「サンフランシスコ」
飛行機が着陸した。
窓の外に、青い空が見えた。
日本を出て、十二時間が経っていた。
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入国審査を終えた。
荷物を受け取った。
空港のロビーに出た。
迎えの担当者がいた。
IMPOの職員だった。三十代の男性だった。名前はデイヴィッド・チェンといった。日本語が話せた。
「神崎さん、ようこそ。長旅でしたね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「荷物はそれだけですか」
「はい」
「では、車に案内します」
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車窓から、サンフランシスコの街が見えた。
八月の空は、日本より乾いていた。
青かった。
デイヴィッドが言った。
「日本から来る方は、最初、空気の乾燥に戸惑うことが多いです。水分をこまめに取ってください」
「はい」
「IMPOのオフィスは、市内の中心部にあります。今日は宿舎にご案内して、明日から正式に業務の説明に入ります」
「わかりました」
「神崎さんのことは、事前に資料で読みました」デイヴィッドは言った。「術式記録と特許記録の両方を扱える方は、珍しいと聞いています」
「魔法庁での経験があります」
「今回の戦争での捜査協力も、こちらで話題になっていました」デイヴィッドは言った。「骨格一致の照合、よく見つけましたね」
「記録を正確に持っていたからです」
「それが、あなたの専門なんですね」デイヴィッドは言った。「楽しみにしています」
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宿舎に着いた。
部屋に入った。
窓があった。
外を見た。
サンフランシスコの街が見えた。
空が広かった。
ハルトはしばらく窓の外を見ていた。
来た。
それだけを、頭の中に入れた。
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荷物を置いた。
スマートフォンを取り出した。
サクに電話した。
一回のコールで出た。
「ハルトくん」サクは言った。「着いた?」
「はい。今、宿舎にいます」
「よかった。長かったね、十二時間」
「はい。ただ、問題ありませんでした」
「空港、混んでた?」
「そこそこでした。迎えの方が来てくれていたので、スムーズでした」
「そっか」サクは言った。少し間を置いた。「ハルトくん、今、同じ国にいるんだね」
「はい」
「なんか、不思議な感じがする」サクは言った。「ずっと、遠かったから」
「はい。ただ、同じ国になりました」
「うん」サクは言った。「嬉しいよ、やっぱり」
「はい」
「疲れてるよね。今日はゆっくり休んで。明日から仕事でしょ」
「はい。明日から業務説明が始まります」
「じゃあ、今日は寝て」サクは言った。「週末、会える?」
「はい。来週末が最初の機会になると思います」
「じゃあ、来週末に」サクは言った。「電車で来てくれる? 研究室の最寄り駅に迎えに行く」
「はい」
「楽しみにしてる」サクは言った。「おやすみ、ハルトくん。ゆっくり休んでね」
「おやすみなさい」
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電話が切れた。
来週末、会う。
それだけのことだった。
シャワーを浴びた。
寝た。
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翌日から、業務が始まった。
IMPOのオフィスは、広かった。
各国から来た担当者が、それぞれのデスクで動いていた。英語、フランス語、ドイツ語、アラビア語。色々な言語が聞こえた。
デイヴィッドが案内してくれた。
「IMPOは、各国の魔法特許制度の標準化と情報共有を担当しています。神崎さんには、主に三つの業務を担当してもらいます」
「はい」
「一つ目、各国の特許記録と術式記録の照合業務です。国際的な重複申請や先願の確認を行います」
「はい」
「二つ目、今回の戦争を受けて設置された国際術式記録データベースの構築に関わってもらいます。各国が持っている術式記録を一元管理するための仕組みを作る作業です」
「はい。それは、やれると思います」
「三つ目、研修プログラムへの参加です。各国の担当者向けに、日本の特許制度と術式理解の事例を共有してもらいます」
「大学での講義と、似た内容になりますか」
「そうです。ただ、対象が各国の実務担当者になります。魔法適性のある方も、ない方も、混在します」
「わかりました」
「何か質問はありますか」
「国際術式記録データベースの現状を教えてください。どの程度、整備されていますか」
デイヴィッドは少し間を置いた。
「正直に言えば、まだ整備の途中です」デイヴィッドは言った。「各国の記録の形式がバラバラで、照合が難しい状態です。そこを整理するために、神崎さんのような経験を持つ方が必要だったんです」
「記録の形式が違えば、照合の基準も統一できていないということですか」
「そうです。神崎さんが魔法庁でやっていた、ギャップの整理に近い作業が必要です。ただ、スケールが国際的です」
「わかりました。まず、現状の記録を確認させてください」
「もちろんです。今日の午後から、アクセス権限をお渡しします」
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午後、データベースのアクセス権限が渡された。
ハルトはデスクで、記録を確認し始めた。
各国から提出された術式記録が、一つのシステムに集約されていた。
ただ、デイヴィッドの言う通りだった。
形式がバラバラだった。
日本の記録は、テキストと図式の組み合わせだった。ドイツの記録は、数値データ中心だった。フランスの記録は、術式の動画が添付されていた。アメリカの記録は、属性ごとに分類されていたが、日本の分類体系と異なっていた。
一件ずつ、確認した。
三時間かけて、五十件確認した。
確認しながら、頭の中に入れた。
全部、残っていた。
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夕方、デイヴィッドが声をかけてきた。
「神崎さん、初日どうでしたか」
「記録の現状を把握しました。形式の統一には、時間がかかると思います。ただ、やり方はあります」
「もう、方向性が見えましたか」
「骨格を統一することと、各国の形式の差異を記録しておくことが、両方必要だと思います。形式を無理に統一しようとすると、各国の記録の特性が失われます。差異を記録として持ちながら、照合できる共通基準を作る方法が有効だと思います」
「それは、魔法庁でやっていたことと似ていますか」
「はい。記録と実践のギャップを整理したことと、同じ考え方です。違いを消すのではなく、違いを記録として持つことが、照合の基準になります」
「なるほど」デイヴィッドは言った。「具体的な提案を、来週の会議で話してもらえますか」
「はい。準備します」
「ありがとうございます。神崎さん、来てもらってよかったです」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
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一週間が経った。
業務は、少しずつ形になっていた。
国際術式記録データベースの整理方針を、来週の会議で発表することになった。
各国の担当者と、英語でやり取りをした。
英語は、日常会話として問題なかった。ただ、術式の専門用語は、各国で表現が違った。
同じ概念を、別の言葉で表していることが多かった。
それも、記録として整理した。
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土曜日の朝だった。
電車に乗った。
サクの研究室がある大学の最寄り駅に向かった。
一時間ほどかかった。
窓の外に、アメリカの街が流れていった。
空が広かった。
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駅に着いた。
改札を出た。
サクがいた。
Tシャツとジーンズだった。研究室帰りのような格好だった。スマートフォンを持っていた。
ハルトを見た。
笑った。
「来た」
「はい」
「電車、大丈夫だった?」
「はい。問題ありませんでした」
「よかった」サクは言った。「お腹、空いてる?」
「少し」
「じゃあ、近くのカフェに行こう。研究室も後で案内する」
「はい」
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カフェに入った。
向かい合って座った。
メニューを見た。
サクはコーヒーを頼んだ。ハルトも同じにした。
料理が来るまで、二人でしばらく黙っていた。
静かだった。
ただ、悪い静かさではなかった。
「なんか、不思議だね」サクは言った。
「はい」
「去年の今頃は、電話で話してた。弁護士経由で伝言を送ってた。それが今、向かいに座ってる」
「はい」
「距離って、変わるんだね」サクは言った。「変えようとすれば、変わるんだね」
「はい」
「ハルトくんが来てくれたから、変わった」サクは言った。「ありがとう」
「業務として来ています」
「それはわかってる」サクは言った。「でも、ありがとうは、ありがとうだから」
「はい。受け取りました」
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コーヒーが来た。
二人で飲んだ。
「研究、最近どうですか」
「いい感じ。変換効率、六十七パーセントになった」
「また上がりましたか」
「うん。少しずつだけど、確実に上がってる。ハルトくんが来てから、なんか気合が入って」
「そうですか」
「そうだよ」サクは言った。「近くにいてくれるって思うと、頑張れる。不思議だよね、それだけで変わるの」
「はい」
「論文も、最終段階に入ってる。教授と、来年の二月か三月に提出できそうだって話をしてる」
「二月か三月、ですか」
「うん。査読があるから、提出してすぐってわけじゃないけど、それでも来年には形になりそう」
「それは、よかったです」
「約束、近づいてきたね」サクは言った。「研究が完成したとき、最初に使ってもらう約束」
「はい。覚えています」
「ハルトくんって、来年の夏まではアメリカにいるんだよね」
「はい」
「だったら、完成したとき、近くにいてくれるかもしれない」
「はい。そう思っています」
「嬉しいな」サクは言った。「すごく嬉しい」
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しばらく、二人でコーヒーを飲んだ。
「ハルトくん、仕事はどう? 新しいところ、慣れた?」
「少しずつ慣れています。記録の形式が各国でバラバラなので、整理しているところです」
「各国の記録が一つにまとまるの?」
「そこを目指しています。ただ、形式を統一するのではなく、違いを記録として持ちながら照合できる仕組みを作ろうと思っています」
「違いを記録として持つ、か」サクは言った。「それって、ハルトくんが魔法庁でやってたこととも繋がる話だよね」
「はい。ギャップの整理と、同じ考え方です」
「ハルトくんって、どこに行っても同じことをするんだね」サクは言った。「記録を整理して、ギャップを埋めていく」
「それしかできないので」
「それが全部なんだよ、ハルトくんの」サクは言った。「どこに行っても、それが役に立ってる」
「そうかもしれません」
「絶対そうだよ」サクは言った。「私も、ハルトくんの記録に、何度も助けてもらったから」
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食事を終えた。
カフェを出た。
サクが研究室に案内してくれた。
大学のキャンパスは広かった。
木が多かった。八月の午後で、日差しは強かったが、木陰は涼しかった。
「ここがキャンパスの中心」サクは歩きながら言った。「理工学部のビルが向こうで、私の研究室はその三階」
「広いですね」
「広い。最初は迷ってた」サクは言った。「今は慣れたけど」
「研究室の人たちは、どうですか」
「いい人たちだよ。教授も、私の件があってからも変わらずにいてくれた。それが、すごく助かった」
「はい」
「研究室のメンバーも、みんな自分の研究に一生懸命で。邪魔されない感じが、日本とは少し違う」
「邪魔されない感じ、ですか」
「日本にいたとき、アルカナテックのこととか、国の動きとか、色々と外側からの力があって。ここは、そういうのが少ない。研究に集中できる」
「それは、よかったです」
「うん」サクは言った。「ハルトくんに話すの、久しぶりに直接話せた感じがする。電話でも話してたけど、やっぱり直接は違うね」
「はい。違います」
「何が違うんだろう」サクは言った。「声は同じなのに」
「声以外のものが、伝わるからかもしれません」
「声以外のもの」サクは繰り返した。「ハルトくんって、そういうこと言うんだね」
「事実だと思います」
「うん」サクは言った。「そうだと思う」
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研究室のビルに着いた。
入口のところで、サクが止まった。
「ハルトくん、中に入る? 今日は誰もいないはずだから」
「はい。入ってもいいですか」
「もちろん。見てほしいんだよ、私が研究してる場所を」
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三階の研究室に入った。
広い部屋だった。
机が並んでいた。実験機材が並んでいた。ホワイトボードに、数式と図が書いてあった。
窓から、キャンパスが見えた。
サクが一つの機材の前に立った。
「これが、今使ってる変換素子の実験装置」サクは言った。「この中に、私が二年かけて作ってきた素子が入ってる」
「はい」
「地味な装置だけど」サクは言った。「ここで、六十七パーセントが出た」
「はい」
「ハルトくんが、この装置の前に立ってくれると思ってなかった」サクは言った。静かな声だった。「日本から電話で話してたのが、今日、ここにいる」
「はい」
「なんか、ちゃんと伝わってる気がする」サクは言った。「記録が、ここに積み上がってるって感じが」
「はい。積み上がっています」ハルトは言った。「見えます」
「見える?」
「記録として、見えます。二年間のデータが、この装置の中にあるんですよね」
「うん、そう」サクは言った。「ハルトくんに言われると、そういう見え方になるんだね」
「そうですか」
「うん。なんか、嬉しい。ここを見てもらえてよかった」
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キャンパスを出た。
夕方になっていた。
駅に向かって歩いた。
「また来てもいい?」ハルトは言った。
「もちろん」サクは言った。少し目を丸くした。「ハルトくんから、また来ていいかって聞いてくれるとは思わなかった」
「近くにいる間は、来たいと思っています」
「来て」サクは言った。「いつでも来て」
「はい」
「毎週でもいいよ」
「それは、サクさんの研究の妨げになりませんか」
「ならない」サクは言った。断言した。「むしろ、逆だよ。ハルトくんが来てくれると、頑張れる」
「そうですか」
「そうだよ」
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駅に着いた。
改札の前で止まった。
「今日、来てくれてありがとう」サクは言った。
「はい。来てよかったです」
「また来週も来る?」
「はい。業務が落ち着けば」
「落ち着かせて」サクは言った。笑った。「来週も待ってるから」
「はい」
「ハルトくん」
「はい」
「同じ国にいるって、思ったより、いいね」
「はい。そうですね」
「うん」サクは言った。「また来週。気をつけて帰ってね」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
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改札を通った。
電車に乗った。
窓の外に、アメリカの夕方が流れていった。
空が少しオレンジ色になっていた。
ハルトは今日のことを頭の中に入れた。
デイヴィッドの言葉。データベースの現状。各国の記録の差異。そしてサクの研究室。六十七パーセントという数字。装置の前に立ったこと。「記録が積み上がってる」というサクの言葉。「同じ国にいるって、思ったより、いいね」という言葉。
全部、残った。
来た。
同じ国に、来た。
電話の声ではなく、向かいに座っていた。
研究室に入った。実験装置を見た。二年間のデータが、そこにあった。
それが、記録として残った。
オレンジ色の空が、少し暗くなっていった。
帰った。
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第七十七話 了




