「帰還」
七月になった。
帰国の日だった。
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空港に、サクが来ていた。
大学のセキュリティスタッフが、入口まで同行してくれた。
サクはコートを着ていた。
ハルトを見た。
笑った。
「来た」
「はい」
「荷物、重い?」
「いつもと同じくらいです」
「そっか」サクは言った。「今回は、何が増えた?」
「記録が増えました」ハルトは言った。「想定できることも、増えました」
「全部、持って帰るんですね」サクは言った。
「はい。全部、持って帰ります」
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チェックインをした。
荷物を預けた。
保安検査の前まで、サクが一緒にいた。
入口のベンチに並んで座った。
出発まで、三十分あった。
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「ハルトくん」サクは言った。
「はい」
「約束、覚えてる?」
「はい。研究が完成したとき、最初に使わせてもらう約束です」
「まだ、完成じゃないけど」サクは言った。「続けます。絶対に」
「はい。わかっています」
「どうしてわかるんですか」
「続けてきた記録が、頭の中に全部あります」ハルトは言った。「一度も、やめると言っていません。それが、わかる理由です」
サクはしばらくハルトを見ていた。
「ありがとう」サクは言った。「全部、覚えていてくれて」
「はい。消えません」
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搭乗のアナウンスが流れた。
ハルトは立ち上がった。
サクが少し前に出た。
ハルトを抱きしめた。
少し間を置いた。
離れた。
「行ってきて」サクは言った。
「はい。行ってきます」
「帰ったら、連絡して」
「はい。着いたら、すぐに」
「また会おう」
「はい。また会います」
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保安検査を通った。
振り返った。
サクがいた。
手を振った。
ハルトも手を振った。
サクが笑った。
それが見えた。
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飛行機に乗った。
窓の外に、サンフランシスコの空が見えた。
霧が少し残っていた。
見えなくなるまで、見ていた。
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頭の中で、この一年を確認した。
IMPOでの業務。翻訳辞書の構築。各国の担当者との議論。サクとの毎週の面会。実験。論文の査読結果。申請。登録制度の問題。カーター教授との話し合い。デイヴィッドとの想定の話。
全部、残っていた。
持ち帰るものが、たくさんあった。
日本まで、十二時間あった。
寝た。
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翌朝、日本に着いた。
七月の東京だった。
蒸し暑かった。
日本の夏だった。
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帰宅した。
部屋に入った。
荷物を置いた。
サクにメッセージを送った。
「着きました」
「よかった。おかえり、ハルトくん」
「ただいまです」
「ゆっくり休んで。また連絡します」
「はい。おやすみなさい」
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翌日、MPBに出勤した。
フロアに入ると、岸本が声をかけてきた。
「神崎さん、おかえりなさい」
「ただいまです」
「一年、長かったです」岸本は言った。「フロア、静かでした。ほんとに」
「岸本さんがいれば、静かにはならないと思いますが」
「それが言えなかったんですよ」岸本は言った。あっさりした言い方だった。「神崎さんがいないと、突っ込んでくれる人がいなくて。つまらなかった」
「つまらなかったですか」
「そうです。帰ってきてくれてよかった。それだけです」
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鶴田も来た。
「神崎さん、おかえりなさい」
「ただいまです」
「一年、長かったです」鶴田は言った。「約束、覚えていましたか」
「はい。帰ってきたら、また教えるという約束です」
「覚えていてくれていましたね」鶴田は言った。「嬉しいです」
「はい。いつでも来てください」
「明日から、お願いします」鶴田は言った。即答だった。
「はい。来てください」
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午後、リアから呼ばれた。
第三審査室に入った。
「おかえりなさい」リアは言った。
「ただいまです」
「座ってください」
向かい合って座った。
「一年間、お疲れ様でした」リアは言った。「IMPOでの実績は、報告として届いています。翻訳辞書の構築、共通基準の策定、各国の担当者との信頼関係。全部、記録として残っています」
「はい。やれることをやりました」
「神崎さん、今日は報告を聞かせてください。一年間で、何が見えましたか」
「はい」ハルトは言った。「いくつかあります」
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ハルトは話した。
翻訳辞書の構築で見えてきた、各国の術式記録の差異。共通基準を作る過程で浮かび上がった、制度の前提の違い。IMPOとして各国と関わる中で感じた、日本の制度の強みと弱み。
リアは黙って聞いていた。
話し終えた後、少し間を置いた。
「神崎さんがIMPOで一年間築いてきたものが、今日の報告に出ています」リアは言った。「記録は、積み上がっていますね」
「はい。思っていた以上に、積み上がりました」
「MPBとして、活かせることがたくさんあります」リアは言った。「ゆっくり整理してください。急がなくていいです」
「はい」
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「神崎さん」リアは言った。
「はい」
「今夜、フロアで帰国のお祝いをしようと思っています。岸本さんと鶴田さんが、準備してくれています。フロアの使用も特別に許可を取っています。」
「そうですか」
「断りますか」
「いいえ」ハルトは言った。「参加します」
「よかったです」リアは言った。少し間を置いた。「帰ってきてくれて、よかったです」
「はい。帰ってきてよかったです」
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夜になった。
フロアの一角に、テーブルが並んでいた。
岸本と鶴田が、飲み物と料理を用意していた。
「神崎さん、ちゃんと来てくれましたね」岸本は言った。
「はい。来ました」
「よかった。断ると思っていた」
「そんなことはありません」
「以前の神崎さんなら、断っていた気がします」岸本は言った。あっさりした言い方だった。「変わりましたよね、少し」
「そうですか」
「そうです」岸本は言った。「いい方向に」
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フロアのスタッフが集まってきた。
十人ほどになった。
鶴田が言った。
「神崎さん、一言お願いします」
「はい」ハルトは言った。「一年間、ありがとうございました。帰ってきました。また、よろしくお願いします」
拍手が起きた。
岸本が言った。
「短い」
「はい」
「もう少し言えることあるでしょう」
「一年間、色々ありました。ただ、全部、記録として残っています。その記録を、これからのMPBの仕事に使います。それだけです」
また拍手が起きた。
「神崎さんらしい」岸本は言った。笑っていた。「乾杯しましょう」
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グラスを持った。
全員が、グラスを上げた。
「神崎さんの帰還に、乾杯」岸本は言った。
「乾杯」
飲み物を飲んだ。
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リアが隣に来た。
「神崎さん」
「はい」
「一言、ありがとう」リアは言った。
「いいえ。フロアの皆さんが、準備してくれました」
「それだけじゃありません」リアは言った。静かな声だった。「一年間、向こうでやり切ってくれた。その記録が、今日のフロアに繋がっています」
「はい」
「ゆっくり戻ってきてください」
「はい。戻ってきます」
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会が続いた。
岸本が色々な話をした。
一年間のフロアの出来事。新しく入ってきたスタッフの話。審査の案件の話。
鶴田は少し緊張しながら、ハルトに近況を話した。
「神崎さんがいない間も、記録になる方を選んで動いてきました」
「はい。それが正しいと思います」
「神崎さんの言葉を、ずっと持っていました」鶴田は言った。「支えになっていました」
「ありがとうございます」
「いいえ。お礼を言うのは、私の方です」
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夜が深くなった。
会が終わった。
フロアのスタッフが、少しずつ帰っていった。
最後に、岸本と鶴田とハルトの三人になった。
「神崎さん、帰りますか」岸本は言った。
「はい。帰ります」
「一緒に帰りましょう」
「はい。よろしくお願いします」
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三人で、ビルを出た。
夜の東京だった。
七月の夜だった。
少し蒸し暑かった。
並んで歩いた。
「神崎さん、アメリカはどうでしたか」岸本は言った。
「色々、ありました」
「具体的には」
「記録が積み上がりました」ハルトは言った。
「それだけですか」
「それが全部です」
「相変わらずですね」岸本は言った。笑った。「ただ、それが神崎さんらしくてよかったです。一年経っても、変わっていなかった」
「変わっていない部分と、変わった部分があります」
「変わった部分は?」
「さみしいと思えるようになりました」ハルトは言った。「帰ってきてよかったと、思えるようになりました」
岸本が少し間を置いた。
「それは、いい変化ですね」岸本は言った。静かな声だった。
「はい。そう思っています」
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駅で別れた。
帰宅した。
サクにメッセージを送った。
「帰国のお祝いをしてもらいました。岸本さんと鶴田さんが準備してくれました」
「よかった」サクは言った。「ハルトくんの周りに、ちゃんと人がいる。それが、一番安心できます」
「はい。いてくれています」
「楽しかった?」
「はい。楽しかったです」
「それが聞けてよかった」サクは言った。「おやすみ、ハルトくん」
「おやすみなさい」
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今日のことを頭の中に入れた。
フロアへの帰還。岸本の「変わりましたよね、少し」という言葉。鶴田の「記録になる方を選んで動いてきました」という言葉。リアの「帰ってきてくれてよかったです」という言葉。三人で歩いた帰り道。「さみしいと思えるようになりました」という自分の言葉。
全部、残った。
一年間、日本を離れていた。
ただ、帰ってくる場所があった。
それが今日、改めてわかった。
窓の外に、七月の夜があった。
蒸し暑かった。
日本の夏だった。
寝た。
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第九十九話 了




