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聖女様がいらしたので、身代わりはもう不要だそうです。では、十年分の呪いをお返ししますね。  作者: 堀吉 蔵人
第2部

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第45話 冷めないうちに


 約束の夕方、私は戸口脇の腰掛けに、青い見本を広げていた。

 白に近い細い筋を重ねる。膝へ近づけたり、少し離したりしていると、通りのほうからミーナさんが来た。

 立とうとした私の前で、ミーナさんは布をのぞき込んだ。


「そのくらいの細さで、よろしいですか」

「はい。端は、ここまで青を残したくて」


 指で押さえると、ミーナさんが前掛けのポケットから測り紐を出した。

 何を聞かれるだろう。どこまで答えられるだろう。待っている間に考えていたことが、いったん止まった。


「お使いになる机は、どのくらいでしょう」

「幅は、たしかこのくらいです。帳面を置いて、横で手紙が書けます」


 両手を離すと、ミーナさんが間に紐を当てた。私は、先日マリエラさんに直してもらった分だけ、手を内側へ戻す。


「引き出しは、手前ですね」

「ええ。開けるときに挟まないようにしたいんです」

「では、垂らさずに。縁も、これより少し狭いほうが、帳面を置くところが広く取れます」


 ミーナさんは白い筋を端へ少し寄せた。真ん中の青が広くなり、私はその上へ、帳面を置く真似をした。


「そのほうが好きです」

「では、こちらで。長さも、覚えておいでですか」


 奥に置いている灯りと、手前の余白のことを話した。ミーナさんは紐の途中をつまみ、小さな紙へ書き留めた。


「ただ、お渡しする日は、今はお約束できなくて」

「急ぎません。できるころに、教えてください」


 ミーナさんは紙を読み直し、紐を巻いた。最後の端を輪の中へ入れる手が、少し止まる。

 私は布を寄せ、隣を空けた。


「どこから、お話しすればいいでしょう」


 腰を下ろしたミーナさんが、巻いた紐を両手で包んだ。


「今日、いちばんお困りになったところから、聞かせていただけますか」


  ◇


「朝、空の袋を畳んだんです。次の原毛が来たら返そうと、取ってあったものを」


 ミーナさんは片手を開き、人差し指で手のひらに印を描いた。


「袋のここに、ゲルトさんのところの印があって。どこから来た分か、これで分かるようになっています」

「原毛も、同じ方から」

「はい。染める分を私が分けて、糸にして、あの人とハンナが織ります。そのあと、仕上げ場へ出す札も、向こうでもらうんです」


 一本折った指の隣へ、もう一本を重ねた。


「出来上がると、荷車に載せて。受け取ったという紙が、うちへ戻ってきます」


 昨日、机に並べた二枚の紙だった。

 ミーナさんはポケットから紙包みを出した。折り目を開くと、同じ二枚が入っていた。風にめくれないよう、私も片方の角を押さえた。


「こちらの分のお代は、今日も」

「まだです。荷を取りに来なくても、この分だけは頂けると思ったんですが」


 受け取った人の印を指でたどり、その指を紙の外へ置いた。


「お客様に、こんなお話をしても」


 ミーナさんは顔を上げ、私の膝の見本を見た。


「仕上げ場へは、ご自分で頼むこともできるんですか」

「聞いてみないと。ただ、いつもの分は、あの札で順番を取っていましたから。あれだけの量を、うちで仕上げる場所はありません」


 畳みかけた紙が、また開かれた。


「別の買い手がいればと、私も思います。けれど、次を織るなら、仕上げも頼まないといけない。運ぶ人も。買ってくださる人のところまで、どうやって持っていくのか」


 私は紙の角から手を離さずにいた。


「あの人、前に別の買い手に、値を聞いたんです。その人へ売ると決めたわけでもなくて。どれくらいになるか、聞いただけだと言っていました」


 ミーナさんは、握っていた指を一本ずつ伸ばした。


「手が震え始めたのは、そのあとでした。それからは、染める量も減らしました。先に染めておいても、織るほうが進まなくて」


 指の爪の脇に、青が少し残っていた。彼女はそこを親指でこすり、やめた。


「今、先に払わなければならないのは、何でしょう」

「受け取った原毛の代が、残っています。それと、家の粉と油です。染料も減っていますが、次を染める毛が来ないので、今日は買わずに帰りました」


 紙の隅が風で持ち上がった。ミーナさんは印のある面を内側にして、二枚を畳んだ。


  ◇


 私は腰の袋へ手をやった。

 材料さえあれば、あの手はまた動く。そう思って、口を開いた。


「私が、材料の分を」


 ミーナさんは、紙包みをしまう手を止めた。

 原毛の袋。仕上げに出す札。来なかった荷車。彼女が折った指を思い出し、私は袋の口から手を離した。

 膝の布を直していると、ミーナさんがこちらへ体を向けた。


「明日、話を聞くところに、いていただけますか」

「明日、ですか」

「朝に。手のことを聞かれたら、私ではうまく説明できなくて」


 私は布から顔を上げた。


「明日の朝でしたら、伺えます。どなたと、何のお話をなさるのでしょう」

「隣の領地の方です。リゼ伯爵様のところで、織る人を探しているそうなんです。うちにも、お話があって」


 ミーナさんの手が、前掛けの上で揃った。


「工房と、家族で住める家があると。明日、詳しく説明に来てくださいます」

「住むところも、ですか」

「はい。屋根のことを気にせず、染めたものを干せる場所があったら、どんなだろうって。まだ、見たわけではないんですが」


 言い終える前に、彼女は自分の手もとを見た。


「ハンナも一緒に聞きます。私たちだけだと、手はもう大丈夫かと聞かれても、治りましたとしか言えなくて」

「実際に診たときのことでしたら、お話しできます。エーリクさんにも、どこまでお伝えしてよいか伺ってから」

「ええ。あの人にも、来ていただいてよいか聞きました。話の席には、いてもらっていいと」


 私は、昨日の机の向こうにいた顔を思い出した。返事をするまでに、少し間が空いた。


「では、明日の朝に」


 ミーナさんはうなずき、腰掛けから立った。私は見本を重ねて持ち上げる。


「こちらも、明日持って伺います」

「はい。縁の幅を、あの人にも見てもらいましょう」


 通りへ出てから、ミーナさんは一度足を止めた。


「家があるというところを、まず聞いてみたいんです」


 私はうなずいた。ミーナさんは紙包みの入ったポケットを押さえ、そのまま家のほうへ歩いていった。


  ◇


 中へ戻ると、ユッタさんが鍋を火から下ろしていた。


「すみません。遅くなってしまって」

「ちょうど、芋が煮えたところですよ」


 マリエラさんが空いた椅子を引いた。昼間、外で干していた籠が、壁際へ戻っている。持ち手には新しい紐が巻かれていた。

 私は見本を、卓の乾いた端へ置いた。


「縁は、少し狭くしていただくことにしました」

「この青、いいですね。灯りの下でも、きれいです」


 マリエラさんが顔を近づける。ユッタさんは布の手前へ椀を置き、娘の分もよそった。


「お母さん、私の芋、大きくない?」

「それくらいにしないと、煮ているうちになくなるよ」

「小さいのも、切ったはずなのに」

「それは、あなたが途中で食べた分でしょう」


 マリエラさんが匙を止めた。母親は娘の椀へもう一度目をやり、豆を少し足した。

 私は芋の端を匙で崩した。中から湯気が出る。ひと口分を冷まし、口へ運んだ。柔らかいところに、煮汁がしみていた。


「塩は、足りますか」

「はい。これ、もう少しいただけますか」


 空いたところをユッタさんへ向け、椀を出した。鍋の底から、豆と芋がすくわれる。

 マリエラさんがパンを回してくれた。今度は自分で一切れ取り、椀に残った汁まで食べた。

 食器を運んで戻ると、卓の端に青い布が見えた。

 明日の朝、どんな家なのかを一緒に聞く。その前に、縁の幅をもう一度見てもらおう。

 私は白い筋を内側に重ね、明日持っていく見本を畳んだ。


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