へ置いた。
代官は机に納入予定の紙を広げていた。私が座ると、その向きを変えずに尋ねた。
「隣領へ移る家は、いくつですか」
「私には、分かりません」
「見学へ同行したと聞いていますが」
「はい。ですが、どこで暮らすかは、ご本人が決めることです」
返事をすると、代官の筆が止まった。
私は横の椅子を少し引いた。エーリクさんは座り、膝で右手を握った。
「村を出ると、決めたわけじゃありません。ここで、別の人にも布を売りたい」
代官は、初めて彼の顔を見た。
「では、何をしに見学へ」
「向こうで働けると、話があったからです。見ないで断ることもないと、家で相談しました」
ミーナさんが続けた。
「家と、当面の賃金があるのは、魅力でした。雨の日に布を動かさなくてよさそうな家も、見ました。私は、まだ決めていません」
机の向こうの書記が、別の紙を取り出した。
私は膝の上で、写しの角を押さえていた指を緩めた。三人とも移るのかと聞かれる前に、ミーナさんが娘について話した。
「娘は、修業の相談をしたいと言っています。私たちの転居とは、別に聞いてもらえるそうです」
「その申し込みも、あなたが勧めたのですか」
代官の目が私へ戻った。
「ハンナさんが、ご自分で尋ねました」
その問いには、エーリクさんもうなずいた。
代官は納入予定の紙をよけ、書記が書いているほうを見た。
◇
見学の話を終えた頃、代官がゲルトさんを呼び入れた。
書類の束を脇へ置き、机の上の納入表を見る。代官が来月の荷について尋ねると、彼は紙を一枚抜いた。
「この家々へは、次の原毛を回してあります。こちらの分は仕上げ場へ、こちらは次の荷車です」
日と家の名が、淀みなく続いた。
代官が一か所を指しても、すぐに答えが返った。
「細かな家へ一々手配を任せれば、領主様の納め物が止まります。こちらでまとめているから、今の数が揃うのです」
エーリクさんの手が膝から上がった。机につきかけ、空いたところで止まる。
「俺の布は、持っていかなかった」
「予定に合わないものまで、積むことはできません」
ゲルトさんは紙を揃えた。
私はエーリクさんの手を押さえず、処置記録の写しを開いた。
「本日は、手の症状についてもお話ししたいと、ご本人から伺っています」
代官が顔を上げた。
私は記録した日を示し、布を張る手の震えを診たこと、発動していた糸を読んだことを説明した。
「込められていたのは、『布を張る手が震えろ』という言葉です。送り主の名は、ゲルト。エーリクさんが解くことを希望され、処置を終えました。糸は、その時に消えています」
書記が最後の部分を繰り返したので、私はうなずいた。
「いま、その手に残っているのではないのですね」
「はい。治療前に読んだ内容と、処置の経過の記録です」
ゲルトさんが、私の写しへ目を落とした。
「それで、商売のことまで決めるおつもりですか」
「この記録だけで、お取引のすべてを説明することはできません」
私は写しから手を離した。
ミーナさんが、自分の包みを開いた。布が受け取られた時の二枚の紙と、支払いを記録している台帳が出てきた。
「受け取った品物のことは、こちらです。この二口は、渡してあります。代は、期日を過ぎても入っていません」
納品受領書を置き、支払台帳の該当するところを開く。記載された日にちを、書記が照らし合わせた。
「原毛代の支払いは、別にあります。そちらの控えも持ってきました。何を差し引く約束だったか、一緒に確かめてください」
ゲルトさんは台帳を取ろうとしたが、代官が先に書記へ渡した。
「写しを取って、元はご本人に返してください。呪詛についての訴えと、委託にかかわる支払いは、分けて調べます」
私は口を閉じた。
ほかの方の記録は出さなかった。エーリクさんは自分の手を机へ置き、布を張ろうとして止まった日のことを、自分の言葉で話し始めた。
書記の筆が、その声に合わせて動いた。
◇
昼を挟み、控えの確認が終わる頃には、窓の影が長くなっていた。
戻された原本をミーナさんが数え、包みへしまった。代官は、ゲルトさんへ委託している契約の写しを広げた。
「受領した品には、定めた期日までに支払うことになっています。また、職人を選ぶ権限を、私的な威迫に使ってよいとはしていません」
指された行を、ミーナさんは声に出さずに読んだ。
「守られていなかった場合は、どうなりますか」
「調査の結果によって、委託の続け方も、選定を任せる範囲も見直します。今日は、まだその判断を出す日ではありません」
エーリクさんが椅子の背へ手を掛けた。
「待っている間に、また人が来たら。家を渡せと言われた紙も、あるんです」
ミーナさんが買い取り書を出した。代官は読み、書記にそれも控えるよう伝えた。
「家の売買への返事は、ご自身で決めてください。脅されたり、身体に危害を加えられたりした時は、調査の終わりを待たずに届け出てください」
それだけで帰すのではなく、隣の窓口の担当者が呼ばれた。相談を受け付け、必要なら家や仕事場へ来てくれるという。
私は担当者の説明を聞き、ミーナさんが場所を確かめるのを待った。
「この窓口へ来れば、よいのですね。今日の方がいらっしゃらなくても」
「はい。受付にも伝えておきます」
部屋を出た時、廊下にいたゲルトさんの使いが、エーリクさんの前へ出た。
「お話が済んだなら、少しこちらへ。旦那が」
ミーナさんが夫の袖をつかんだ。
担当者が間へ入る。
「今は、こちらでの手続きが残っています。離れてお待ちください」
「一言だけです」
「ご本人が話すと言ってからです」
使いが下がるまで、担当者は動かなかった。私たちはその横を通り、窓口へ行った。
七日後の午前に、照合できた範囲を知らせてもらうことになった。ミーナさんが日を繰り返し、自分の紙へ書く。エーリクさんも、その紙を見た。
「明日の注文まで、用意してもらえるわけじゃないんだな」
彼の問いに、担当者は、そこまでは約束できないと答えた。
エーリクさんはうなずき、控えを妻の包みへ戻した。
帰り際、代官が廊下へ出てきた。
「伯爵からも、熟練した職人が抜けた場合、どれだけ納入が減るか調べるようにと言われています。今日のお二人の希望も、伝えます」
ミーナさんは包みを抱え直した。
外へ出ると、窓口の札が戸の脇から見えた。彼女は一度振り返り、その文字を確かめた。
エーリクさんは手を空けたまま、妻の隣を歩き始めた。
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