「父の術式、もう一度」
アルカナ・テックからの書類が届いたのは、木曜日の朝だった。
郵便物の仕分けをしていた受付職員が、ハルトのデスクに持ってきた。
「アルカナ・テックからです。白銀主任宛ですが、補助係扱いで届いています」
「わかりました。預かります」
封筒を受け取った。厚みはなかった。
リアに渡した。
リアは封を開けた。一枚の書類を取り出した。読んだ。
「申請取り下げ届です」とリアは言った。
「理由の記載は」
「一身上の都合、とだけあります」
ハルトはリアを見た。リアは書類をデスクに置いた。表情は変わらなかった。
「受理します」
それだけ言った。
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一身上の都合。
村田さんの件が表沙汰になる前に、引いた。それだけのことだった。アルカナ・テックの法務部が動いたのだろう。理由など、書けるはずがなかった。
ハルトは受理の書類を作成した。淡々と作った。
丸山清一の術式は、アルカナ・テックの申請書の中に入っていた。その申請が取り下げられた。
それで終わりではなかった。丸山清一の術式は、まだどこにも登録されていなかった。
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丸山辰夫から電話が来たのは、同じ週の金曜日だった。
「神崎さんですか。丸山です」
「はい。丸山さん、お元気ですか」
「まあ、元気です」丸山は少し笑った気配がした。「一つ、お願いがあって」
「はい」
「もう一度、申請したいんです」
ハルトは少し間を置いた。
「今度は息子も一緒に行くと言っています。来週、二人で伺ってもいいですか」
「もちろんです。いつでも来てください」
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丸山辰夫と息子の丸山健二が来庁したのは、翌週の火曜日だった。
受付から内線が入ったとき、ハルトは審査書類を整理していた。
「丸山辰夫さんと丸山健二さんがいらっしゃいます」
「案内してください」
面談室に向かった。
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ドアを開けると、二人が並んで立っていた。
丸山辰夫は前回と同じだった。白髪交じり、厚手のジャケット、両手で紙袋を持っていた。
隣に立っていたのが息子の健二だろう。三十代後半、作業着、体格がいい。父親より頭一つ分背が高かった。腕輪はつけていなかった。表情が硬かった。
「神崎と申します。補助係です」
「丸山辰夫です」
「丸山健二です」息子が頭を下げた。「お世話になります」
三人で座った。
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健二が先に口を開いた。
「親父が迷惑かけました」
「いいえ」
「俺が止めたのは」健二は言った。「アルカナ・テックとの取引があったんで、親父の申請が知られたらまずいと思って」
「はい」
「でも、それは俺の判断が間違ってた」健二はテーブルを見た。「親父に怒られました」
「怒ってない」と辰夫は言った。「言い聞かせただけです」
「同じことだろ」
辰夫がまた口を開きかけた。健二が先に続けた。
「まあ、何度も言われたんで、さすがに聞かないといけないと思って」
ハルトは口元が緩むのを感じた。
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「申請の書類は、前回のものがこちらにあります」とハルトは言った。「取り下げ済みの申請ですが、内容は保管されています。もう一度手続きをしていただければ、新規申請として受理できます」
「書類は持ってきました」と辰夫は紙袋を開けた。「前回、先生に教えてもらった書き方で、全部揃えてきたつもりですが」
辰夫が書類をテーブルに並べた。
ハルトは一枚ずつ確認した。申請書、術式の説明資料、創作経緯の記録。前回よりも丁寧に整っていた。
「揃っています」
「本当ですか」辰夫の顔が少し明るくなった。
「はい。不備はありません」
健二が父親を見た。辰夫は紙袋の中から、折り畳まれた紙を取り出した。
術式だった。前回と同じ紙だった。四つ折り、鉛筆書き、少し黄ばんだ紙。
辰夫はそれをテーブルに置いた。
「これが、父の字です」
健二は術式を見た。しばらく見ていた。
「読めないな、これ」と健二は言った。
「読めないよ」と辰夫は言った。「神崎さんは読めるんだよ」
健二がハルトを見た。
「魔法使いじゃないのに、ですか」
「はい」
「すごいっすね」
「面白いので」
健二は少し笑った。硬かった表情が、少し緩んだ。
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申請書類の最終確認をした。
ハルトは術式をもう一度読んだ。前回と同じ術式だった。変わっていなかった。丸山清一が二十数年前に鉛筆で書いたものが、そのまま残っていた。
「今日、正式に受理できます」とハルトは言った。「審査には数週間かかります。問題がなければ、登録の運びになります」
「数週間ですか」と辰夫は言った。
「はい。審査の進捗は郵便でお知らせします」
「わかりました」
辰夫は術式の紙を、また四つ折りにしようとした。止まった。
「これは……預けていいですか」
「申請書類として保管します」
「そうですか」辰夫は少し間を置いた。「ずっと手元に置いていたので、なんか」
「辰夫さん」と健二が言った。
「わかってる」辰夫は言った。「ちゃんとした形にしたかったんだから、預けないといけないのはわかってる」
辰夫は術式の紙を、そのままの状態でハルトに渡した。折り畳まずに、開いたまま。
「よろしくお願いします」
「はい。お預かりします」
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書類を受け取って、受理の手続きを進めた。
健二が、ハルトが書類を整理するのを見ていた。
「一つ聞いていいですか」と健二は言った。
「はい」
「親父の術式、アルカナ・テックが同じようなものを申請していたと聞きました。取り下げたとも」
「はい」
「そこに関係してたのが、この庁舎の内部の人間だったというのも、親父から聞きました」
ハルトは書類を整える手を止めた。
「ニュースになってたんで」と健二は続けた。「それでようやくわかりました。なんで親父の申請が関係してたのか」
「はい」
「俺が止めなければ、親父の申請が先に登録されてたかもしれない」
ハルトは何も言わなかった。
「止めたのは間違いだった」と健二は言った。「親父には謝りました」
辰夫が隣で「もういい」と言った。
「もういいって言われましたけど」と健二は続けた。「あなたにも言っておきたくて」
「はい」
「親父の申請、ちゃんと見てもらえますか」
「はい」とハルトは言った。「見ます」
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面談室を出るとき、辰夫が振り返った。
「神崎さん」
「はい」
「前に聞きましたよね。なんでこの仕事をやっているのか、って」
「はい」
「面白いので、と言っていた」
「はい」
辰夫は少し笑った。
「父も、そういう人でした。魔法が使えなくても、わかる人にはわかると言っていた。面白いと思える人間が、ちゃんとやるんだと思います」
ハルトは辰夫を見た。
「ありがとうございます」
辰夫は頷いた。健二が父親の背中を軽く押した。
「行くぞ、親父」
「押すな」
二人が廊下を歩いていった。並んだ後ろ姿が、エレベーターのドアの向こうに消えた。
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面談室に一人残った。
テーブルの上に、申請書類が揃っていた。一番上に、丸山清一の術式が置いてあった。開いたまま、鉛筆書きの文字が見えていた。
ハルトは術式をもう一度読んだ。
二十数年前、まだ誰も術式の体系を知らなかった時代に、一人の魔法使いが書いたもの。息子には読めなかったもの。二十年間、遺品の中にあったもの。
今日、ここに来た。
ハルトは書類をまとめた。クリアファイルに入れた。受理の印を押した。
一件、増えた。
窓の外は、冬の午後の光だった。低く差し込んで、床に細長い影を作っていた。
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第十話 了




