「魔石と素子」
爆発から一週間が経っていた。
仮の作業場は、隣の棟の小さな部屋だった。
机が四つ。ホワイトボードが一枚。窓が一つ。
研究室の三分の一ほどの広さだった。
主要な実験装置は移せた。ただ、大型の計測機器の一部は、爆発で損傷していた。
修理に時間がかかるという話だった。
しばらく、装置を使った実験ができない状態だった。
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サクは、この一週間、データの整理をしていた。
実験ができない間に、できることをやる。
それがサクの判断だった。
ただ、体がまだ完全には戻っていなかった。
頭部の打撲は治っていた。ただ、集中力が続かなかった。
いつもなら三時間続けられる作業が、一時間で限界になった。
それが、少し、焦りになっていた。
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土曜日だった。
ハルトが宿舎に来た。
サクはソファで寝転んでいた。
天井を見ていた。
「どうしたんですか」ハルトは言った。
「何もしたくない」サクは言った。「珍しいよね、私が」
「はい。珍しいです」
「なんか、ぼーっとしてる。集中しようとしても、できなくて」
「頭を打ちましたから」
「うん。わかってる。ただ、焦る」サクは言った。「何もできない自分が、嫌で」
「休んでいいと思います」
「わかってる。ただ、休み方がわからない」サクは言った。
「ハルトくんって、休み方、知ってる?」
「私も、得意ではありません」
「二人とも、不得意なんだ」サクは少し笑った。「似たもの同士だね」
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しばらく、二人でソファに並んで座った。
何もしなかった。
ただ、座っていた。
サクが言った。
「今日、研究のこと、考えないようにしよう」
「はい」
「ハルトくんも、仕事のこと、考えない」
「はい」
「じゃあ、何を話す?」
ハルトは少し考えた。
「サクさんが、話したいことを話してください」
「研究以外で、話したいこと」サクは少し考えた。「ハルトくんって、子どものころ、どんな子だったの?」
「普通だったと思います」
「普通って言う人ほど、普通じゃないんだよ」サクは言った。「何か覚えてることは?」
「本を読んでいることが多かったです。図書館で、図鑑を読んでいました」
「何の図鑑?」
「植物、動物、魚、昆虫。全部読みました。全部、覚えました」
「全部覚えたの」サクは言った。「子どものころから、そうだったんだね」
「はい。読んだものは、全部残っていました」
「それって、楽しかった?」
「はい。知らなかったことが、知れることが、楽しかったです」
「今も、同じ?」
「はい。今も、記録を増やすことが、楽しいです」
「そっか」サクは言った。「私は、子どものころ、よく実験してた。台所で、いろんなものを混ぜてみたりとか」
「爆発しませんでしたか」
「一回、お母さんに怒られたことがある」サクは笑った。「酢と重曹を混ぜて、泡が出るのが面白くて。それをいっぱい作ったら、台所が泡だらけになって」
「それが、研究者の始まりですか」
「そうかもしれない」サクは言った。「混ぜたら何かが変わる、っていうのが、面白かったんだよね」
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しばらく、そういう話をした。
子どものころの話。好きだった食べ物。苦手だったもの。
研究の話でも、仕事の話でもなかった。
ただ、話した。
それだけだった。
ただ、サクの顔が、少しずつ柔らかくなっていった。
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昼になった。
二人で近くのカフェに行った。
サンドイッチを食べた。
コーヒーを飲んだ。
窓の外を見ていた。
サクが言った。
「ハルトくん、一個だけ聞いていいですか」
「はい」
「今の研究で、一番の課題って何だと思う?」
「研究のことを考えないんじゃなかったですか」
「一個だけ」サクは言った。「聞いたら、また考えないようにする」
「はい」ハルトは言った。少し間を置いた。「装置の大きさだと思います」
「大きさ、か」
「はい。今の変換素子は、装置として大型です。実用的なサイズではありません。どれだけ変換効率が上がっても、装置が大型のままでは、使える場面が限られます」
「小型化が課題、ということ」
「はい。素子の性能は上がっています。ただ、素子を動かすための周辺の機構が、まだ大きい」
「そこが、なかなか縮まらないんだよね」サクは言った。「素子自体は小さくできるんだけど、変換を安定させるための補助機構が必要で、それが大きくなる」
「はい」
「それが解決しないと、実用にならない」サクは言った。「それが、一番の課題だよね」
「はい」
「わかった」サクは言った。「考えるのは、ここまでにする」
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カフェを出た。
午後は、散歩した。
特に目的地を決めずに歩いた。
サンフランシスコの街を、ゆっくり歩いた。
市場のそばを通った。
屋台が並んでいた。
以前、魔法式の調理台を見た場所だった。
サクが足を止めた。
「この屋台、前にも見たね」サクは言った。
「はい。九月に一緒に歩いたとき、炎系の魔道具を見ました」
「ハルトくんが、出力が安定していると言ってた屋台だ」
「はい。風の影響を受けない術式が組み込まれていると言いました」
サクは屋台の調理台を見た。
魔道具だった。コンパクトな装置から、安定した炎が出ていた。
「あれ、魔石が入ってるんだよね」サクは言った。
「はい。一般向けの魔道具には、魔石が使われているものが多いです」
「魔石が、魔力を安定して供給しているから、出力が安定する」
「はい」
「魔石って、要は魔力のバッテリーだよね」サクは言った。「エネルギーを蓄えて、安定して出す」
「はい。そう理解しています」
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サクは少し立ち止まった。
「ハルトくん」
「はい」
「補助機構の代わりに、魔石を使えないかな」
ハルトは少し間を置いた。
「補助機構の代わりに、ですか」
「うん」サクは言った。「今の装置で、変換を安定させるための補助機構が大きくなる理由って、変換された魔力の出力を均一に保つためなんだよね」
「はい」
「それを、魔石にやらせたらどうかな」サクは言った。「素子で変換した魔力を、一度魔石に蓄える。魔石から安定した形で出す。魔石がバッファになれば、補助機構が要らなくなるかもしれない」
ハルトは少し間を置いた。
頭の中で、今の装置の構造を確認した。
変換素子。補助機構。計測部。
補助機構の役割は、変換された魔力の出力を安定させることだった。
その役割を、魔石が担えるかどうか。
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「魔石を、バッファとして使う発想は、これまでありましたか」ハルトは言った。
「なかった」サクは言った。「というより、魔石とは全然違う方向で研究してきたから、魔石を使うことを最初から除外していた」
「はい」
「でも、今の問題は、出力の安定化なんだよね。魔石は、それが得意なんだよ。魔道具に使われてきた理由が、まさにそこだから」
「はい。魔石の出力安定化特性は、アルカナテックも研究してきた部分です。複数の特許があります」
「そっか」サクは言った。「アルカナテックの研究と、私の研究が、ここで繋がる可能性があるんだ」
「はい。ただ、アルカナテックの特許との関係は、確認が必要になります」
「うん」サクは言った。「ただ、アイデアとして、試す価値はあると思う。どう思う、ハルトくん」
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ハルトは少し考えた。
頭の中で、関連する特許記録を確認した。
魔石の出力安定化に関する特許。アルカナテックの申請。関連する先行技術。
全部、頭の中にあった。
「魔石をバッファとして使う構造は、既存の特許の組み合わせになります」ハルトは言った。「ただ、素子と魔石を組み合わせた変換機構という発想は、既存の特許には含まれていません。新規性がある可能性があります」
「新規性がある、ということは、申請できる、ということ?」
「はい。内容によりますが、その可能性があります」
「魔石を使うことで、装置が小型化できる可能性はあると思う?」
「はい。補助機構が不要になれば、大幅に小型化できる可能性があります。魔石自体は、小さくできます。携帯可能なサイズになる可能性があります」
「携帯可能なサイズ」サクは繰り返した。「それが、実用レベルに近づくということだよね」
「はい」
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サクはしばらく黙っていた。
屋台の調理台を見ていた。
炎が、安定して燃えていた。
「ハルトくん」サクは言った。
「はい」
「これ、もしかして、すごいことかもしれない」
「はい。そう思います」
「研究から離れていた一週間で、屋台の魔道具を見て、気づいた」サクは言った。少し笑った。「ちゃんと休んで、よかったのかもしれない」
「はい。離れることで、見えることがあったんだと思います」
「屋台を見て、気づいたって、なんか、子どものころ台所で実験していた感じに近い」サクは言った。「日常の中にあるものが、ヒントになる」
「はい。記録は、思わぬ場所で繋がることがあります」
「ハルトくんが言うと、本当にそう聞こえる」サクは言った。「魔石と素子を組み合わせる。まず、簡易的な実験をしてみたい。仮の作業場でも、小さい実験ならできる」
「はい。まず、小さく試すことから始めた方がいいと思います」
「うん」サクは言った。「月曜日から、動く」
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月曜日になった。
仮の作業場に四人が集まった。
カーター教授、サク、エマ、ハルト。
サクがホワイトボードに書いた。
**素子+魔石の複合変換機構**
「土曜日に思いついたことを話します」サクは言った。「変換素子で生成した魔力を、魔石でバッファリングする構造です。魔石が出力安定化を担うことで、補助機構を省けるかもしれません」
カーター教授が聞いていた。
「魔石を使うのは、これまでと方向が違いますね」
「はい」サクは言った。「ただ、今の課題は出力の安定化です。それを魔石に任せるという発想は、シンプルだと思います」
「魔石のサイズはどうしますか」
「小型の魔石を使います。市販の魔道具に使われているサイズのものが、手に入ります。まず、それで試します」
「特許との関係は」
「ハルトくんが確認してくれています」サクはハルトを見た。
「素子と魔石を組み合わせた変換機構は、既存の特許には含まれていません。新規性がある可能性があります」ハルトは言った。「アルカナテックの出力安定化特許との関係は、確認が必要ですが、用途が異なるため、競合しない可能性があります」
「わかりました」カーター教授は言った。「試してみる価値があります。まず、小規模な実験から始めましょう」
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実験の準備を始めた。
仮の作業場に、最小限の実験装置を組んだ。
変換素子。小型の魔石。計測機器。
通常の装置の十分の一ほどのサイズだった。
コンパクトだった。
サクが言った。
「これだけ小さくなった。まだ実験段階だけど、方向性が見える」
「はい」カーター教授は言った。「まず動くかどうかを確認しましょう」
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実験を始めた。
変換素子にエネルギーを入力した。
魔石に繋いだ。
計測機器を見た。
数値が動いた。
「出力が安定しています」サクは言った。「補助機構なしで、魔石が出力を均一に保っています」
「そうですか」カーター教授は言った。画面を確認していた。
「はい。数値の揺れが、通常の装置より小さい」
しばらく、計測を続けた。
出力は安定したままだった。
「効率はどうですか」ハルトは言った。
「今の段階では、変換効率が落ちています」サクは言った。「素子から魔石に移る段階でロスが出ています。ただ、安定性は確保できています」
「ロスを減らすことは、できそうですか」
「できると思います。魔石の種類や、繋ぎ方を調整すれば、ロスを減らせる可能性があります」カーター教授は言った。
「はい。そこが次の課題です」サクは言った。「ただ、今日、一つ確認できました。素子と魔石の組み合わせが、機能するということが」
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エマが言った。
「これが成功したら、どのくらい小さくなりますか」
「このサイズが基本形になります」サクは言った。「ロスを減らしながら効率を上げれば、このサイズのまま、実用レベルに近づく可能性があります」
「携帯できるサイズですね」
「はい」サクは言った。「非適合者が、これを持ち歩けるようになる。魔石から魔力を受け取って、術式を使える。それが、最終的なイメージです」
「魔石が、非適合者の魔力源になるということですか」
「根本的な解決ではありません」サクは言った。「自分で魔力を生成できるわけではない。ただ、魔石がある限り、魔法を使えます。それだけでも、大きな変化だと思います」
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カーター教授が言った。
「サク、これは特許申請を急いだ方がいい」
「はい。今日の実験結果を整理して、ハルトくんに確認してもらいます」
「はい」ハルトは言った。「今日のデータをまとめてもらえれば、関連特許との照合と、申請の方向性を確認します」
「今夜中にまとめる」サクは言った。「申請は、できるだけ早く」
「わかりました」
「ハルトくん、お願いできる?」
「はい。任せてください」
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夕方、実験を終えた。
仮の作業場を片付けた。
出る前に、サクが小型の装置を手に持った。
両手に収まるサイズだった。
「これが、始まりだ」サクは言った。
「はい」
「これを、もっと小さく、もっと使いやすくする。それが、次の目標」
「はい」
「約束、また一歩近づいた気がする」サクは言った。
「はい。近づきました」
「ハルトくんが帰る前に、申請まで持っていきたい」
「はい。やれると思います」
「根拠は?」
「今日のデータがあります。方向性が見えています。サクさんが動いています」ハルトは言った。「三つが揃っています」
サクは少し間を置いた。
「三つが揃っている、か」サクは言った。「ハルトくんって、そういうこと言うんだよね。なんか、励まされた感じがする」
「励ましではありません。事実です」
「うん」サクは言った。「わかってる。それがいい」
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その夜、ハルトは関連特許の照合を始めた。
素子と魔石を組み合わせた変換機構に関連する先行技術。
アルカナテックの出力安定化特許との差異。
新規性がある部分の確認。
三時間かけて、整理した。
結論を出した。
素子と魔石の複合変換機構は、既存の技術の組み合わせではあるが、その組み合わせ方と用途において、新規性がある。
申請できる。
サクにメッセージを送った。
「照合が終わりました。申請できます。新規性があります」
すぐに返信が来た。
「本当に?」
「はい。明日、詳細を説明します」
「わかった。ありがとう。ハルトくんがいてよかった」
「私は照合しただけです」
「それが全部だよ」サクは言った。「おやすみ、ハルトくん。今日、すごい一日だった」
「はい。おやすみなさい」
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スマートフォンを置いた。
今日のことを頭の中に入れた。
屋台の調理台。魔石という言葉。補助機構の代替という発想。仮の作業場での小型実験。出力が安定した数値。両手に収まるサイズの装置。申請できるという結論。
全部、残った。
サクが研究から離れていた一週間があった。
その一週間がなければ、屋台の魔道具を見る余裕はなかったかもしれない。
爆発という出来事が、研究から離れる一週間を作った。
その一週間が、今日の気づきに繋がった。
窓の外に、サンフランシスコの夜があった。
寝た。
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第九十一話 了




