「立体になるまで」
エマ視点。
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その夜、帰り道でずっと、図式のことを考えていた。
鞄の中に、コピーが入っていた。
風系基本術式第三号。
矢印と曲線で描かれた、シンプルな図だった。
電車の中で取り出した。
見た。
中心から外に向かう矢印。円を描く曲線。
平面だった。
ただ、今日は違う見え方をした。
矢印の先に、父の術式が見えた。
広がっていく風が、見えた。
髪が揺れた感覚が、蘇った。
肌に当たった風の感覚が、蘇った。
少し、繋がった気がした。
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家に帰った。
父はまだ大学にいた。
一人で夕食を食べた。
食べながら、今日のことを整理した。
ハルトが言っていたことを、繰り返した。
記録は平面だ。実際の術式は、空間の中で動いている。立体だ。その差が、記録と実践のギャップだ。
訓練場で術式を何ヶ月も見て、記録が立体になった。
自分は今日、一回だけ見た。
ただ、近くで見た。肌で感じた。
それが、訓練場での何ヶ月分に近い経験になるかもしれない。
そう言っていた。
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食事が終わった。
机に向かった。
図式を机の上に置いた。
見た。
目を閉じた。
今日の父の術式を思い出した。
足を開いて、両手を広げた父の姿。
気流が生まれた瞬間。
最初は小さかった。中心から外に、円を描いて広がっていった。
髪が揺れた。
肌に風が当たった。
均一だった。一定の圧だった。
目を開いた。
図式を見た。
矢印が、動いて見えた気がした。
気のせいかもしれなかった。
ただ、今日の昼より、少し立体に近かった。
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次にサクの術式を思い出した。
父より少し時間がかかっていた。
気流は、父より柔らかかった。
広がるスピードが、ゆっくりだった。
ただ、方向は同じだった。
中心から外に向かって、均一に広がっていた。
二人の術式を重ねた。
同じ骨格を持っていた。
細部が違うだけだった。
骨格が同じなら、自分がやるときも、骨格だけ合わせればいい。
そう言っていた。
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図式をもう一度見た。
矢印を追った。
中心から外に向かう。
円を描く。
均一に広がる。
今日感じた風の動きと、矢印が重なった。
完全ではなかった。
ただ、今日の昼、最初に図式を見たときより、確かに立体に近かった。
少し、前に進んだ気がした。
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翌朝、目が覚めた。
起きてすぐ、図式を取り出した。
昨夜より、少し見え方が変わっていた。
矢印が、自然に動いて見えた。
完全ではなかった。
ただ、昨日より確実に、立体に近かった。
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大学に行く前に、父に連絡した。
「今週、毎日練習してみる。準備ができたと思ったら連絡する」
父から返信が来た。
「わかった。急がなくていい。ただ、準備ができたと思ったとき、その感覚を信じてください」
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大学の授業が終わった後、図書館に行った。
術式記録に関する論文を探した。
風系術式の動作原理についての研究があった。
読んだ。
数値データがあった。気流の速度、圧力、方向。
数値を見ながら、今日の父の術式を思い出した。
数値が、動きとして見えてきた。
ハルトが言っていたことが、少しわかった気がした。
記録は平面だ。ただ、積み重ねることで、立体になる。
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その夜、寝る前にもう一度、図式を見た。
矢印が動いて見えた。
円を描く流れが、空間の中にあった。
今日の数値データと、矢印が重なった。
父の術式と、矢印が重なった。
サクの術式と、矢印が重なった。
三つが重なった。
立体になった。
完全ではなかった。
ただ、今日、初めて、図式が空間の中に存在した。
目を閉じた。
図式が、頭の中で動いた。
中心から外に向かって、円を描いて、均一に広がっていった。
眠った。
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三日目になった。
朝、図式を見た。
すぐに立体になった。
昨日より速かった。
中心から外に向かう流れが、自然に見えた。
ただ、一つ、わからないことがあった。
図式は頭の中にある。
それを、どこに向かって動かせばいいのか。
ハルトは、手のひらの感覚に向かって動かしたと言っていた。
装置を使って生成された魔力が、手のひらにあった。
それが入口になったと言っていた。
自分には、装置がない。
自前の魔力があると言われていた。
体のどこかにあるはずだと言われていた。
意識したことがなかった。
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授業の合間、目を閉じた。
体の中に意識を向けた。
何かある感じがした。
胸の少し下あたりだった。
温かかった。
これが魔力だと、父に言われていた。
ずっとあったのに、気づいていなかった。
意識すると、確かにあった。
ただ、それをどう使うか、まだわからなかった。
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その夜、父に電話した。
「魔力の感覚は、わかりました。図式も、立体として見えています。ただ、どう繋げるかがわかりません」
「焦らなくていいです」父は言った。「繋げようとしなくていいです。ただ、二つを同時に意識してみてください。図式と、魔力の感覚を、同時に」
「同時に、ですか」
「そうです。繋げようとするのではなく、両方が同時に頭の中にある状態を作る。それだけでいいです」
「わかりました」
「準備ができたと思ったら、連絡してください。急がなくていいです」
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四日目の夜だった。
机に向かった。
目を閉じた。
胸の少し下に意識を向けた。
温かいものがあった。
それを感じながら、図式を頭の中で展開した。
中心から外に向かう。円を描く。均一に広がる。
二つが、同時にあった。
繋げようとはしなかった。
ただ、両方を同時に持っていた。
何も起きなかった。
ただ、二つが同時にあった。
それだけで、今夜は終わった。
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五日目の朝だった。
目が覚めた。
なぜか、今日だという気がした。
根拠はなかった。
ただ、そういう気がした。
図式を取り出した。
見た。
すぐに立体になった。
胸の少し下に意識を向けた。
温かいものがあった。
二つが同時にあった。
繰り返した。
何度も繰り返した。
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昼前、父に連絡した。
「今日、試したいです」
父からすぐに返信が来た。
「わかりました。午後に集まりましょう」
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研究室に入った。
四人が揃った。
エマ、カーター教授、サク、ハルト。
「準備ができましたか」カーター教授は言った。
「はい」エマは言った。「今日だという気がします」
「根拠はありますか」
「ありません。ただ、そういう感覚があります」
「感覚を信じてください」カーター教授は言った。「それが、術式に必要なものです」
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実験室に入った。
椅子に座った。
装置はなかった。
自前の魔力だけで試す実験だった。
サクが計測機器の前に立った。
ハルトが、エマの隣に座った。
「今日、どんな準備をしてきましたか」ハルトは言った。
「図式を立体にする練習を、毎日しました。魔力の場所も、わかりました。昨夜から、二つを同時に意識する練習をしていました」
「繋げようとしましたか」
「しませんでした。父に、繋げようとしなくていいと言われたので」
「はい。その通りだと思います」ハルトは言った。「私も、繋げようとしたわけではありませんでした。手のひらの感覚に向かって、図式通りに動かそうとしただけです。繋がったのは、その結果でした」
「動かそうとする、ですか」
「はい。どこに向かって動かすかは、自分の中の感覚です。今日は、魔力の感覚がある場所に向かって、図式通りに動かしてみてください」
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エマは右手のひらを上に向けた。
目を閉じた。
胸の少し下に意識を向けた。
温かいものがあった。
図式を展開した。
中心から外に向かう。円を描く。均一に広がる。
立体になった。
今日は、すぐに立体になった。
二つが、同時にあった。
繋げようとは、しなかった。
ただ、図式の動きを、魔力の感覚がある場所に向かって、動かそうとした。
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三十秒が経った。
何も起きなかった。
焦らなかった。
ただ、続けた。
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一分が経った。
何も起きなかった。
ただ、続けた。
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一分三十秒が経った。
そのとき、何かが変わった。
温かいものが、少し動いた気がした。
胸の少し下にあったものが、動こうとしていた。
押さえつけなかった。
ただ、動こうとするままにした。
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「計測値、動いています」サクの声がした。
エマは目を閉じたままでいた。
温かいものが、少しずつ、手のひらの方に向かっていた。
図式の動きを、ただ意識した。
中心から外に向かう。
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二分が経った。
手のひらに、何かが来た。
装置からの感覚とは違うはずだった。
ただ、自分の中から来た感覚だった。
温かさが、手のひらに集まってきた。
図式通りに、中心から外に向かって、動かそうとした。
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何かが出た。
手のひらから、何かが出た。
目を開けた。
テーブルの上の紙切れが、揺れていた。
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二秒だった。
それから、止まった。
温かさが、散っていくような感覚がした。
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実験室が、静止した。
誰も動かなかった。
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エマは自分の右手のひらを見た。
何も見えなかった。
ただ、さっきまで、そこに何かがあった。
自分の中から、出てきた。
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「計測値、確認できました」サクの声が聞こえた。「魔力の反応。術式の発動。二秒間」
エマは顔を上げた。
「出ましたか」
「はい」サクは言った。「出ました」
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カーター教授が近づいてきた。
エマの前に座った。
何も言わなかった。
ただ、エマを見ていた。
エマも、父を見た。
「使えた」エマは言った。
父は、何も言わなかった。
ただ、頷いた。
それだけだった。
それで、十分だった。
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少し間があった。
「装置なしで、ですか」エマは言った。
「はい」サクは言った。「装置なしです。エマさんの自前の魔力で、術式を発動しました」
「魔力保有者が、装置なしで、術式を」
「はい」
エマは右手のひらを見た。
「センスがなかったのではなく、使い方を知らなかっただけだった」エマは言った。静かな声だった。
「はい」カーター教授は言った。「使い方を知らなかっただけでした」
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エマはしばらく、右手のひらを見ていた。
「ハルトさん」エマは言った。
「はい」
「訓練場で術式を見続けていたことが、今日に繋がったんですね」
「はい。ただ、今日に繋げてくれたのは、エマさんが一週間、図式と向き合ってくれたからです」
「一週間と、ハルトさんの何ヶ月と、どちらが大切でしたか」
ハルトは少し考えた。
「どちらも必要でした」ハルトは言った。「どちらが欠けても、今日はなかったと思います」
「そうですか」エマは言った。「では、二人でここに来たんですね、今日」
「はい。そうかもしれません」
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サクが計測データを確認していた。
「記録されました」サクは言った。「魔力保有者が、装置なしで、自前の魔力で術式を発動した。世界初のデータとして、今日、残りました」
「世界初、か」エマは言った。
「はい」サクは言った。「ただ、今日は四人だけの記録です」
「はい。わかっています」エマは言った。「外には出しません。ただ」
「ただ」
「この感覚は、誰にも奪えませんね」エマは言った。「自分の中で起きたことだから」
「はい」サクは言った。「それは、誰にも奪えません」
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実験室を出た。
廊下に出た。
四人で並んで歩いた。
エマは歩きながら、ずっと右手のひらを時々見ていた。
「もう一度やったら、またできますか」エマは言った。
「わかりません」カーター教授は言った。「ただ、一度できたということは、道がある、ということです。繰り返せば、定着します」
「定着すれば、いつでもできるようになりますか」
「そう思っています。ただ、それには訓練が必要です」
「やります」エマは言った。即座に言った。「やります」
「わかりました」カーター教授は言った。少し笑った。「焦らなくていいです。ただ、その気持ちは大切にしてください」
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キャンパスを出た。
三月の夕方だった。
空がオレンジ色だった。
少し風があった。
エマは空を見た。
風が頬に当たった。
「これ、術式で作れるかもしれない」エマは言った。
「いつか、できると思います」サクは言った。
「いつかじゃなくて、早くやりたい」エマは言った。笑った。「こんなに早くやりたいと思うとは、思わなかった。今まで諦めていたのに」
「諦めていたのは、使い方を知らなかったからです」サクは言った。「知った今は、違います」
「そうですね」エマは言った。「使い方を知ったら、世界が変わりました。今日だけで、こんなに変わるとは思わなかった」
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駅で四人が別れた。
エマとカーター教授は同じ方向に向かった。
別れ際、エマがサクに言った。
「サクさん、この研究、早く世界に出してほしいです」
「慎重に進めます」サクは言った。
「わかっています」エマは言った。「ただ、世界に、私みたいな人がたくさんいると思うから。使えると思っていなかった人が、たくさんいると思うから」
「はい」サクは言った。「それが、この研究を続ける理由の一つです」
「頑張ってください」エマは言った。「私も、協力します。できることは何でもします」
「ありがとうございます」サクは言った。「また来週、実験しましょう」
「はい。絶対来ます」
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エマとカーター教授が去った。
ハルトとサクだけが残った。
少し歩いた。
「どうだった?」サクは言った。
「うまくいったと思います」
「そうだね」サクは言った。「うまくいった。ただ、私は今日、一番エマさんの顔を見てた」
「はい。顔が、変わりましたね」
「うん。諦めていた人が、諦めなくてよかったと思う瞬間の顔だった」サクは言った。「それを見られてよかった」
「はい」
「ハルトくんが訓練場で術式を見続けていなければ、今日はなかった」
「サクさんの研究がなければ、実験自体がなかった」
「そうだね」サクは言った。「全部、繋がってる」
「はい」
「来週も続ける。再現性を確認する。定着するまで続ける」サクは言った。「それが次のステップ」
「はい」
「一緒にやってくれる?」
「はい。いつでも」
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電車に乗った。
窓の外に、夕方の街が流れていった。
今日のことを頭の中に入れた。
エマが魔力の場所を見つけた日。図式が立体になった夜。二つを同時に意識した練習。今日、手のひらから何かが出た瞬間。紙が揺れた。「使えた」という言葉。エマの顔。
全部、残った。
訓練場で藤本さんの術式を見た日が、頭に浮かんだ。
あの日から、今日まで繋がっていた。
記録は積み上がって、後から繋がる。
サクが言った通りだった。
ただ、今日繋がったのは、記録だけではなかった。
エマという人間の一週間が、今日に繋がった。
空が、暗くなっていた。
帰った。
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第八十六話 了




