第21話 一人分のパン
礼拝堂の扉を、マリエラさんが押さえていた。私は小道を、もう少しだけ歩いた。北の塔の壁に沿って敷石が続き、途中から細い道が分かれている。その先には、中庭の噴水が見えた。
そちらへ一歩出たところで、鳥が目を開けた。
「いくな」
足を戻すと、黙った。扉からは、もう何歩も離れている。足もとの石を見たが、線が引かれているわけでもなかった。敷石の端に、細い草が一本生えていた。
「そこから、ですか」
「はい。扉のところでは、ありませんでした」
マリエラさんが、道の曲がり角を見ている。私も一度だけ歩きなおし、同じ草の横で声を聞いた。
古い帳面へ、小道の形を描く。扉と曲がり角のあいだが何歩だったか数えて、書き添えた。塔へ向かう先までは、今日は行かない。
「もっと確かめますか」
「今日は、ここまでにします。パンがつぶれますので」
鞄の上で、包みが看板に押されていた。マリエラさんが持ち上げて、板の反対側へ入れなおしてくれる。
来た道を戻り、礼拝堂を通り抜けた。中庭側へ出ると、鳥がまた鳴く。今度は、戻らなかった。
◇
門の詰所で、紙を一枚もらった。クラウスさん宛に、昔の礼拝堂の見取り図を見たいと書く。私が王宮へ入ったときの書類も、私に関わるところだけでいい。分かったことは、ミルデの蹄鉄亭へ知らせてほしい。
紙を二つに折ってから、ボルツさんへ渡した。
「お手すきのときに、お届けいただけますか」
「ああ。あの使者殿なら、まだ中にいる。返事を待っていくかい」
「いえ。宿へお願いいたします」
ボルツさんは、紙を詰所の棚に置いた。私の鞄には、帳面が二冊とも入っている。
門の掲示には、今朝の書面の写しが貼られていた。風で下がめくれかけるたび、別の番兵さんが押さえている。私の名前の下へ、釘が一本増えた。
「これで、看板まで取り上げられやしないな」
「それは困ります。ヒルデさんにいただいた板ですから」
「そうだな。王宮の備品じゃない」
ボルツさんが、板の裏の薄い字を見て笑った。
マリエラさんは、門の外まで来た。午後の祈りの時間には、まだ少し間があるのだという。
「明後日まで、三日です」
「はい。その次の日の夕方、蹄鉄亭で」
「先生が先に着いていたら、煮込みを残してもらってください」
「二人分、ですね」
マリエラさんはうなずいて、私の鞄の紐へ手を伸ばしかけた。それから手を引き、自分の小さな帳面を押さえる。
「ほどき方は、覚えていますか」
「こちらの端です」
指で示すと、ようやく笑った。私は東へ歩きだし、少し進んで振り返った。マリエラさんはまだ門の前にいて、両手を振ったあと、中へ戻っていった。
看板が、片方へ傾いた。いつもなら隣から手が出るところを、自分で持ち直す。紐を肩へかけなおすと、今度は鞄が脇腹へ当たった。全部を同じ側へ寄せるのは、よくないらしい。道ばたで一度、荷物を下ろした。
◇
その晩の宿は、小さな井戸のそばにあった。まだ空は明るかったが、次の宿までの道を聞くと、主人は私の靴を見た。
「歩くなら、暗くなるよ」
「では、こちらに泊まります」
寝台のある部屋と、朝のパン。夕食は別だと言われたので、それぞれの値段を尋ねた。主人は壁の札を指さし、私が読み終わるまで待ってくれた。
食堂には、長い机が二つあった。私は端へ座り、看板を足もとへ立てかける。
「煮込みを、二つ――」
主人の手が、お椀を二つ取る。
「一つです。失礼いたしました」
「連れは、あとからかい」
「三日後に会います」
「じゃあ、その分はよそっとけないな」
一つのお椀が、前へ置かれた。ボルツさんのパンを半分食べ、残りを包みなおす。包みの中に小さな塩の粒が落ちていたので、指先につけて煮込みへ入れた。向かいの椅子には、誰も座らなかった。
隣の客が食べ終わると、給仕の女の人が皿を重ねて運んでいく。私もお椀を机の端へ寄せ、財布を出した。お釣りを受け取り、一枚ずつ数える。
朝のパンも先に払うつもりだったが、夕食の代しか引かれていなかった。朝の分もお願いしますと伝え、銅貨を一枚戻す。
「帳面につけるかい」
「つけます。ただ、これは別のところへ」
新しい呪いの番号を増やす必要はない。余った紙の端に、部屋と食事の代を書いた。
二階の部屋で荷をほどくときには、ちゃんと教わった端を引いた。一度でほどけた紐を、机へ広げておく。窓からは、井戸の屋根が見えた。桶を置く音が聞こえ、やがて聞こえなくなる。寝台の端に鞄を置き、私は靴を脱いだ。
翌朝は、誓約を読んでいた時刻に目が覚めた。すぐには立たず、窓が明るくなるまで布団をかけていた。下で戸を開ける音がしてから、顔を洗いに行く。朝のパンは、初めから一人分を頼んだ。
◇
ミルデに着いたのは、次の夕方だった。門から続く通りは、荷馬車で狭くなっている。車輪の脇を抜けると、傾いた蹄鉄の看板が見えた。戸口の横には、私の看板を立てていた場所が空いていた。
ヒルデさんが、敷石へ水を撒いている。私の靴の前まで水が来て、それから桶が止まった。
「おかえり」
鞄を持った手が、下がった。
「……ただいま、戻りました」
「うん。そっちの板も、戻しとくれ」
言われた場所へ立てると、ちょうど収まった。下の石も、前と同じものだった。ヒルデさんは私の後ろを見た。
「もう一人は?」
「王宮で、三日だけ仕事をしています。明後日の夕方に来ます」
「じゃあ、今夜は一人か。部屋は前と同じでいいね」
「はい。明後日の煮込みは、二人分お願いいたします」
「今日の分は?」
「一人分です」
ヒルデさんが笑い、桶を中へ運んだ。私は看板についた街道の埃を払う。古い品書きの側も拭いて、表へ返した。
通りの向こうで、戸が開く音がした。黄金の杯の下に、ディルクさんが立っている。私を見て、看板を見た。襟もとへ手をやってから、荷馬車が通り過ぎるのを待つ。以前は通りのこちらまで響いた声が、今日はしない。
ディルクさんは道を渡り、私の前で立ち止まった。
「戻ったんだな」
「はい」
「ヒルデには、前に」
「伺っております。次に寄ったとき、というお約束でしたね」
ヒルデさんは戸口で桶を逆さにした。残っていた水が、少しだけ流れ出る。
「椅子なら、そこにあるよ」
ディルクさんは自分で椅子を引いた。喉へ置いていた手を膝へ下ろし、腰の財布を外す。口を開けたまま、私の返事を待っていた。
「……解く代を、先に聞いてもいいか」
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