↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女様がいらしたので、身代わりはもう不要だそうです。では、十年分の呪いをお返ししますね。  作者: 堀吉 蔵人
第2部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/86

第44話 戸口の荷車

 

 朝、工房へ伺うと、戸口までの床が空けてあった。

 昨日は織機の横にあった籠も、今は壁際に寄せられている。エーリクさんは畳んだ布を運び、積み重ねた端を揃えた。


「上の二つから渡してくれ。下は、少し重い」

「分かった」


 ハンナさんが埃よけを掛ける。短いほうの端を引くと反対側が出てしまい、ミーナさんが別の布を持ってきた。

 私はマリエラさんと、戸の脇へ寄った。ここなら、運ぶ人の邪魔にならない。

 エーリクさんは右手を腰で拭き、戸口を見た。外から、車輪の音が近づいていた。


「来たな」


 戸を大きく開けると、朝の光が布の上まで入った。

 荷車は、隣の工房の前で止まった。御者が下り、戸口から出された荷を受け取る。エーリクさんは埃よけを外し、上の一枚を持ち上げた。

 隣の荷が積まれ、紐を掛ける音がした。御者が座へ戻る。


「おい。こっちも揃っている」


 動き出した車輪へ、エーリクさんが声を掛けた。

 御者は手綱を引いたが、下りてはこなかった。


「今日の荷には、入っていないよ」

「昨日、使いの者に見せた。今朝だと話したはずだ」

「こっちに来ているのは、隣の分だけだ」


 御者は膝の札を確かめ、裏も見た。それから上着へ手を入れる。


「そうだ。これを渡すようにと」


 差し出された紙を受け取るために、エーリクさんは布をミーナさんへ渡した。

 隣家の人が戸口に立っていた。こちらを見て、何か言いかけたように口を開いたが、中から呼ばれると戻っていった。

 荷車がまた動き出す。今度は、エーリクさんも呼び止めなかった。

 ミーナさんの腕から、布の端が垂れていた。昨日、光へ透かして確かめたところが、床についている。

 ハンナさんが手を添え、持ち上げた。


 ◇


 紙は、机の真ん中に置かれた。

 今回の買い付けを取りやめること。次に渡すはずだった原毛も、用意しないこと。短い知らせの下に、ゲルトさんの名があった。

 エーリクさんは同じところを指で押さえていた。


「布も見ていないのに」


 ハンナさんが、戸口の荷を見た。


「昨日は、端だって見なかった。まだ一枚も」


 ミーナさんは引き出しから二枚の紙を出した。折り目を開き、日付の順に並べる。


「前に渡した分は、どうなるんだろう」


 布の数と、受け取った人の印があった。ミーナさんの指が、一枚ずつ端を押さえる。


「こちらは、もうお納めになった分ですか」

「はい。受け取ったという書き付けだけで、お代はまだなんです。今日の分と一緒に、聞こうと思っていました」


 昨日の夕食で、油を買うと言っていた。針も必要だった。

 ミーナさんは紙を揃えたが、引き出しには戻さなかった。


「ほかへ持っていったら」


 ハンナさんが言うと、エーリクさんは窓の外を見た。


「持っていった先で、すぐ買ってもらえるものでもない」

「でも、このまま置いていたら」

「分かっている」


 ハンナさんの手が、布の上で止まった。

 エーリクさんは机から右手を引き、指を開いた。震えてはいなかった。手のひらを返してから、私を見る。


「来てくださらなければ……」


 その先を、言わなかった。

 ハンナさんが顔を上げた。父親を見て、私へ目を移す。口を開きかけた娘さんの前で、エーリクさんはまた紙へ顔を向けた。

 昨日、同じ手で水の器を持っていた。水面が揺れないのを見て、もう一口飲んだ。そのことを口にしかけたが、声にはならなかった。

 ここにある布は、まだ売れていない。


「今、いちばんお困りなのは」

「今日は、帰ってください」


 返事を待つ声ではなかった。

 私は机の脇から離れた。マリエラさんも、手に持っていた帽子を私へ渡してくれる。


「必要でしたら、ユッタさんのお宅におります」


 エーリクさんはうなずかなかった。

 ミーナさんが戸を押さえてくれた。私はその横を通り、外へ出た。荷車の通った跡が、工房の前をまっすぐ続いていた。


 ◇


 夕食の椀は、両手に収まる大きさだった。

 持ち上げたまま、しばらく置くところを探した。目の前は空いている。そこへ戻すと、匙が縁に当たった。


「少し温めましょうか」


 ユッタさんが、私の椀を見ていた。


「まだ、いただいている途中で」

「ええ。残った分を、少し温めるだけですから」


 椀を渡し、両手を膝へ戻した。私は指を重ね、ほどいた。

 マリエラさんはパンを一切れ、私の皿へ置いた。端の硬いところだった。自分の分も取り、煮込みにつけている。

 ユッタさんは何も尋ねず、鍋をかき混ぜた。下からすくい上げる手つきを見て、上だけ混ぜたというマリエラさんの話を思い出す。笑おうとしたが、口もとがうまく動かなかった。


「熱いから、椀は置いたままでどうぞ」


 戻ってきた煮込みから、湯気が上がった。

 エーリクさんは、娘さんへ杼を渡していた。引きすぎないように止めた指も、布の幅を確かめた目も、覚えている。

 あの手は戻った。今日、紙を押さえていたときにも、震えてはいなかった。

 それを思うと少し息ができたが、食べる前に、また戸口の布が浮かんだ。


「お母さん。明日、あの籠を干してもいい?」

「裏に置いてあるほう?」

「うん。持ち手も、巻き直したいんです」

「紐が残っていたね。朝、出しておくよ」


 マリエラさんはうなずき、パンの柔らかくなったところを食べた。

 私は匙を取った。煮えた野菜が一つ載る。口へ運ぶと、思っていたより熱くて、ゆっくり噛んだ。

 飲み込んでから、戸を叩く音がした。


 ◇


 王都からの便だろうか。それとも、診てほしい人が来たのだろうか。

 椅子を引く前に袖口を直し、戸へ向かった。

 外にいたのは、ミーナさんだった。胸の前に、小さな包みを持っている。


「お食事中でしたか」

「大丈夫です。どうぞ」

「ここで、少しだけ」


 私は戸を開けたまま、脇へ寄った。マリエラさんが灯りを持ってきて、足もとの低い台へ置いてくれる。

 ミーナさんは包みの角を押さえた。昼間と同じ前掛けに、青い糸がついていた。


「治していただいて嬉しかったのは、本当です」


 私は、包みから顔を上げた。


「あの人、娘に手を見せていたでしょう。こうすると揃うんだって。ハンナができたときも、同じところを何度も見て」


 ミーナさんの親指が、布の折り目をなぞった。


「私も、嬉しかったんです。昨日は」


 お気になさらないでください、と言いかけた。

 けれど、朝の机はまだ覚えていた。口にすると、ミーナさんが話してくれたことまで、早くしまってしまいそうだった。


「私も、嬉しかったです」


 それだけ答えると、ミーナさんは小さくうなずいた。

 包みの紐がほどかれる。中に入っていたのは青い布と、白に近い色の細い見本だった。


「ご注文の分です。合わせてからと、お話ししていましたから」


 差し出され、私は両手を出した。青の上に淡い筋が重なると、灯りの下でも端がよく見えた。


「こちらは、もう少し細くもできます。明るいところで、ご覧になってください」

「はい」

「受けたお仕事まで、私たちのほうから、勝手に終わりにはしたくなくて」


 布の端を持ち直した。宿の机に敷いたら、帳面の横に、この筋が見えるだろうか。私は青い布を支え、細い見本を少し横へずらしてみた。

 ミーナさんは空いた包み布を畳んだ。


「明日、話を聞いていただけますか」

「はい。何時ごろがよろしいでしょう」

「夕方、仕事を片づけてからでも」

「では、そのころに。こちらでお待ちしております」


 ミーナさんは一度、家の中へ頭を下げて帰っていった。

 私は見本を重ねた。明日の夕方まで、折り目をつけずに置いておこうと思った。


面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。