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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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10/196

「父の術式、もう一度」

アルカナ・テックからの書類が届いたのは、木曜日の朝だった。


郵便物の仕分けをしていた受付職員が、ハルトのデスクに持ってきた。


「アルカナ・テックからです。白銀主任宛ですが、補助係扱いで届いています」


「わかりました。預かります」


封筒を受け取った。厚みはなかった。


リアに渡した。


リアは封を開けた。一枚の書類を取り出した。読んだ。


「申請取り下げ届です」とリアは言った。


「理由の記載は」


「一身上の都合、とだけあります」


ハルトはリアを見た。リアは書類をデスクに置いた。表情は変わらなかった。


「受理します」


それだけ言った。


---


一身上の都合。


村田さんの件が表沙汰になる前に、引いた。それだけのことだった。アルカナ・テックの法務部が動いたのだろう。理由など、書けるはずがなかった。


ハルトは受理の書類を作成した。淡々と作った。


丸山清一の術式は、アルカナ・テックの申請書の中に入っていた。その申請が取り下げられた。


それで終わりではなかった。丸山清一の術式は、まだどこにも登録されていなかった。


---


丸山辰夫から電話が来たのは、同じ週の金曜日だった。


「神崎さんですか。丸山です」


「はい。丸山さん、お元気ですか」


「まあ、元気です」丸山は少し笑った気配がした。「一つ、お願いがあって」


「はい」


「もう一度、申請したいんです」


ハルトは少し間を置いた。


「今度は息子も一緒に行くと言っています。来週、二人で伺ってもいいですか」


「もちろんです。いつでも来てください」


---


丸山辰夫と息子の丸山健二が来庁したのは、翌週の火曜日だった。


受付から内線が入ったとき、ハルトは審査書類を整理していた。


「丸山辰夫さんと丸山健二さんがいらっしゃいます」


「案内してください」


面談室に向かった。


---


ドアを開けると、二人が並んで立っていた。


丸山辰夫は前回と同じだった。白髪交じり、厚手のジャケット、両手で紙袋を持っていた。


隣に立っていたのが息子の健二だろう。三十代後半、作業着、体格がいい。父親より頭一つ分背が高かった。腕輪はつけていなかった。表情が硬かった。


「神崎と申します。補助係です」


「丸山辰夫です」


「丸山健二です」息子が頭を下げた。「お世話になります」


三人で座った。


---


健二が先に口を開いた。


「親父が迷惑かけました」


「いいえ」


「俺が止めたのは」健二は言った。「アルカナ・テックとの取引があったんで、親父の申請が知られたらまずいと思って」


「はい」


「でも、それは俺の判断が間違ってた」健二はテーブルを見た。「親父に怒られました」


「怒ってない」と辰夫は言った。「言い聞かせただけです」


「同じことだろ」


辰夫がまた口を開きかけた。健二が先に続けた。


「まあ、何度も言われたんで、さすがに聞かないといけないと思って」


ハルトは口元が緩むのを感じた。


---


「申請の書類は、前回のものがこちらにあります」とハルトは言った。「取り下げ済みの申請ですが、内容は保管されています。もう一度手続きをしていただければ、新規申請として受理できます」


「書類は持ってきました」と辰夫は紙袋を開けた。「前回、先生に教えてもらった書き方で、全部揃えてきたつもりですが」


辰夫が書類をテーブルに並べた。


ハルトは一枚ずつ確認した。申請書、術式の説明資料、創作経緯の記録。前回よりも丁寧に整っていた。


「揃っています」


「本当ですか」辰夫の顔が少し明るくなった。


「はい。不備はありません」


健二が父親を見た。辰夫は紙袋の中から、折り畳まれた紙を取り出した。


術式だった。前回と同じ紙だった。四つ折り、鉛筆書き、少し黄ばんだ紙。


辰夫はそれをテーブルに置いた。


「これが、父の字です」


健二は術式を見た。しばらく見ていた。


「読めないな、これ」と健二は言った。


「読めないよ」と辰夫は言った。「神崎さんは読めるんだよ」


健二がハルトを見た。


「魔法使いじゃないのに、ですか」


「はい」


「すごいっすね」


「面白いので」


健二は少し笑った。硬かった表情が、少し緩んだ。


---


申請書類の最終確認をした。


ハルトは術式をもう一度読んだ。前回と同じ術式だった。変わっていなかった。丸山清一が二十数年前に鉛筆で書いたものが、そのまま残っていた。


「今日、正式に受理できます」とハルトは言った。「審査には数週間かかります。問題がなければ、登録の運びになります」


「数週間ですか」と辰夫は言った。


「はい。審査の進捗は郵便でお知らせします」


「わかりました」


辰夫は術式の紙を、また四つ折りにしようとした。止まった。


「これは……預けていいですか」


「申請書類として保管します」


「そうですか」辰夫は少し間を置いた。「ずっと手元に置いていたので、なんか」


「辰夫さん」と健二が言った。


「わかってる」辰夫は言った。「ちゃんとした形にしたかったんだから、預けないといけないのはわかってる」


辰夫は術式の紙を、そのままの状態でハルトに渡した。折り畳まずに、開いたまま。


「よろしくお願いします」


「はい。お預かりします」


---


書類を受け取って、受理の手続きを進めた。


健二が、ハルトが書類を整理するのを見ていた。


「一つ聞いていいですか」と健二は言った。


「はい」


「親父の術式、アルカナ・テックが同じようなものを申請していたと聞きました。取り下げたとも」


「はい」


「そこに関係してたのが、この庁舎の内部の人間だったというのも、親父から聞きました」


ハルトは書類を整える手を止めた。


「ニュースになってたんで」と健二は続けた。「それでようやくわかりました。なんで親父の申請が関係してたのか」


「はい」


「俺が止めなければ、親父の申請が先に登録されてたかもしれない」


ハルトは何も言わなかった。


「止めたのは間違いだった」と健二は言った。「親父には謝りました」


辰夫が隣で「もういい」と言った。


「もういいって言われましたけど」と健二は続けた。「あなたにも言っておきたくて」


「はい」


「親父の申請、ちゃんと見てもらえますか」


「はい」とハルトは言った。「見ます」


---


面談室を出るとき、辰夫が振り返った。


「神崎さん」


「はい」


「前に聞きましたよね。なんでこの仕事をやっているのか、って」


「はい」


「面白いので、と言っていた」


「はい」


辰夫は少し笑った。


「父も、そういう人でした。魔法が使えなくても、わかる人にはわかると言っていた。面白いと思える人間が、ちゃんとやるんだと思います」


ハルトは辰夫を見た。


「ありがとうございます」


辰夫は頷いた。健二が父親の背中を軽く押した。


「行くぞ、親父」


「押すな」


二人が廊下を歩いていった。並んだ後ろ姿が、エレベーターのドアの向こうに消えた。


---


面談室に一人残った。


テーブルの上に、申請書類が揃っていた。一番上に、丸山清一の術式が置いてあった。開いたまま、鉛筆書きの文字が見えていた。


ハルトは術式をもう一度読んだ。


二十数年前、まだ誰も術式の体系を知らなかった時代に、一人の魔法使いが書いたもの。息子には読めなかったもの。二十年間、遺品の中にあったもの。


今日、ここに来た。


ハルトは書類をまとめた。クリアファイルに入れた。受理の印を押した。


一件、増えた。


窓の外は、冬の午後の光だった。低く差し込んで、床に細長い影を作っていた。


---


第十話 了

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