第28話 鳴かない階段
脇階段の入口には、横木が渡してあった。昨日の午後、下見に来た大工さんが置いたものだ。
朝の光が差すと、踏み板の割れ目が奥まで見えた。私は敷居の横に立ち、肩の鳥へ目をやる。昨日、マリエラさんに袖を引かれたときと同じように、目を閉じていた。
「先生。もう半歩、こちらへ」
マリエラさんの指さすところへよけた。大工さんが、長い材木を運びこんでくる。礼拝室を横切らず、庭から裏へ回すのだという。
レオンさんは庭で戸を押さえていた。昨日解いた右膝に、糸は戻っていない。立ったりしゃがんだりしても、震えなかった。
「その階段からは、誰も上がらないでくださいよ」
大工さんが私たちへ言った。庭には、運んできた丈夫な足場が組んである。屋根へ上がる道具も、そちらに置かれていた。
私は古い帳面を出し、脇階段の絵の横へ書き足した。板が傷んでいること。足をのせていなくても、沈んだ形が見えること。ここで鳥は鳴かないこと。
「危ないところなら、鳴くのかと思っていました」
マリエラさんが帳面をのぞく。
「私も、少し考えました。ですが、こちらでは鳴きません」
羽に触れると、棘が指の腹へ当たった。これが消えていないことも、いつもと同じだった。
大工さんが屋根へ上がる前に、私たちは戸棚のまわりを空けることになった。作業で古い天井を動かすので、しみの下に物を置かないよう言われたのだ。
「下見のとき、屋根の図も下ろしてもらいました。あとは、この箱だけです」
レオンさんが机の上を指した。カーヴェル家の書類を入れた箱もある。
私は蓋を開け、自分の名前のある束を取ろうとした。
「先生。それは、運んでからでも読めます」
「私のところだけ、先に」
「その下にも、誰かの書類があります」
マリエラさんに言われ、手を引いた。蓋を戻して、箱の両側を持つ。持ち上げると、思っていたより重かった。
マリエラさんが反対側を支えてくれた。
「これは二人で。残りは、もう一度来ましょう」
私は上へ重ねかけた小箱を、机へ戻した。フリーダさんが先に戸を開け、二人で運ぶ大きい箱を通してくれた。
◇
書類は、隣の小さな礼拝室へ移した。天井にしみがなく、窓も閉まる。長い机へ布を敷くと、箱を二つ並べられた。
レオンさんは下見のときに出した図を広げ、大工さんの助手へ見せている。古い脇階段と、いま使っている入口が、同じ紙に描かれていた。
私は、王宮から送ってもらった見取り図を隣へ置いた。
「古いほうの入口も、礼拝に使っていたんですね」
「ええ。昔は脇の道から来る人が多かったんです。上の小部屋でも、祈りをしていたそうで」
レオンさんが図を指でたどった。祈りに使っていた区画の線が、あの階段の外側を通っている。
王宮の図では、北の塔側の小道が、似たように含まれていた。私は二枚を見比べてから、古い帳面の絵を開いた。
「こちらで、少し確かめてもよろしいですか。壊れた階段へは上がりません」
レオンさんに許しをもらい、大工さんの通る道を避けて歩く。
礼拝室から脇階段の手前まで、鳥は黙っていた。傷んだ板の向こうを確かめる必要はない。引き返して、庭の端にある物置へ入る。
「いくな」
屋根は、あった。雨のしみも見当たらない。床の石は揃っていて、窓から日が入っていた。
マリエラさんが入口に立ち、図の位置を確かめる。
「ここは、線の外です」
「はい。中は、よく乾いておりますけれど」
祈りの区画へ戻ると、鳥は黙った。そこで帳面へ書く。安全そうに見える物置で鳴き、板の傷んだ階段では鳴かない。王宮の小道と同じく、建物の壁だけでは区切れない。
この図の線を、結んだ人も知っていたのだろうか。私は疑問の印を一つつけた。鳥に尋ねても、いつもの言葉しか返ってこない。
◇
昼前には、屋根を叩く音が止んだ。大工さんが下りてきて、レオンさんを庭へ呼ぶ。傷んだ板を何枚替えたか、下ろしたものを並べて説明していた。
脇階段の踏み板も、外されている。代わりの板をはめてから確かめるので、まだ横木は外さないという。
フリーダさんが修理代の紙を受け取り、父親の隣で読む。私たちは礼拝室の机へ戻り、移した箱の蓋を開けた。
家の控えには、入宮の日付だけを記した表紙と、母が署名した書面があった。一昨日見た名前を、私はもう一度たどった。
セルマ・カーヴェル。最後の文字が、下へ長く伸びている。
「お母さまの字ですか」
「はい。家で字を教わったとき、この最後を、うまく真似できませんでした」
自分で書いた母の名を、隣へ置いた。私のほうは、途中で止まっている。
母は病のために務めを退き、王都の親族の家へ移っていた。書面には療養先の住所と、世話をする親族の名前がある。その下に、娘を入宮させる際の付き添いとして、伯父の署名があった。
「母が休んでいたことは、覚えています。部屋へ入るとき、声を小さくするように言われました」
母の寝台のそばで、靴を揃えたことがあった。どちらを先に脱いだかまでは、覚えていない。紙に書かれた番地を見ても、その家の戸口は浮かんでこなかった。
伯父の当時の住所は、ミルデの西の水車のそばだった。王宮へ入ったあとの知らせも、こちらへ送ることになっている。
私は二つの住所を写した。母のところは王都。伯父のところは、この町から歩ける距離にある。
「レオンさんに、今も届くか伺いましょう」
マリエラさんが、紙の端を押さえてくれる。
私はうなずき、次の行へ目を移した。母の署名の上に、務めの期間が書かれている。
『次の聖女が見つかるまで』
八つの私の名前が、そのすぐ上にあった。終わりの日付は、ここにも記されていない。
私は鞄から退任の書面を出した。十年後の日付を隣へ並べると、マリエラさんは紙を押さえたまま、何も言わなかった。
外でレオンさんが、大工さんへ礼を言っている。踏み板がつき、屋根の穴も塞がったという。フリーダさんが机の前へ来て、紙を見た。
「少し、お一人でお読みになりますか」
「いえ。このままで、お願いします」
母の字を、もう一度読んだ。見つかるまで、のあとには、何も続いていなかった。
私は紙の余白に、入宮の年と、王宮を出た今年の年を書いた。書面を持っていた伯父なら、この一行を、どのように私へ説明したのだろう。
鞄へしまいかけていた筆を、机へ戻した。
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