「それでも、仕事だった」
業務終了の十分前、リアがハルトのデスクに来た。
「準備はいいですか」
「はい」
「第三審査室に先に行っています。村田さんには私から声をかけます」
「わかりました」
リアは歩いていった。ハルトはノートとペンを手に取った。記録を取るだけでいい、とリアは言った。それだけに集中する。
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第三審査室に入ると、リアがすでに座っていた。
三分後、村田さんが来た。
ドアを開けた瞬間、室内の空気に気づいたのだろう。顔が少し強張った。ただ、中に入ってドアを閉めた。椅子に座った。
五十二歳。MPB歴二十年以上。温厚そうな顔は、今日も変わらなかった。ただ目の奥が、少しだけ違った。
「話があると聞きました」村田さんは言った。「何でしょう」
リアは書類を一枚、テーブルに置いた。
「先週金曜日、二十二時十七分に、丸山辰夫さんの申請情報へのアクセスがありました。村田さんのアカウントからです」
村田さんは書類を見た。
「残業していたんでしょう」
「退館記録は十八時です」
村田さんは黙った。
「再入館の記録もありません」とリアは続けた。「ただ、第二審査室の空調が二十一時から二十三時まで稼働していました。人感センサーです」
村田さんの手が、テーブルの上で静かに動いた。指先が、書類の端に触れた。触れてから、離した。
「……搬入口から入りました」
リアは何も言わなかった。
「鍵は、持っています。上席審査官は持てる立場なので」
「はい」とリアは言った。「なぜ、入退館の記録を残さなかったんですか」
村田さんは少し間を置いた。
「残したくなかったので」
「理由は」
村田さんは答えなかった。
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リアは二枚目の書類を置いた。
「三年前、アルカナ・テックの感応系の初期申請を担当していましたね」
「していました」
「その後、担当を外れています。自分から申し出た、と記録にあります」
「はい」
「なぜ申し出たんですか」
村田さんは窓の外を見た。夜の気配が近づいていた。庁舎の外灯が、窓ガラスに薄く反射していた。
「……アルカナ・テックから、接触がありました。三年前に」
リアは書類から目を上げなかった。
「どんな接触ですか」
「担当審査官として、申請に関する情報を教えてほしいと。その代わりに、金銭的な提供があると」
「受けましたか」
「……受けました」
室内が静かになった。
空調の音が、低く続いていた。
「その後も、続きましたか」とリアは聞いた。
「はい」村田さんは言った。「担当を外れた後も、MPBに申請が来た際に情報を流すという形で。三年間、続きました」
「丸山さんの申請も」
「はい」
村田さんは俯いた。
「知らせた翌日に、丸山さんの息子さんへの働きかけがあったと思います。それで申請が取り下げられた」
「はい……そうだと思います」
リアはペンを置いた。
「金額は」
「合計で、三百万ほどです。三年間で」
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しばらく、誰も話さなかった。
ハルトはノートに記録を取り続けた。日時、発言内容、確認事項。淡々と書いた。
村田さんが口を開いた。
「言い訳にならないのはわかっています」
リアは黙っていた。
「最初は、軽い気持ちでした。申請内容を少し教えるだけだと思っていた。ただ、一度受けてしまったら、止められなくなった」
「断れなかったんですか」とリアは言った。
「断ろうとしたこともあります。そのときに、これまでのことを公表すると言われました。それで……続けるしかなかった」
「脅されていた」
「はい」
リアは少し間を置いた。
「その話も、今日の確認の記録に残ります」
「わかっています」
「後から覆すことはできません」
「はい」
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リアは三枚目の書類を出した。
「確認した内容を記録します。署名をお願いします」
村田さんは書類を受け取った。読んだ。ゆっくりと読んだ。
サインした。
ペンをテーブルに置いた。
「神崎くん」と村田さんは言った。
ハルトは顔を上げた。
「あなたが気づいたんですね」
ハルトは何も言わなかった。
「入庁したとき、変わった人が来たと思っていました。魔法も使えないのに、特許の番号を全部覚えているなんて」村田さんは少し笑った。笑い方が、いつもと同じだった。「やっぱり変わっている」
「……はい」
「でも」村田さんは言った。「私が二十年かけてできなかったことを、あなたは一年もかからずにやった。仕事を、ちゃんとやった」
ハルトはノートを見た。
何も書けなかった。
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村田さんが退室した後、リアは書類をまとめた。
ハルトはノートを閉じた。
「明日、上に報告します」とリアは言った。「村田さんの処分は、上の判断になります。ただ、内容からすれば停職か免職になるはずです」
「はい」
「アルカナ・テックへの対応も、別途必要になります。ただ、それは私たちの管轄ではなく、法務と監督官庁が動くことになります」
「はい」
リアは書類を鞄に入れた。立ち上がりかけた。止まった。
「神崎さん」
「はい」
「今日のこと、大丈夫ですか」
ハルトは少し考えた。
「大丈夫、というのは」
「村田さんは、あなたに声をかけました。あなたが気づいたと言った。それについて」
ハルトは窓の外を見た。夜になっていた。庁舎の外灯が、駐車場を照らしていた。
「仕事だったので」
「それだけですか」
「……村田さんが二十年間ここで働いていたことは、本当のことだと思います。それと、今日のことは、別のことだと思います」
リアは少し黙った。
「そうですね」
「ただ」とハルトは言った。
「ただ」
「仕事を、ちゃんとやったと言われたのは、少し」
ハルトは続けなかった。
リアも何も言わなかった。
少し間があった。
「帰りましょう」とリアは言った。
「はい」
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庁舎を出ると、夜の空気が冷たかった。
リアは先に歩き始めた。ハルトはその後に続いた。
駅に向かう道の途中、リアが言った。
「アルカナ・テックの審査は、続けます」
「はい」
「今度は、ちゃんとした形で」
「はい」
街灯の下を、二人で歩いた。
冬の夜だった。
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第九話 了




