第13話 ご依頼でしたら
侍従は、クラウスと名乗った。
雨の中を、朝から休まずに馬を走らせてきたのだという。外套から水がしたたって、礼拝堂の石の床に小さな水たまりができていく。
侍従は戸口で一度立ちどまって、私の肩の上をじっと見た。
「……それが、しゃべる鳥ですか。王都では、もう噂になっております」
鳥は、黙っている。礼拝堂の中では、鳴かない。侍従は少しだけ拍子抜けした顔になった。
マリエラさんが、燭台のそばの場所をあけた。侍従はそちらへ一歩寄りかけて、灯りに照らされた顔を見たとたん、動きを止める。
「……聖女様?」
「はい。今は、先生の弟子です」
侍従は、灰色の服と、革の靴と、私の顔を順に見た。言葉を探しているらしい。見つからなかったのか、それ以上は聞かない。マリエラさんが、リーデのりんごを一つ差し出した。侍従は礼を言って受け取り、ひと口かじってから、ようやく息をついた。
それから、懐から油紙の包みを出す。中の羊皮紙には、封蝋が押してあった。王家の紋だ。
侍従は封を切って、羊皮紙を広げた。
「王命。ノエラ・カーヴェル」
声が、石の壁に跳ね返る。
「陛下よりのご下命です。直ちに王都へ戻り、陛下ならびに王太子殿下に向けられた呪いを、送り主へ返すこと。あわせて、送り主を記した帳面を、差し出すこと」
マリエラさんが、私の袖をつかんだ。
侍従は羊皮紙から目を上げた。
「陛下は、帳面に記された送り主を、しかるべくお裁きになるおつもりです。届いた呪いは、罪に問えますので」
侍従の目が、私の腰の袋を一度だけ見る。
大広間でのことを思い出した。三百十二件は、宛先に届いた。私が名前を申し上げなくても、帳面は残る。王家も、それに気づいたのだ。
「陛下のご容体は」
「……お熱が、下がりません。王都に戻られてからも」
陛下宛の呪いは、中身の重いものが多い。帳面を開かなくても、いくつかは覚えている。
「心当たりがございます」
侍従が、はっと顔を上げた。
「それでは——」
「お断りいたします」
侍従は、驚かなかった。
「私はもう、王家の者ではございません。解任状に、殿下のご署名をいただきました。王命は、お受けする立場にないのです」
「……やはり」
侍従は羊皮紙を巻きなおして、今度は懐から小さな手帳と鉛筆を出した。
「陛下から、断られたら何と言って断ったか、一字一句覚えてくるよう申しつかっております。……もう一度、ゆっくりお願いできますか」
マリエラさんが、口を押さえる。
私は、言われたとおり、ゆっくり繰り返した。侍従の鉛筆が、それを追いかける。
「……お受けする、立場に、ないのです。はい」
「それから、続きがございます」
「続き」
「ご命令はお受けできません。ですが、ご依頼でしたら、お受けいたします」
鉛筆が止まる。
「ご依頼、でしたら」
「身代わりの誓約は、書面で交わしました。解くときも、書面でした。ご依頼も、書面でお願いいたします。ご署名は、殿下ではなく、陛下ご自身のもので」
侍従は、黙って書きつけていく。
「宛名は、呪い返し屋、ノエラ・カーヴェルとお書きください」
「呪い返し屋……街道の宿で噂に聞いた、あの看板ですか」
「はい。それから、お代は、お返しのあとで結構です」
侍従の鉛筆が、一度止まって、また動いた。
「……十年、何ひとつ望みを申さなかった方だと、魔術師長殿からうかがっておりましたが」
「望みを申しあげているのではございません。お代の話をしております」
侍従は、手帳から目を上げて、しばらく私を見ていた。それから、その言葉も書きつけた。
「帳面は、いかがなさいますか」
「お渡しいたしません」
侍従が、顔を上げる。
「この帳面は、誰にも頼まれずに、私が勝手につけてきたものです。十年、どなたにも、送り主を尋ねられたことはございません。ですから、これをどうするかも、私が決めます」
私は腰の袋を、上から押さえた。
「送り主をお知りになりたいのでしたら、お返しすれば分かります。お返しした呪いは、送り主のお体に、そのまま出ますので。お裁きになるのは、陛下のお仕事です。この帳面は、私の仕事の帳面です」
「……帳面をお持ちのままでは、また狙われますぞ」
「存じております。先日も、林で」
侍従は、ひと呼吸ぶん黙った。侯爵家の兵のことは、王宮にも噂が届いているのかもしれない。それから最後の一行を書き終えて、口の中で読み返した。
「……私の、仕事の、帳面です。……はい」
それから、マリエラさんのほうへ向きなおる。
「聖女様にも、お戻りいただくよう、神殿から言付かっております」
「私も、お断りします」
マリエラさんは、すぐに答えた。
「殿下の糸は、リーデでほどいたものより固いんです。端をつまめない結び目を、まだ一人で緩められません」
マリエラさんは、つかんでいた私の袖を離した。
「そこまで習ってから、自分で戻ります。殿下の糸も、私がほどきたいんです」
侍従は、それも書いた。書き終えてから、口の端が少しだけ上がったように見えた。
◇
その夜、侍従は壁にもたれたまま、すぐに寝息を立てはじめる。
マリエラさんは、りんごの袋の紐と格闘していた。練習のつもりで二重に固く結んだら、開かなくなったのだ。中には、明日の朝の分が入っている。
「先生。ここを引くと、下まで締まります」
「下の輪を押さえて、上を戻してください」
私が輪を押さえると、マリエラさんの指が、紐の下へ入った。
「これを、一人で」
「はい。ヒルデさんの足首を締めたときのことを、覚えていますか」
マリエラさんは紐をほどききると、もう一度結んだ。今度は、りんごを出してからだった。
二度目の結び目を見ながら、小さな声で聞いてくる。
「先生。陛下の熱の、心当たりって」
「古い帳面の、陛下宛のところです」
私は、古いほうの帳面を開いた。陛下宛のページは、ほかよりも字が小さい。書くことが多かったからだ。それ以上は、口に出さずに閉じる。
雨は、夜のうちにやんだ。戸口の外は、濡れた土の匂いがする。
侍従は礼拝堂の隅で外套を乾かし、夜明けとともに馬に鞍をのせた。書面は、東の渡し場の村へ届けてもらう。私たちは、そこで看板を出して待つことにする。
鐙に足をかけたところで、侍従が振り返った。
「それから、ことづけが一つ。王宮を出るとき、門番の男に頼まれまして」
「ボルツさんから、ですか」
「おはよう、と。それだけです」
私は、少しのあいだ、何も言えなかった。
十年、毎朝聞いてきた声だ。塔の階段を下りて、礼拝堂へ行く途中で、いつも同じ場所から聞こえた。
「……おはようございます、とお伝えください」
侍従はうなずいて、手帳にそれも書きつけた。一字一句、だ。
馬が西の靄の中へ消えていくのを、マリエラさんと二人で見送る。
「先生。書面、本当に来ると思いますか」
「来ると思います。断られた言葉を、一字一句覚えてこいとおっしゃる方ですから」
鞄を持って、礼拝堂の敷居をまたぐ。肩の上で、鳥が鳴いた。
「いくな」
「行きます」
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