↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】聖女様がいらしたので、身代わりはもう不要だそうです。では、十年分の呪いをお返ししますね。  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/26

第18話 二百六十一番

 

 侯爵は、寝室の戸口で足を止めた。


 私を見て、膝の上の帳面を見る。左の頬へ当てた絹の布が、一度だけ下がった。


「……陛下。お加減は」


 布は、すぐ元へ戻った。


「悪い。そこへ座れ」


 医師が椅子を引いた。侯爵は寝台の脇へ寄ろうとしたが、椅子は窓の側に置かれた。陛下の右手が、よく見えるところだ。


 部屋には魔術師長と、記録の紙を持ったクラウスさんもいる。さきほどまでいた神官は、扉の外へ下がっていた。


「王都には、いつお戻りになりましたか」


 クラウスさんが尋ねた。


「昨日の昼だ。それが何か」

「承りました」


 侯爵は、答えを書きつけるペンを見た。それから、私の腰の袋を見る。


 私は古い帳面を膝の上へ置きなおした。二百六十一番の頁は、開いたままだ。


「陛下。お手を」


 医師が右腕の下へ、細く畳んだ布を敷いてくれた。汗で肌が湿っている。手首に巻いた糸が、脈のたびに上下した。


 一番上の細い糸を、指の背でよける。その下の輪を横へ送ると、奥にある固い結び目が見えた。


「二百六十一番。二年前の夏、陛下宛」


 そこで、帳面に控えてある日付と、届いたのがその日の夜だったことを告げた。


「内容は、『熱を出して寝込め』です」


 侯爵の右手が、椅子の肘掛けをつかんだ。


「その年は――」


 陛下が顔を向ける。


「何だ」

「いえ。暑い夏でございましたので、陛下もお体を崩されたことがあったかと」

「二年前には、寝込んでおらん」


 陛下は、私の手首へ目を移した。袖の先から、何も巻かれていない肌が出ている。


「そのころは、お前が預かっていたのか」

「はい。腕の、ここに」


 私は、自分の右手首の内側を指した。


「届いたときの形を、帳面に描いてございます。端を内側へ折りこみ、上から押さえてあります」


 帳面を少し傾けると、マリエラさんがのぞきこんだ。


「……頬の糸と、似ています」


 侯爵は、絹の布を頬へ強く押し当てた。


「似ているだけで、何が分かる。貴族の名を、そのような――」

「マリエラさんは、お名前を読んではおりません」


 私は、陛下の手首の結び目へ指を戻した。


「私が、いま読んでおります」


 結び目の奥に、癖がある。折りこんだ端を押さえつける、あの手だ。林で、隊長さんの頬から読んだものと同じだった。


 陛下が、クラウスさんへ顔を向けた。


「いまの日付の記録を持て。あの夏は、官職の任命を行った」


 クラウスさんが、紙の端へ日付を写した。扉の外の者に渡すと、すぐ戻ってくる。


 侯爵は、足を組みかけてやめた。革靴の先が、絨毯の縁をこする。


 医師が陛下に水を勧めた。陛下は半分ほど飲んで、杯を返す。空いたほうの手で、胸もとの夜着を少し緩めた。


 待っている間、私は熱の糸に重なっているものを、一本ずつ確かめた。返すときに巻きこまないよう、結び目の位置を指で覚えておく。


 マリエラさんが、帳面を置く台を近くへ寄せてくれた。私が頁の角にのせていた小石を見て、クラウスさんが文鎮を差し出す。


「お使いください」

「ありがとうございます」


 小石を袋へ戻す。リーデの井戸のそばで拾ったものだ。平らな面を下にすると、帳面から転がり落ちない。


 扉が開き、日付の札を挟んだ宮廷の記録が運ばれてきた。


 クラウスさんは、該当する行に指を置いた。


「ザイデル侯爵閣下より、ご子息を官職に推す願い出。陛下は、お認めになっておりません。こちらの日付です」


 帳面と、同じ日だった。


 侯爵の指が、肘掛けに食いこんだ。


「役目に見合う者を、と申し上げただけでございます。陛下のお役に立てる息子であると――」

「わしが断った日の夜に、これは届いた」


 陛下は右手を持ち上げようとして、医師に止められた。


 私は、布の上へ手首を戻してもらう。


「日付だけで読んだのではございません。糸の結び目に、送り主のお名前が残っております」


 侯爵の目は、帳面から私の指へ移った。


「当時は、身代わりがおりました」


 声が、低くなった。


「王家へは届かぬと、分かっていたのでございます。陛下に熱が出ることなど――」


 言いかけて、口を閉じる。


 陛下は、額の布を外した。医師が差し出す水盤へ、それを落とす。水が跳ねて、寝具にしみた。


「わしは、いま熱を出しておる」


 侯爵は答えない。


「二年、これを預けたままにして」


 陛下は私の腕をもう一度見た。それから、布の下の自分の手首へ目を落とした。


 ◇


「この一本を、どうなさいますか」


 私が尋ねると、陛下は顔を上げた。


「解けば、糸は消えます。お返しすれば、送り主に同じ熱が出ます」

「……ほかの糸は」

「そのまま残ります。ほかの糸は、一本ずつ別のお仕事です」


 陛下は、汗で濡れた袖口を見た。


「返せ」

「かしこまりました」


 マリエラさんが、椅子を少し後ろへ引く。私の肘の動くところを、空けてくれた。


 上に重なった糸を、指の間へ一本ずつ通す。強く引かず、輪のままよける。奥の結び目だけをつまむには、小指を手首の下へ回さなければならなかった。


 マリエラさんの目が、私の小指を追っている。手は、自分の膝に置いたままだ。


 侯爵が椅子を鳴らした。


「待て。そんなものを、わしへ向けてよいと思っているのか」

「ほかの方へは、お返しできません」


 固い結び目が、指の腹に当たる。ほどくときのように、端を抜いてはいけない。


「二百六十一番。送り主、ザイデル侯爵閣下」


 結び目ごと、裏返す。


 黒い糸が、陛下の手首を一周して抜けた。よけていた糸が、腕へ戻る。その下から飛び出した一本は、窓の側へまっすぐ伸びた。


 侯爵が右手で払う。


 糸は、その右手首に巻きついた。


 端を内側へ折りこみ、上から押さえた結び目が、同じ場所に収まる。


 侯爵は、肘掛けから立ち上がりかけた。膝が伸びきらず、椅子へ座りなおす。絹の布を持った左手が、震えはじめていた。


 陛下が、長く息を吐いた。


 医師が脈を取り、額に触れる。


「まだ熱はございます。もうしばらく、お休みを」


 陛下はうなずき、重ねた枕へ頭を預けた。杯を持つ手は、さっきほど傾いていない。


 窓の側では、侯爵の額に汗が浮いていた。


 頬の布を額へ当てる。頬へ戻す。二度目には、どちらを押さえればよいのか迷うように、手が途中で止まった。


 マリエラさんが、水の杯を運んだ。侯爵が取り落としかけたので、底を支える。


「ゆっくり、召し上がってください」


 侯爵は水を飲み、荒い息の間から、陛下を呼んだ。


「陛下。お命じを。これを、解かせて――」


 陛下が私を振り返りかけた。


 机の上には、さきほど署名した依頼状が置いてある。陛下の目が、ご自分の署名のところで止まった。


 私は、侯爵のほうへ椅子を向けた。


「ご依頼でしたら」


面白かったら評価、ブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。