↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女様がいらしたので、身代わりはもう不要だそうです。では、十年分の呪いをお返ししますね。  作者: 堀吉 蔵人
第1部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/86

第39話 十年の返事

 

 大広間の真ん中に、椅子が二つ置かれていた。

 片方へマリエラさんが座る。私はもう片方の背に手をかけた。叙任式の日、膝を折ったあたりだった。今日は、座って話してほしいと言われている。

 鞄を足もとへ置き、黒い帳面を膝に載せた。

 陛下と殿下の前には、長い机がある。魔術師長とクラウスさんがその端に立ち、両側には宮廷の役人や貴族が並んでいた。あの日より少ないが、見覚えのある顔もある。

 ザイデル侯爵は、窓の下にいた。左の頬を押さえる布は、持っていなかった。


「先に、ザイデルの件を」


 陛下が言い、クラウスさんが紙を開いた。

 二百六十一番。『熱を出して寝込め』。送り主はザイデル侯爵。陛下から侯爵へ返り、本人の依頼で解いたことまで読み上げられた。魔術師長が、自分もその場にいたと答える。

 次に呼ばれたのは、街道で会った隊長さんだった。剣は帯びていない。私へ一礼してから、陛下へ向きなおる。


「紋を外し、商人の服で五人、東へ出ました。命じたのは侯爵閣下です」

「帳面は、どこへ届けるよう命じられた」

「まず閣下へ。殿下にお渡しする前に、閣下がご覧になると」


 侯爵が、顔を上げた。


「王家の記録でございます。取り戻す許可は、殿下からいただいております」


 殿下は、机の上の手を握った。今度は、私を見る。


「私が、好きにしろと言った」


 広間の後ろで、服の擦れる音がした。


「帳面が誰のものかも確かめずに、許した。侯爵に任せればよいと思った。私の誤りだ」

「ですが、殿下のお許しに従った者を――」

「その許可で、お前の名を燃やすことまで正しくなるのか」


 殿下の声は、最後まで同じ高さだった。

 隊長さんが、侯爵の名を消してから渡すよう命じられたと続けた。クラウスさんの机には、すでに聞き取った証言が置かれている。侯爵はそちらを見たまま、口を閉じた。

 フルトで帳面を求められたことも、記録から読まれた。湯呑みの話は省かれていた。


「ノエラ殿。街道でのことに、違いは」

「ございません。帳面をお断りしたあと、剣を抜かれ、手首をつかまれました」


 私は左手を、帳面の上へ置いた。今は、誰の手も掛かっていない。

 陛下が侯爵を見た。


「宮廷への出仕を禁ずる。街道へ出した私兵を含め、お前の私兵の指揮権は取り上げる。兵と武器は、すでにこちらの管理へ移した」


 侯爵の後ろに立つ兵が、頭を下げた。侯爵家の紋ではなかった。


「国王への呪詛と、帳面を奪おうとした件で、確かめられた被害を賠償させる。ノエラとマリエラを、もうお前の兵で追わせることはできぬ」


 侯爵が私を見た。私は膝の帳面を閉じた。

 兵が窓の下から進み、侯爵を扉へ促す。侯爵の足が、兵の前で止まった。侯爵は一度陛下へ頭を下げ、広間を出ていった。

 続いて、レムケ伯爵にも馬車の被害を償わせると伝えられた。昨日呼ばれた伯爵は、結び目の記録と納入商会の願い出を示され、送ったことを認めたという。橋の送り主も、こちらから出した記録をもとに責任を問われる。私が追いかけて、聞き出す仕事はなかった。


 ◇


 殿下が、椅子から立った。


「ノエラ・カーヴェル。この広間で、お前の話を遮った。務めの中身を確かめず、人前で侮辱した。そのあとには、帳面を奪う許可まで出した」


 私は、殿下の手を見ていた。あの日は、その手を振られて話を終えた。


「申し訳なかった」


 殿下は頭を下げた。背後の貴族が、互いの顔を見かけてやめる。

 私は返事を探した。すぐに差し出せる言葉がなく、帳面の表紙から手を離した。


「お話は、伺いました」


 殿下は顔を上げ、続きを求めずに座った。

 クラウスさんが、別の束を開く。母の署名のある説明は、綴じた中に収めたままだった。先日私が確かめた、休みと交替の調べが前へ出た。

 魔術師長は、その紙を持たずに話した。


「君に務めを引き継がせる際、病気の日の対応を決めなかった。休みも、交替する者も。毎月の欠務なしという報告だけを受け取り、本人へ確かめに行かなかった」

「母のときには、寝室へ来る方がいました」

「君のところへも行くよう、手配できた。していなかった」


 白い眉が下がった。


「君が言わなかったからで済ませてきた。申し訳なかった」


 陛下はその言葉を聞いてから、私へ向きなおった。


「わしは、熱がある日も来ておると知っていた」


 机の端で、書記のペンが止まった。


「勤めを欠かさぬ娘だと聞き、そのままでよいと思っていた。送りつけてくる者と向き合うより、お前一人に預けるほうが都合がよかった」


 陛下の袖口に、黒い糸が一本見えた。


「お前に、王都へ戻れと命じた。王命なら、戻ってくるかもしれぬと思った。十年の責任は、わしにもある」


 陛下が椅子から立つ。腰を伸ばすまで少し時間がかかったが、侍従を呼ばなかった。


「ノエラ。すまなかった」


 頭が下がった。机の向こうへ、私にも分かるほど深く。

 私は膝の紙を開いた。階段のことを一行だけ書いた紙だ。読もうとしたが、字を見る必要はなかった。


「熱のある朝、階段に座っていたことがございます」


 声が、広間の奥まで届いた。話を止める手は上がらなかった。


「一段下りたら、次の段が遠くて。手すりを離すと立てなくなりそうで、握ったまま休みました。遅れたら、誓約を読めなくなると思っていました」


 陛下は、立ったまま聞いている。


「その日も、礼拝堂へ行きました。ですから、欠務なしと書かれたことは、間違っておりません」


 私は一度、息を継いだ。


「でも、あの朝は、誰かに来てほしかったです」


 隣で、マリエラさんが動いた。手を伸ばしかけ、私の手が開いているのを見て、椅子の上へ戻した。

 八つのときの床は冷たかった。ここで役目を言い渡され、塔へ行った。それから何年たっても、次の聖女が見つかる日を、私は知らなかった。


「これから同じ務めをなさる方に、いつ終わるか分からないまま、待たせないでください。休める日は、始める前に教えてください」


 陛下がうなずいた。


「同じ任を、次の一人へは渡さぬ。期限と休み、交替を決めずに誓約を結ばせることを、今日から禁ずる。決められぬ間の呪いは、わしら自身で受ける」


 私は、殿下も聞いていることを確かめた。

 クラウスさんが一枚を私へ渡す。受け取るとき、紙の端が少し震えた。自分の指だった。


 ◇


 補償は、十年間に受け取った手当とは別に、金貨五十枚と決まっていた。休みも交替もないまま続けさせた務めに対して、王家から支払う。今日の治療代を引くことも、これからの仕事を条件にすることもない。


「明日の出立までに、お渡しします」


 クラウスさんが言った。書面の末尾には、陛下の署名があった。

 私は、支払いを受けても王宮へ残る必要がないことを、自分の目で読んだ。マリエラさんも、横から同じ行を確かめる。


「受け取ります」


 陛下へそう答え、紙を畳んだ。

 八つの日の書面も、退任の書面も、鞄に入っている。今日の一枚をその隣へ収めた。帳面は、私が持って立った。

 扉まで、マリエラさんが隣を歩く。足音が二つ続くあいだ、誰からも呼び止められなかった。

 廊下へ出たところで、彼女が顔を寄せる。


「先生。お水を、持ってきましょうか」

「お願いします」


 窓の下の長椅子へ腰を下ろした。口の中が乾いていた。持ってきてもらった杯を、両手で受け取る。

 一口飲むと、マリエラさんが、私の隣へ座った。


「明日、帰れますね」

「はい」


 私は残りを飲んだ。もう少しここで休んでから、宿へ帰ろう。マリエラさんも鞄を下ろしたので、窓の外を一緒に見た。

面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。