第31話 ほどく前の図
「折り返した端を、ここへ挟むんだ」
伯父は、机の上の紐を広げた。上の輪を少し持ち上げると、その下へ端が二本並んでいた。
「上だけ引くと、下も締まる。妹には、そこを押さえろと言われた。何を先に抜くのだったかまでは、覚えていない」
「では、引かずにお願いいたします」
伯父の手が止まった。私は自分の紐を横へ置き、覚えているところまで同じように曲げる。外へ出していた端を内側へ戻すだけで、見える部分がずいぶん短くなった。
マリエラさんが、紙の隅へ二本の線を描いた。伯父の指に隠れていたほうを、長くしてくれる。
「結び図は、今日、拝見できますか」
「ああ。家にある。今からでも」
「お願いします」
伯父は紐をほどかず、紙にくるんだ。外套を着るとき、私の鞄へ手を伸ばしかけたので、自分で持ち上げる。伯父は手を下ろし、帽子を取った。
ヒルデさんへ、夕方までには戻ると伝えた。机に残していた湯呑みは、三つとも空だった。
◇
水車は、家が見えるより先に聞こえた。水が板へ当たり、少し間を置いて、また同じ音がする。道の端の土は湿っていたが、伯父は乾いた側を歩いた。
隣の家には低い塀があり、戸口の前に泥落としが置かれている。ここを通った覚えはなかった。伯父が鍵を出しているあいだに、私は靴底をこすった。
「今は、こちらにお一人で?」
「そうだ。前の家を畳んだとき、妹の荷物も、使わないものは引き取った」
中へ入ると、鳥が一度鳴いた。伯父は私の肩を見たが、何も言わず、机の椅子を二つ引く。窓の外に水車の端が見えた。
壁ぎわの戸棚から、平たい木箱が出てきた。蓋を開けると、紙の束と紐が入っている。細い紐の何本かには、途中に結び目が残っていた。
「こちらは、お使いになっているのですか」
「いや。仕舞ったままだった」
伯父は机を布で拭き、箱を置いた。埃は蓋の上だけだった。中の紙をめくると、薄い布を縫いつけた頁があり、紐の両端がそこへ留めてある。
紐を外そうとして、私は指を止めた。端の横に、小さな字で順番が書いてあった。先に左を取ると、見本が崩れる。
「これです。先ほどの折り返しは」
伯父が一枚を選んだ。図は四つ並んでいた。最初はただの輪で、二つ目には内へ返す端がある。三つ目で、その端が下の輪へ収まる。最後の図では、外側からは端がほとんど見えなかった。
私の紙にくるんだ紐を、三つ目の図の上へ置く。伯父が手を止めたところと合った。
「これより先は、私も教わっておりません」
「お前は、まだ小さかったからな。妹が教えていたのは、もっと手前だったと思う」
私は、図の端についた爪の跡を見た。線をたどるうちに、紙まで押した人がいたらしい。私にも、よくある。
マリエラさんが箱から紐を取る前に、伯父へ尋ねた。
「練習に、こちらを借りてもいいですか」
「使ってくれ。ほどけたものなら、どれでも」
一本出すと、短かった。もう一本を選ぶ。机の端から垂れた長さを見て、マリエラさんは椅子を少し離した。
「見えているところだけ真似すると、足りませんね」
「はい。私も、鳥の図を小さく描きすぎました」
帳面の余白には収まりそうになかったので、新しい紙を一枚出した。
◇
私は図の順に紐を曲げた。二つの端を交差させ、片方を内へ戻す。下の輪をつぶさず、折り返した部分をその間へ入れた。
締める前に、裏を見た。端は切れても消えてもいない。輪の内側に沿って、長く続いている。鳥の羽の下で見失ったところは、ここだった。
マリエラさんの紐も、同じ形になった。上を少し緩めると、下の端が動いた。
「こちらを押さえれば、見えますか」
「それです。抜かずに、上をよけてみてください」
指の置き場所を変えると、隠れていたところが出た。マリエラさんは動かした輪を戻し、もう一度、自分で同じところまで開いてみせた。
私はその指を見てから、図の下の文字を読んだ。ほどくときは下の折り返しを先に見つける。短く書いてあり、その下へ別の筆で、端を引くな、と添えてある。
最後の文字が、下へ長く伸びていた。
「この書き足しは、母の字ですね」
「ああ。よく間違えるところへ、書いていた」
「私には、何度も口で言ってくださいました」
伯父が笑いかけ、口を閉じた。私は紐を押さえたまま、書き足した字をもう一度見た。自分が教えるときには、紙より先に弟子の手へ触れていた。マリエラさんも、そのほうがよく止まる。
図の番号を、帳面へ控えた。家で使ってきた見本は四つある。母の書き足しは、そのうち三つ目の下だった。
私は鳥を手へ移した。羽の下をのぞくと、先ほど確かめた折り返しが見えた。練習の紐と交互に見て、押さえる場所へ指を添える。下の輪は動かさず、外側だけを少しよけた。
奥に、細い端があった。今まで見ていた部分よりも、きつく曲がっている。その曲がりを追う手前で、机の上が暗くなった。伯父が横からのぞいていた。
「伯父様。窓の前を、少し空けていただけますか」
「ああ、すまない」
伯父は椅子ごと離れた。手もとへ光が戻る。鳥は羽を一度動かしたが、糸を締めてはいない。
私は、見えた端の位置を覚えてから、輪を戻した。紐でもう一度、同じところを開く。指は、今度は迷わなかった。
「図を写しても、よろしいですか」
「持っていっていい。箱ごと」
「必要な二枚を、お借りします」
伯父は箱の蓋へ伸ばしていた手を止め、薄い板を二枚出した。紙を挟んで紐を掛ける。私の荷物へ収まる大きさだった。
残りの見本を片づけていると、底から小さな指袋が出てきた。紐を強く引いても指を擦らないよう、革を縫ったものだ。私の親指には入らなかった。
「それは、お前のだ」
「取っておいてくださったのですね」
「捨てるものとは、思わなかったから」
私は指袋の縫い目をなぞった。革は乾いて、曲げると細い皺が寄る。八つの指の幅を、今の指先で測った。
帳面の袋へ入れてから、図を受け取った。
◇
蹄鉄亭へ戻るころには、窓に夕日が当たっていた。ヒルデさんは借りてきた板を見て、食堂の端を空けてくれた。
「今度は、何の図だい」
「紐の結び方です」
「ほどく商売にも、要るんだね」
私はうなずき、食事の前に図を広げた。マリエラさんが明かりを寄せ、練習の紐を隣へ置く。伯父の家で確かめた順番を、二人でもう一度たどった。
鳥は私の左手にいる。羽の下へ指を入れ、上の輪をよけた。奥の端が、今度は曲がった先まで見えた。折る直前にひとねじりし、指の腹で押し伏せてある。家の図にはない癖だった。
私はそのねじれへ、右の人差し指を添えた。
まだ、送り主の欄へ書く前だった。
「マリエラさん。明かりを、もう少しこちらへ」
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