第25話 光の届くところ
昼の鐘が鳴ってから、店先にもう一つ机を出した。エーミルさんは、薄い布を敷いた。小さな部品が転がらないよう、端を少し折り上げる。
「ここで直す分も、仕上げて納める代に入っている。余計な部品代は、払わんぞ」
ベルナーさんが、腕を組んで言った。レオンさんは、控えの紙を机へ置く。
「頼んだものができれば、お約束のお代を払います。違う部品を取り替える代は、こちらへ回さないでください」
「だが、正しい部品を渡してから壊したら」
「私が壊したら、私の仕事だ」
エーミルさんは、もう一度寸法を測った。
私はその右手を拝見する。一昨日の糸も、ほかの新しい糸もなかった。
「マリエラさんは、エーミルさんのそばをお願いします」
「はい。仕事が終わるまで、ここで祈ります」
エーミルさんは、細い工具を持った手を止めた。
「神殿の方なのか」
「先生の弟子です。これから来る糸を防ぐのは、できますので」
マリエラさんの手のまわりが、明るくなった。窓からの日とは違う、柔らかい光だった。エーミルさんは自分の指を見てから、錠前へ目を戻す。
「手もとが見えるなら、それでいい」
部品が、一つずつ収まっていく。ベルナーさんは店の入口へ立った。ニルスさんが小箱を片づけようとすると、何か短く言った。そのすぐあと、黒い糸が一本、机へ寄ってきた。
私は顔を上げた。糸はエーミルさんの右手へ向かい、光の手前で止まる。マリエラさんは祈る姿勢を崩さず、それを見ていた。
「新しく、一本来ています」
「ええ。まだ届いておりません」
宙にある糸へは、手を出さなかった。エーミルさんの工具は止まらない。薄い板を押さえ、二つの穴を合わせる。今度の部品は、端へぶつからずに入った。
レオンさんは机から少し離れて立っていた。覗きこむと影になると、マリエラさんに教わったからだ。
しばらくして、ベルナーさんが私の袖を引いた。
「こっちの指は、いつまでこうしておけばいい」
右の人差し指に、二十六番がある。
「解呪のご依頼でしたら、いま拝見できます」
「いくらだ」
「銅貨六枚です」
ベルナーさんは、部品の控えを見た。
「それを払えば、今日はもう」
「二十六番を解くお代です」
私は椅子を、光の届かない店の奥へ寄せた。マリエラさんの肩越しに、エーミルさんの手もとは見える。ベルナーさんは座った。鍵を折った指を、私へ差し出す。
「解いてくれ」
「はい」
小箱の鍵の話も、部品の払いの話も、ここではしなかった。
端をひねったところへ指を入れる。午前中にニルスさんからお返しした形が、そのまま指に残っている。ベルナーさんは、店先の錠前を見ていた。エーミルさんの鑢が、小さく鳴る。
私が最後の端を抜くと、二十六番は消えた。ベルナーさんは人差し指を伸ばし、曲げてから、財布を出した。六枚のうち一枚が、椅子の上へ落ちた。
「これは、呪いじゃないだろうな」
「その指の糸は、消えております」
ベルナーさんは自分で拾った。
帳面の二十六番へ、解呪を追記する。書き終わって店先へ戻ると、錠前の蓋が閉じられるところだった。マリエラさんの額に、髪が一本張りついている。両手は、まだ胸の前にあった。
「あと、どれくらいでしょう」
「これを締めて、鍵を試すだけだ」
エーミルさんが、最後のねじへ工具を当てた。
光の外では、黒い糸が同じところに留まっている。ベルナーさんが店先へ戻っても、そちらへ帰る様子はなかった。ニルスさんが私の横へ来た。
「さっき、指が滑れって、言ってましたよ」
声を落として、主人のほうを見る。ベルナーさんは、口を曲げた。
「指が少し滑るくらいで壊れるものなら、どのみち使えまい」
「いまは、滑っておりません」
エーミルさんの手で、鍵が回った。かちりと、掛け金の出る音がした。反対へ回すと、戻る。もう一度回しても、鍵は折れなかった。レオンさんが、息を吐いた。
「これで、明日付けられますな」
「ああ」
エーミルさんは鍵を抜き、机へ置いた。
マリエラさんは、まだ手を下ろさない。
「もう少しだけ、お待ちください。私が祈りをやめると、止めていた糸が届くことがあります」
エーミルさんの手が、工具の上で止まった。
「今の、指が滑るってやつか」
「そうおっしゃっていました。ただ、まだ糸の中は読めません。届いたら、先生に見ていただきます」
マリエラさんは私を見た。
私は椅子を隣へ寄せる。
「工具を置き、手を机の上へ。届いたあと、すぐ拝見してよろしいですか」
エーミルさんは、錠前をレオンさんへ渡した。尖った道具を革の袋へしまい、袋も椅子の下へ下ろす。
「頼む。明日まで、その人を座らせておくわけにもいかん」
マリエラさんがうなずいた。
「では、終えます」
明るさが薄れた。宙に留まっていた糸が下りて、エーミルさんの親指と人差し指へ巻きつく。机の端の布を押さえていた指が、つるりと滑った。私は手首を支え、結び目を見た。二度ねじった端が、輪の下へ入っている。指の内側をたどり、内容と癖を確かめた。
「二十七番。エーミルさん宛。『指が滑れ』。送り主、ベルナーさんです」
ニルスさんの言葉と、同じだった。
「こちらも、お返ししますか。解きますか」
「解いてくれ。明日の鍵は、自分で付けたい」
お代を告げ、うなずくのを待ってから、端を戻す。
マリエラさんは祈らず、私の膝へ帳面を開いてくれた。二十七番を書く頁だった。
糸が消えると、エーミルさんは机の布をつまんだ。今度は、つまんだところが持ち上がる。指を離してから、もう一度、同じところをつかんだ。
「これで、いい」
銅貨六枚を受け取り、処置の欄まで埋める。マリエラさんは両手を膝へ下ろした。私が水を差し出すと、二口続けて飲んだ。
「手を、休めてください」
「はい。今日は、あとに糸を残さずに済みました」
レオンさんが、錠前を包みなおしている。ベルナーさんは机の上の小箱を取った。指にはもう糸がない。蓋を閉めると、今度はニルスさんへ鍵を渡した。レオンさんは部品の控えを受け取り、私たちへ向きなおる。
「今日の立ち会いと、祈っていただいた分も、お支払いします。明日の戸棚のところで、一緒に確かめてもよろしいですか」
私の立ち会いは銅貨六枚。マリエラさんの祈りは、本人が四枚と決めた。レオンさんは、それぞれの額を紙へ書いた。
「それでは明日、礼拝堂で。カーヴェル家の控えも、出しましょう」
新しい鍵が、紙の上へ置かれた。今度は、先まで一本につながっていた。
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