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ファンタジー小説だった気がします

追放された聖女ですが、回復魔法があれば筋トレし放題だと気づきました

作者: 堀吉 蔵人
掲載日:2026/10/03

「本日をもって、あなたの聖女としての任を解きます」


 大神殿の謁見室で、神殿長ベルナールはそう言った。声はいつも通り穏やかで、机には書類が三枚と、小さな革袋が置かれていた。


「新たな聖女リリアが正式に認定されました。王家とも協議しましたが、聖女が二人並び立つことは余計な混乱を招きます。あなたには今日中に神殿を離れていただきます」

「今日中に、ですか」

「はい。これまでの奉仕には感謝しています。こちらは当面の生活費として」


 押し出された革袋の中で、硬貨が触れ合った。アニエスは手を伸ばしかけ、膝へ戻した。八歳から十二年間暮らしてきた場所を、今日中に出る。明日の宿も仕事も、何も決まっていなかった。


「何か質問はありますか」

「はい。もう、走ってもいいのでしょうか」

「……走る?」

「外を。転んでも、叱られませんか?」


 書類を揃えていたベルナールの手が止まった。アニエスは返事を待ちながら、白い靴のつま先を動かした。

 聖女は駆け回ってはいけない。肌に傷を作ってはいけない。木登りも川遊びも、重い物を持つことも禁じられ、剣などもってのほかだった。八歳のころ、一度だけ侍女の子供たちと鬼ごっこをして転んだ。肘の擦り傷はすぐ自分で治したが、三人の神官に囲まれて一時間説教され、それ以来、走っていない。


「もう聖女ではありませんから、神殿があなたの行動へ口を出す理由はありません」

「そうですか。では、走ってもいいのですね」

「……はい」


 アニエスは革袋を受け取り、椅子から立った。白い靴は汚れひとつなく、底も薄い。外を走って、破れたりはしないだろうか。


「長い間、お世話になりました」


 ベルナールは口を開きかけ、形式通りの祝福を告げた。アニエスは頭を下げて謁見室を出ると、廊下をいつもより少し大股で歩いた。


 ◇


 荷造りは十分もかからなかった。白い聖衣も祈祷書も銀の髪飾りも借り物で、自分のものは下着と簡素な普段着、それに数冊の本くらいしかない。鞄の口を閉じたところで扉が叩かれた。


「アニエス様」


 入ってきたのはリリアだった。十六歳、アニエスより四つ下で、長い金髪を背へ流している。神託と広域浄化の力を持ち、神殿が長く待ち望んでいた聖女の白衣は、まだ折り目が残っていた。


「ごめんなさい。私が認定されたから、アニエス様が」

「あなたが決めたことではないでしょう」

「でも」

「それに、もう様はいりませんよ」


 リリアはますます泣きそうな顔になった。泣いている人間を治す魔法は持っていない。アニエスは、いつも患者にするように少しだけ笑った。


「十二年もいましたから、外へ出てみるのも悪くないと思います」

「外で、何をなさるのですか」


 アニエスは鞄へ目を落とした。朝起きる時間も、読む本も、着る服も、ほとんど神殿が決めてきた。鞄の中を思い浮かべても、何をするのか答えは出てこなかった。


「まだ、分かりません」


 リリアはしばらく黙り、背中に隠していた包みを差し出した。茶色い革のブーツだった。飾りはなく、足首より少し上まで覆う、厚い底がついている。


「外の人は、たくさん歩くと聞きましたから」

「私に?」

「はい。サイズは、たぶん」


 履いてみると、足首の革が少し硬かった。アニエスは紐を結び、その場で足踏みをした。白い靴では感じなかった重みがある。


「ありがとうございます。これなら走れそうです」

「走るのですか?」

「はい。許可をいただいたので」


 リリアがブーツへ目を落とした。アニエスはもう一度足踏みをしてから鞄を持った。白い靴は揃えて、部屋に残した。

 裏門まで見送りに来たリリアへ手を振ると、門番が「聖女様」と呼びかけ、途中で口を閉じた。門の外は、町まで続く長い坂道だった。その途中を二人の子供が走っている。追いつき、追い越し、笑いながら腕を振っていた。

 アニエスは左右を見た。神官も侍女もいない。ブーツの底で石畳を蹴り、歩くより少し速く進んでみた。鞄が脇腹に跳ね、顔に当たる風が強くなる。


「……あ」


 口元が緩んだ。もう少し足を速めると、子供たちの背中が近くなった。ところが、そこまでだった。胸が苦しくなり、脚が重くなる。それでもあと少しと走って、石に躓いた。

 膝と手のひらを擦りむいた。痛むところを確かめるより先に、肩をすくめていた。数秒待っても叱る声はなく、振り返った子供が「大丈夫?」と聞いただけだった。


「あ……はい。大丈夫です」


 アニエスは膝へ手を当てた。淡い光が広がり、擦り傷が消える。ついでに張ったふくらはぎも治すと、立ち上がったときの脚の重さまで抜けていた。

 少し走り、疲れたところでまた治した。息が整うのを待って走り出すと、今度はさっきより先まで行ける。三度ほど繰り返し、アニエスは自分の脚を見下ろした。


「……疲れたら治せば、ずっと走れるのでは?」


 顔を上げると、子供たちは脇道へ入っていくところだった。アニエスは鞄を抱え直し、その先の坂を駆け下りた。


 ◇


 歩けば半日かかると聞いていた道を下り、城門へ着いたのは昼前だった。兵士はアニエスの来た方角を見て、背後に馬車でもいないか確かめた。


「神殿から一人で?」

「はい。途中から走りました」

「走って?」

「何度か治しながら」


 兵士が黙ったので、アニエスは会釈して町へ入った。直後に腹が大きく鳴った。こちらは魔法を使っても変わらない。

 食堂で昼食を取り、宿屋で一泊の値段を聞いた。革袋の中身を数えてみると、食事と寝床に払えば、そう長くはもたない額だった。求人には読み書き、荷運び、料理、洗濯などが並んでいる。読み書きはできる。料理と洗濯はしたことがなく、荷運びは鞄一つで肩が痛くなったので難しそうだった。

 剣と盾の看板が目に入った。冒険者ギルドと書かれた建物の扉は開いていて、奥の受付に人がいる。アニエスは革袋をしまって中へ入った。


「登録ですか?」

「仕事を探しています」

「得意なことは?」

「回復魔法です」

「どの程度の?」

「骨折なら、場所にもよりますが数分ほどで。切断は、時間が経っていなければつなげられます。毒は種類によります」


 受付の女性は記入しかけた用紙を置き、奥から別の職員を呼んだ。熱を出した子供も、馬から落ちた騎士も、包丁で指を切った料理人も、神殿ではアニエスが治していた。大きな結界や広域の浄化は不得手だが、傷を塞ぎ、折れた骨をつなぐ仕事なら十二年続けている。


「治癒術師でしたら、すぐご紹介できる依頼があります。前へ出る必要はありません。護衛や討伐隊の後方支援ですね」

「そうなのですね」


 提示された報酬なら、宿代と食費を払っても残る。登録用紙へ手を伸ばしたとき、奥の訓練場で大きな音がした。

 男が丸太を下ろし、隣では女性が剣を振っている。別の冒険者は、何度もしゃがんでは立ち上がっていた。アニエスの手が用紙の手前で止まった。


「あちらは何をしているのですか」

「前衛の方々の訓練です。身体を鍛えたり、武器の練習をしたり」

「私も、あちらをやりたいです」

「……前衛を、ですか?」

「はい」


 近くで聞いていた女冒険者が吹き出した。短い黒髪に広い肩、手には大きなメイスを持っている。マルタと名乗った女は、訓練場へアニエスを招き、木剣を渡した。


「まあ、やってみりゃ分かるだろ。ほら」

「重いですね」

「そのくらいなら軽い方だ」


 両手で振り上げると、木剣に身体ごと引かれてよろけた。次に腕立て伏せをやらされた。四回までは上がったが、五回目は床へ顔を近づけたまま動けなかった。


「……おかしいですね」

「おかしくねえ。普通に弱いだけだ」

「どうすれば強くなれますか?」

「まず身体作りからだな」


 教わったのは走り込み、しゃがんで立つ運動、腕立て伏せ、木剣の素振りだった。姿勢を崩さないこと、無理に回数を増やさないこと。マルタはそのたびに腰や足の位置を直した。


「それと、身体を休ませる日も作れ。休んでる間に強くなるんだ。明日は筋肉痛だぞ」

「筋肉痛」

「痛くて動けなくなることもある」


 その日の夕方には、椅子から立つだけで太腿が震えた。腕を上げると肩まで痛い。アニエスは片方ずつ腕を動かし、どこが痛むのか確かめた。


「すごいですね。こんなところまで痛くなるんですね」

「喜ぶな。今日はここまでだ」


 アニエスは腕へ回復魔法をかけた。脚も治して立ち上がると、先ほどのようには震えない。肩を回し、膝を曲げ伸ばしした。


「治りました」

「そりゃ治癒術師なんだから治るだろ。ほら、宿戻って寝ろ」

「では、もう一度できますね」

「何を?」


 アニエスは床へ手をつき、腕立て伏せを始めた。四回を過ぎても腕は上がり、五回目までできた。


「待て。身体は休ませろって言っただろ」

「傷んだところが治るまで、ですよね?」

「まあ、ざっくり言えば」

「治しました」


 マルタが口を開けたまま、アニエスの腕を見た。アニエスはもう一度回復魔法を使い、床へ向き直った。今度は六回目で腰が反った。


「腰を落とすな」

「はい」


 手が出てきて、腰の位置を直された。アニエスは姿勢を覚え直して続けた。


 ◇


 止まったのは、何度目かの回復を使おうとしたときだった。手のひらが光らない。もう一度試しても駄目で、アニエスは訓練場の床へ座り込んだ。


「光りません」

「魔力切れだ。ほら見ろ、限界あるじゃないか」


 マルタは壁に預けていた鞄を取り、アニエスの隣へ置いた。アニエスは汗を拭いながら、自分の手を開いたり握ったりした。


「では、魔力を増やせばもっとできますね」

「そっちへ行くのか?」


 翌日、アニエスはギルドの治癒術師から、魔力量を増やすための循環法を教わった。走り込みや筋力訓練の合間に、それも練習することにした。

 朝は走り、腕や脚を動かせなくなるまで鍛え、回復してまた続ける。魔力を使い切ればその日は終わりだった。夕食の量が増え、宿では寝台に横になると朝まで目が覚めなかった。朝食を済ませると、マルタが来る前から訓練場で待った。

 二日目には軽い鉄剣を振り、三日目には砂袋を持ち上げ、四日目には丸太を担いだ。五日目、いつもの重りがなくなっていたので探していると、マルタに呼び止められた。


「今日はそれ以上重くするな」

「持てるようになったのですが」

「持てるのと振り回せるのは別だ」


 その日は素振りをさせられた。振り下ろすところまではよかったが、途中で止めろと言われると身体ごと前へ出てしまう。マルタに直され、同じところでまたよろけた。

 六日目、倉庫で大きな鉄塊を見つけた。今度は振り回さず、抱えて訓練場へ運んだ。マルタが近づいてきて、鉄塊ではなくアニエスの腕をつまんだ。


「細いな」

「昔から太りにくいんです」

「いや、そうじゃなくてだな」


 腕は神殿を出た日とほとんど変わらない。アニエスが鉄塊を下ろすと、足元に鈍い振動が伝わった。近くの冒険者が持ち上げようと両手をかけ、姿勢を変えて、もう一度力を込めた。


「倉庫から運んできたのか、これ」

「はい。元の場所へ戻した方がいいですか?」


 返事を待つ間に持ち上げると、冒険者は手を引っ込めた。マルタは治癒術師を呼んできたが、腕にも脚にも異常は見つからなかった。


「普段、何をしているんです?」

「鍛えて、治して、また鍛えています」

「それを一日に何回?」


 アニエスは指を折り、途中で数え直した。治癒術師は最後まで聞いてからマルタを見たが、マルタも肩をすくめただけだった。

 力はついた。だが木剣を持ってマルタと向き合うと、一度も当てられなかった。踏み込めば脇へ回られ、振り向く前に肩を叩かれる。打ち込もうとした剣を止めきれず、土だけをえぐった。


「力だけなら新人じゃない。でも、戦い方を知らない奴を前には出せない」

「はい。練習します」

「その前に、実戦を見てこい。街道護衛に回復役が一人足りない」

「前衛ではないんですね」

「まずは見る方だ。治療は頼むぞ」

「はい。よく見ます」


 アニエスは木剣の先の土を払った。七日目の朝、治癒術師として初めての依頼に出ることになった。


 ◇


 荷馬車が三台、護衛の冒険者が六人。アニエスは最後尾を歩き、前を行くマルタの足元を見ていた。小型の魔物が二度出たが、前衛がすぐに追い払った。相手が動くたびに立つ場所が変わるので、訓練場で見ていたときより忙しい。

 途中、一人が腕を切った。アニエスが傷へ手を当てると、十数秒で塞がった。治療を受けた冒険者は袖をまくったまま、傷のあった場所を指で撫でた。


「……速いな」

「浅い傷ですから」

「いや、普通はもっとかかるんだが」


 血を拭けば傷跡も見えない。アニエスは腕を曲げ伸ばししてもらい、痛みがないことを確かめて後ろへ戻った。

 昼を少し過ぎたころ、森から鳥が一斉に飛び立った。マルタが足を止めた直後、地面が揺れた。


「馬車を止めろ!」


 木々の間から出てきたのは、アニエスの倍以上も背丈のある魔物だった。灰色の皮膚に太い腕、その手に棍棒を握っている。


「オーガ? こんな街道に出る奴じゃねえぞ」


 マルタたちが馬車の前へ出た。横薙ぎの棍棒をマルタがメイスで受け、踏ん張った足ごと浮かされた。身体が街道の端へ飛び、手を離れたメイスは馬車の近くを転がった。


「マルタさん!」


 追おうとしたアニエスの前へ、別の冒険者がよろけてきた。棍棒を受けた腕が、曲がってはいけない向きに折れている。アニエスはその身体を支え、荷馬車の陰へ引いた。ずれた骨を戻して魔法をかける間も、棍棒が地面を叩く音が聞こえた。

 治療を終えた男が、反対の手で剣を拾った。その先では御者が馬を押さえ、別の冒険者が荷台の人間を下ろしていた。マルタは街道の端で片膝をついたまま、立てずにいる。オーガがそちらから馬車へ向き直った。

 アニエスの足元に大型メイスがあった。柄を握り、荷馬車の陰から出た。


「待て! お前は後ろにいろ!」

「でも、今は私が一番近いです」


 メイスを両手で持ち上げ、オーガと馬車の間へ踏み込んだ。重いが、持てる。倉庫から運んだ鉄塊よりはずっと軽かった。

 膝を狙って振った一撃は、相手が足を引いたため浅く当たった。止めきれないメイスに腕を引かれ、肩と手首へ痛みが走る。五日目の素振りと同じだった。アニエスはメイスの先を地面につけ、肩から手首へ回復魔法を通した。

 光が消えるより先に、棍棒が振り下ろされた。横へ跳ぶと、つい先ほどまで足のあった場所が潰れ、飛んできた土が頬を叩いた。アニエスはメイスを握り直した。手首は動いたが、柄に汗がついて滑りそうだった。


「まだ振れます」

「治るからって正面に立つな!」


 マルタの声に、足をずらした。オーガが棍棒を引き抜こうとしている。今なら腕が届く。アニエスは踏み込みかけ、肩を痛めたばかりの動きを途中で緩めた。

 相手の腕が上がった。加減をしていては、棍棒をもう一度振られる。治した肩は動く。脚にもまだ力が入る。

 ブーツの底を地面へ押しつけ、今度は踏み切った。太腿の奥が軋むほど力を乗せ、大型メイスを横から振り抜く。鉄の塊がオーガの前腕に入り、太い腕を棍棒ごと外へ弾いた。

 オーガがよろけた。アニエスも右膝をついたが、脚へ魔法をかけ、すぐ立ち上がった。腕を弾かれたオーガが、吠えながら真正面から突っ込んできた。

 棍棒を見るのに気を取られ、肩が迫っているのに気づくのが遅れた。避けきれず、街道を何度も転がった。左の肋骨と肩が痛み、息を吸おうとしても入ってこない。

 胸へ手を当てた。光が指の間から広がると、詰まっていた息が細く抜けた。もう一度吸い、咳き込みながら身を起こす。腕を上げても骨の痛みは戻らなかった。


「……こっちは、練習と違いますね」

「だから最初からそう言ってるだろ!」


 マルタが立とうとして、また膝をついた。アニエスは近くに落ちたメイスへ手を伸ばした。オーガが向きを変える。背を向けて逃げれば、馬車まで戻る前に追いつかれる。

 アニエスは柄を両手で握り、立ち上がった。足の位置を直し、腕だけで持ち上げないように腰を落とす。訓練場で何度も直された形だった。

 オーガが踏み込んできた。棍棒が上がる。アニエスはその腕ではなく、近づいてくる巨体を見た。届くところまで来た瞬間、脚で地面を蹴り、腰を回してメイスを振り上げた。

 鉄塊が横から顎へ入った。柄が手のひらに食い込み、肩の奥が熱くなったが、止めずに振り抜いた。オーガの足が地面を離れ、街道脇へ巨体が吹き飛んだ。土を削って止まり、動かなくなった。

 アニエスはメイスに寄りかかって息を吐いた。震える腕を治し、手を握ったり開いたりする。マルタが名を呼ぶ声に顔を上げ、それから武器を見下ろした。


「重い武器は、いいですね」

「感想そこかよ……」


 アニエスはマルタのところへ向かい、メイスを傍らに置いた。膝をついて痛めたところへ手を当てると、マルタも黙って治療を受けた。


 ◇


 ギルドの受付で、討伐報告書が三度読み返された。アニエスは大型メイスを足元に立て、名前を呼ばれるのを待っていた。


「オーガを倒したのは、マルタさんではなく?」

「そっちの細いの」


 受付の視線が、アニエスの腕からメイスへ移った。アニエスは柄を差し出した。


「お借りしました」

「気に入ったのは分かったから、そろそろ返せ」

「はい」


 武器を返すと、空いた手へ硬貨が載せられた。護衛報酬、討伐報酬、それに治療をした分。受付は内訳を示し、アニエスの前へ受領の用紙を置いた。


「これを、全部いただけるのですか」

「そうだよ。お前が働いた分だ」


 アニエスは硬貨を机に置き直して、名前を書いた。最後の一枚を革袋へ入れても、まだ手のひらに重さが残っていた。宿代を払える。明日の食事も取れる。その先まで数えて、袋の口を閉じた。


「武器は、どこで買うのでしょうか」

「飯と宿代は残せよ」

「それは数えました」


 マルタは革袋を一度見てから、武器屋のある通りを教えた。ただし買うときは一緒に行く、と付け足した。

 その夕方、神殿から使者が来た。リリアは浄化と結界に優れているが、治療の経験はまだ浅い。神殿付属の施療院で、治癒術師として働かないかという話だった。

 住居がつき、給金も出る。聖女としての制約はなく、十二年間の経験に応じた待遇を保証するという。使者は条件を書いた紙を差し出した。


「あなたの力を最も生かせる場所だと考えています」


 アニエスは提示された額を確かめた。今日のような依頼を、何度受ければこれだけになるのだろう。神殿の部屋は暖かく、食事にも困らない。紙から目を上げると、マルタは口を挟まずに待っていた。


「ありがとうございます。でも、お断りします」

「理由を伺っても?」

「私、やってみたいことを見つけたんです」

「それは?」


 アニエスは冒険者証を取り出し、使者へ見せた。


「前衛です」

「……前衛」

「まだ候補な」

「では、前衛候補です」


 使者は冒険者証と、その下の細い手首を交互に見た。アニエスが証をしまっても、次の言葉は出てこなかった。


「……リリア様には、そのようにお伝えします」

「お願いします。ブーツがとても役に立っていることも」


 使者の目が足元へ落ちた。土で汚れ、つま先に擦り傷のついたブーツだった。アニエスは裾で隠しかけた足を、そのままにした。

 使者を見送ると、マルタが訓練場へ歩き出した。アニエスもその横へ並んだ。


「前衛になりたいなら、次は技術だ。力任せに振ってちゃ、そのうち当たらない奴が出てくるぞ」

「分かりました。剣術も習います」

「そうしろ」

「槍も良さそうですね」

「まず一つにしろ」


 頷きかけて、アニエスは訓練場の隅を見た。大きな木材の先に鉄を巻いた道具が置いてある。横には、数人で持つための取っ手がついていた。


「ところで、あれは何ですか?」

「攻城訓練用の破城槌だ。お前が振り回すもんじゃない」

「重いですか?」

「そこに食いつくな」


 アニエスが近づこうとすると、後ろから襟を掴まれた。手を伸ばしても、取っ手へは少し届かなかった。


「今日は休め」

「でも回復すれば――」

「今日は休め!」

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