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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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「翌朝」

翌朝、目が覚めた。


六時だった。


いつもより早かった。


右手のひらを見た。


何もなかった。


昨日と同じ手だった。


ただ、昨日起きたことは、頭の中に残っていた。


三秒間の気流。集まる感覚。紙が揺れた瞬間。


全部、消えていなかった。


---


コーヒーを淹れた。


飲みながら、昨夜のことを整理した。


リアにメッセージを送ったことが、頭に残っていた。


興奮していた。


昨夜は、それしか言葉が出なかった。


ただ、落ち着いて考えると、問題があった。


実験の内容を、研究室の外に伝えることは、適切ではなかった。


倫理審査を通じて管理された実験だった。データの取り扱いについて、カーター教授と確認を取っていなかった。


興奮して、そのあたりを疎かにした。


それは、正しくなかった。


---


サクに電話した。


二回のコールで出た。


「ハルトくん、おはよう。昨日、ちゃんと眠れた?」


「はい。ただ、少し早く目が覚めました。サクさんは」


「私も早く起きた。なんか、興奮してて」


「サクさん、一点、確認させてください」


「うん、どうぞ」


「昨日の実験の結果について、外部への情報共有の範囲は、どうなっていますか」


電話口が少し静かになった。


「倫理審査の条件があります」サクは言った。「データの外部公表は、教授の承認が必要で、論文として正式に発表する前は非公開が原則です」


「はい。昨日、白銀主任に実験の概要を伝えました」ハルトは言った。「教授への確認を取る前に伝えてしまいました。興奮していて、判断が疎かになりました」


少し間があった。


「ハルトくんらしくないね」サクは言った。


「はい。正しくなかったと思っています」


「今から教授に連絡する。確認してみる」サクは言った。「白銀さんには、今日中に対応してもらえる?」


「はい。すぐに連絡します」


「わかった。教授に確認取れたら折り返す」


---


リアにメッセージを送った。


「昨夜、実験の内容をお伝えしましたが、確認が必要なことがありました」


すぐに返信が来た。


「はい。何ですか」


「実験データの外部公表は、倫理審査の条件として、教授の承認が必要です。論文発表前は非公開が原則と確認しました。昨夜は興奮していて、その確認を怠りました。申し訳ありませんでした」


少し間があった。


「わかりました」リアは言った。「昨夜聞いたことは、私の中だけに留めます。正式な発表があるまで、誰にも話しません」


「ありがとうございます」


「神崎さん、正直に言ってくれてよかったです」リアは言った。「気づいたときに言える人は、信頼できます」


「昨夜は判断が疎かでした」


「人間ですから、そういうことはあります」リアは言った。「ただ、翌朝に気づいて、最初に動いた。それが大事なことだと思います」


「はい」


「佐久間さんの研究、うまくいっているんですね。それだけは伝わりました」


「はい。着実に進んでいます」


「そうですか」リアは言った。「楽しみにしています。正式な発表のときに、ちゃんと聞かせてください」


「はい。必ず」


---


一時間後、サクから電話が来た。


「教授に確認した」


「はい。どうでしたか」


「教授は、白銀さんが誰かっていうのを聞いた。MPBの審査員で、ハルトくんの直属の上司だと説明したら、守秘義務のある職にある人間なら許容範囲だと言ってくれた。ただ、今後は事前に確認してほしいと言われた」


「はい。申し訳ありませんでした」


「教授は怒ってなかったよ。ただ、ハルトくんが自分から気づいて連絡してきたことを、ちゃんとした人だと言っていた」


「そうですか」


「私も、そう思う」サクは言った。「ハルトくんって、ミスしたとき、すぐ動くよね」


「当然のことです」


「当然って言える人、少ないんだよ」サクは言った。「ありがとう、ハルトくん。今後は教授への確認を先にする」


「はい。よろしくお願いします」


---


月曜日になった。


IMPOに出勤した。


デスクに座った。


コーヒーを飲んだ。


いつもと同じ朝だった。


---


先週から続けていたドイツとの翻訳辞書作業の画面を開いた。


ドイツの数値記録と、日本の図式記録が並んでいた。


一件ずつ、確認を続けた。


三件目を開いたとき、少し手が止まった。


ドイツの数値記録に、出力の変化を示す数列があった。


増加して、ピークを迎えて、徐々に収束していく形だった。


日本の図式記録では、同じ変化が矢印と曲線で表現されていた。


二つを並べて見ていると、ふと気づいた。


ドイツの数値の変化パターンと、日本の図式の形が、同じリズムを持っていた。


これまでは、対応を確認するために両者を順番に読んでいた。


今日は、並べて見ると、同時に伝わってきた。


何が変わったのかは、うまく言葉にできなかった。


ただ、同じことを表しているという確信が、以前より早く来た。


---


次の件を開いた。


また同じことが起きた。


数値の変化のパターンが、図式の形と、自然に重なって見えた。


照合の速度が、少し上がっていた。


---


デイヴィッドが声をかけてきた。


「神崎さん、今日は進みが速いですね」


「そうですか」


「先週と比べて、照合のペースが上がっています。何かやり方を変えましたか」


「変えていません。ただ、少し見え方が変わった気がします」


「見え方が、ですか」


「数値の変化パターンと、図式の形が、同時に読めるようになってきた気がします。以前は順番に確認していたものが、並べると自然に対応が見えてきます」


「それは、照合に慣れてきたということではないですか」


「そうかもしれません」ハルトは言った。「週末に、記録をまとめて読み直す時間がありました。それが影響しているかもしれません」


「なるほど」デイヴィッドは言った。「記録を読み込めば読み込むほど、見え方が変わる。それは、我々が目指している方向性ですね。記録を蓄積することで、誰でも精度が上がる」


「はい。そう思います」


---


午後、会議があった。


国際術式記録データベースの進捗報告だった。


各国の担当者が集まった。


翻訳辞書の進捗を報告した。


「ドイツとの照合は、百二十件まで進みました。フランスとの照合は、四十件完了しています。今週、照合作業を進める中で、共通基準の骨格として新しい分類軸を提案したいと思います」


「どういう分類ですか」マーカスが言った。


「術式の動作の方向性を軸にした分類です。力を内側に集めるもの、外側に広げるもの、循環させるもの。この三つの方向性を基準にすると、各国の記録形式が違っても、照合の入口として機能します」


「それは、どこから出てきた発想ですか」


「記録を読み込む中で、自然に見えてきました。数値記録と図式記録を並べていると、形式が違っても同じパターンが繰り返し出てくることに気づきました。そのパターンの中心にあるのが、動作の方向性です」


「なるほど」マーカスは言った。「シンプルですね。誰にでも理解できる分類軸だ」


「誰にでも理解できることが、重要だと思っています」ハルトは言った。「形式が違っても、方向性という基準があれば、魔法使いでも非適合者でも、同じ基準で記録を読めます」


「非適合者でも、ということですか」フランスの担当者が言った。


「はい。動作の方向性は、記録として読み取れます。実際に術式を使わなくても、記録から判断できます」


---


ドイツの担当者が言った。


「神崎さん、今日の提案、具体的に試してみませんか。私の記録と、日本の記録を、動作の方向性を軸に再分類してみたい」


「はい。やりましょう」


「今週中に、できますか」


「はい。木曜日までに、分類案を出せます」


「ありがとうございます」ドイツの担当者は言った。「神崎さんが来てから、照合の精度が上がり続けていますね」


「記録を積み上げれば、見えてくるものがある、ということだと思います」


---


会議が終わった。


デイヴィッドが近づいてきた。


「神崎さん、今日の提案、よかったです。動作の方向性を軸にした分類は、シンプルで誰にでも理解できます」


「記録を読み込む中で、自然に出てきた考えです」


「それが大事なんです」デイヴィッドは言った。「特別な経験がなくても、記録から見えてくる。誰でも再現できる方法にしなければ、国際的な標準にはなりません」


「はい。そう思います」


「神崎さんって、非適合者として審査の仕事をしてきていますよね」


「はい」


「今日の提案も、そうですが、あなたの仕事の仕方は一貫していると思います。記録から見える範囲で判断する。感覚や経験に頼らない」


「はい。それが私にできることです」


「それが、国際的な標準を作る仕事には合っているんだと思います」デイヴィッドは言った。「感覚や経験は人によって違う。記録は共有できる。あなたがやってきたことは、最初からその考え方と一致していた」


「そうかもしれません」


「神崎さん、非適合者として、仕事をしてきて、どうですか」


ハルトは少し考えた。


「問題はありませんでした」ハルトは言った。「方法が違うだけで、到達できる場所は同じだと思っています」


「その言葉、好きです」デイヴィッドは言った。「それが、今日の会議でも証明されていました」


---


夕方、オフィスを出た。


サンフランシスコの夜が始まっていた。


歩きながら、今日のことを整理した。


朝のリアへの修正連絡。サクへの確認。デスクでの照合の変化。会議での提案。デイヴィッドの「記録は共有できる」という言葉。


全部、残った。


今日の業務として、何か問題があったかというと、何もなかった。


会議での発言も、照合作業も、いつも通りに動いた。


むしろ、少し精度が上がった部分があった。


非適合者として、今日も仕事ができた。


昨日、あの三秒があった。


それでも、今日の自分は変わらず、記録で動く人間だった。


記録で動くことが、自分の仕事の形だった。


それを、今日改めて確認した。


---


宿舎に帰った。


サクからメッセージが来ていた。


「今日、仕事どうだった?」


「照合作業が少し進みました。会議で新しい提案もできました」


「うまくいったんだね」


「はい。いつも通りに動けました」


「いつも通り、か」サクは言った。「それが一番大事だよね」


「はい。そう思います」


「ハルトくんは、何があっても、いつも通りに戻ってくるね」


「そうですか」


「うん」サクは言った。「それが、ハルトくんの強みだと思う。昨日のことがあっても、今日の仕事は今日の仕事として動ける」


「昨日のことがあっても、という意味がわかりますか」


「わかるよ」サクは言った。「大きいことがあった翌日って、ふわふわしやすいから。ハルトくんがちゃんと仕事できたこと、私は嬉しい」


「はい。問題ありませんでした」


「うん」サクは言った。「また週末に会おう。おやすみ、ハルトくん」


「おやすみなさい」


---


スマートフォンを置いた。


部屋が静かだった。


今日一日を、もう一度頭の中に入れた。


朝の気づき。修正の連絡。照合の変化。会議での提案。デイヴィッドの言葉。サクの「何があっても、いつも通りに戻ってくる」という言葉。


全部、残った。


今日、非適合者として仕事をした。


昨日の前も後も、やることは変わらなかった。


記録で動く。それだけだった。


窓の外に、サンフランシスコの夜があった。


寝た。


---


第八十二話 了

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