「三人で食べる」
七月の第二週、木曜日だった。
定時になった。
岸本がハルトのデスクに来た。
「神崎さん、今夜、時間がありますか」
「はい」
「鶴田くんと三人で、ご飯行きませんか」岸本は言った。「神崎さん、来月からアメリカに行くじゃないですか。その前に、三人で食べたくて」
「はい。行きましょう」
「やった」岸本は言った。あっさりした言い方だった。「鶴田くんに声かけてきます」
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鶴田がデスクから顔を上げた。
「本当ですか」鶴田は言った。「行きます。絶対行きます」
「早い返事だな」岸本は言った。
「だって、神崎さんとご飯、なかなか行けないので」鶴田は言った。「一年半、魔法庁にいてたし、戻ってきてからも忙しそうで」
「言ってくれれば、誘いましたよ」ハルトは言った。
「神崎さんを誘っていいのかどうか、わからなくて」
「いつでも誘ってください」
「本当ですか」鶴田は少し目を丸くした。「じゃあ、アメリカから帰ってきたらも、誘っていいですか」
「はい」
「約束ですよ」鶴田は言った。「神崎さんの約束は信用しているので」
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三人でビルを出た。
七月の夜は、まだ明るかった。
「あの定食屋にしましょう」岸本は言った。「三人で行ったことがある、駅前の」
「はい」
「鶴田くんも、いいよね」
「はい。あそこ、好きです」鶴田は言った。「神崎さんの生姜焼きが定番の店ですよね」
「なんで知ってるんですか」ハルトは言った。
「岸本さんから聞きました」鶴田は言った。「神崎さんはあそこに行くと、いつも生姜焼き定食を頼むって」
「そうですか」
「今日も頼みますか」
「おそらく」
「なんか、それがいいですよね」鶴田は言った。「神崎さんって、そういうとこ、ぶれないから」
「岸本さんと同じことを言いますね」
「岸本さんに言われて、そうだなと思いました」鶴田は言った。あっさりした言い方だった。
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定食屋に入った。
四人掛けのテーブルに三人で座った。
岸本は唐揚げ定食を頼んだ。鶴田はさば味噌定食にした。ハルトは生姜焼き定食にした。
「やっぱり」岸本は言った。
「はい」
「次に来るときも、生姜焼きですか」
「おそらく」
「それでいいと思います」岸本は言った。「神崎さんは、神崎さんのままでいいので」
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料理を待ちながら、岸本が言った。
「神崎さん、アメリカって、どのくらい行くんでしたっけ」
「一年間です。来年の夏に戻ってきます」
「また一年か」岸本は言った。「魔法庁のときも一年半いてたし、神崎さんって、よく外に出ますね」
「業務としての依頼です」
「MPBにいたら来ない依頼が来てるっていうのが、神崎さんらしいと思います」岸本は言った。「普通、新人で入って三年で魔法庁に出向して、そのままアメリカって、ないですよ」
「そうですか」
「ないですよ、絶対」岸本は言った。「鶴田くん、そう思わない?」
「思います」鶴田は言った。「私が神崎さんの立場だったら、何がなんだかわからないと思います」
「神崎さんは、どうして落ち着いていられるんですか」鶴田は言った。「新しいところに行くとき、怖くないですか」
ハルトは少し考えた。
「怖くないとは言えません。ただ、記録を持って行けるので」
「記録、ですか」
「今まで覚えてきたものは、全部頭の中にあります。新しい場所に行っても、それは持って行けます。だから、ゼロからではありません」
「なるほど」鶴田は言った。「記録が、神崎さんの荷物なんですね」
「そうかもしれません」
「かっこいい表現ですね」岸本は言った。「鶴田くん、うまいこと言う」
「なんとなく、そう思えて」鶴田は少し照れた顔をした。
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料理が来た。
三人で食べ始めた。
しばらく、黙って食べた。
鶴田がさば味噌定食を一口食べた。
「おいしい」鶴田は言った。「落ち着く味ですね」
「でしょう」岸本は言った。「ここ、何回来ても飽きないんですよね」
「三人で来るのは、二回目ですよね」鶴田は言った。「一回目は、たまたまなシチュエーションで」
「あのとき、神崎さんが色々話してくれましたよね」岸本は言った。「佐久間さんのこととか」
「はい」
「今は、その方の近くに行くんですね」岸本は言った。「なんか、あのとき話してくれたことが、ちゃんと動いていってる感じがします」
「動いていってる、ですか」
「うん。神崎さんの話って、いつも後から繋がるんですよ」岸本は言った。「あのときも、今になって思えば、大事な話だったんだなって」
「覚えていてくれたんですか」
「覚えてますよ」岸本は言った。あっさりした言い方だった。「神崎さんが話してくれることは、大体覚えてます」
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食べながら、鶴田が言った。
「神崎さん、魔法庁での一年半、どうでしたか。あんまり詳しく聞けていなかったので」
「色々ありました」
「色々、って言い方が神崎さんらしい」岸本は笑った。「もう少し教えてください」
「術式記録の照合を続けました。記録と実践のギャップを整理しました。最初は反発していた方が、一緒に仕事をするようになりました」
「その、最初は反発していた方っていうのは」
「倉田主任という方です。最初の会議で、非適合者が術式の審査に関わることは制度の問題だと言われました」
「最初の会議で」鶴田は言った。「それは、しんどかったですね」
「しんどかったです。ただ、記録で示すことを続けました。最終的に、一緒にアーカイブ室で資料を探したり、報告書の説明書面を書いてもらったりするようになりました」
「それは、すごいですね」岸本は言った。「一年半で」
「記録が積み上がれば、見えてくるものがある、ということだと思います」
「神崎さんって、本当にそれを地でやってるんですよね」岸本は言った。「言葉と行動が、一致してる」
「そうですか」
「そうです」岸本は断言した。「私が神崎さんのことを尊敬しているのは、そこです」
「岸本さん」
「はい」
「面と向かって言うんですね」
「言わないと伝わらないので」岸本は言った。あっさりした言い方だった。「神崎さんがアメリカに行く前に、言いたかったんです」
「はい。受け取りました」
「鶴田くんも、そう思わない?」
「思います」鶴田は言った。「神崎さんに会ったのは、入庁してからですけど、私がMPBを受けた理由の一つに、神崎さんがいます」
「どういうことですか」
「入庁前の説明会で、神崎さんの話を聞きました」鶴田は言った。「方法が違うだけで、到達できる場所は同じだという言葉が、ずっと残っていて」
「覚えています。来てくれていましたね」
「覚えていてくれているんですか」
「はい。眼鏡をかけた非適合者の方が、真剣に聞いていました」
「それ、私です」鶴田は少し顔が赤くなった。「覚えていてくれていたんですね」
「はい。あの日の説明会に来た方のことは、全員残っています」
「全員、ですか」鶴田は言った。「なんか、ちゃんと見てもらっていたんだなって思って、嬉しいです」
「記憶に残ることと、見ていることは、別のことかもしれません」ハルトは言った。「ただ、覚えています」
「それが、神崎さんにとっては一緒のことなんじゃないですか」岸本は言った。「覚えていることが、見ているということ」
「そうかもしれません」
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食事が終わった。
お茶を飲みながら、岸本が言った。
「実は、少し聞きたいことがあって」
「はい」
「神崎さんって、最近、鶴田くんの面倒を見る場面が少なくなりましたよね。MPBに戻ってきてからも、昔みたいに直接教えることが減った気がして」
「鶴田さんが、一人で動けるようになってきているからです」
「そうですか」鶴田は言った。少し間を置いた。「それは、神崎さんがそう思ってくれているということですか」
「はい。窓口対応も、審査補助も、一人で判断できる場面が増えています。確認が必要な場面では、自分で判断してから持ってくるようになりました」
「成長している、ということですか」
「はい」
鶴田はしばらく黙っていた。
「神崎さんに言ってもらえると、本当のことに聞こえます」鶴田は言った。「岸本さんにも言ってもらえるんですけど、岸本さんだと励ましかなって思ってしまって」
「鶴田くん、それ失礼じゃないですか」岸本は言った。笑いながら言った。
「すみません。でも、本当のことで」鶴田は言った。「神崎さんは、事実しか言わない感じがするので」
「岸本さんも、事実を言ってくれています」ハルトは言った。
「そうですよ」岸本は言った。
「でも、神崎さんに言ってもらえると、より確かな気がします」鶴田は言った。「なんでかな、と自分でも思うんですけど」
「記録として言っているからかもしれません」ハルトは言った。「見てきたことを、そのまま言っています」
「見てきたことを、そのまま」鶴田は繰り返した。「それが、記録で示すということなんですね」
「人に対しても、そうかもしれません」
「なるほど」鶴田は言った。「神崎さんって、教えるのが上手いですね。大学で授業してるの、納得できます」
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岸本が言った。
「神崎さん、アメリカから帰ってきたら、また三人でご飯行きましょう」
「はい」
「約束ですよ」
「はい」
「鶴田くんも、いいよね」
「もちろんです」鶴田は言った。「その間に、私もちゃんと成長してないといけないですね」
「何か目標がありますか」
「神崎さんが帰ってきたとき、神崎さんに教わらなくても一人で判断できる場面をもっと増やしたいです」鶴田は言った。「そうじゃないと、帰ってきた神崎さんに、また全部聞いてしまいそうで」
「聞いてもいいですよ」
「でも、自分でできるようになりたいんです」鶴田は言った。「神崎さんみたいに、記録で示せるようになりたい」
「記録で示すのは、やれることをやり続けることです。特別なことではありません」
「神崎さんがやると、特別に見えます」鶴田は言った。「でも、そうじゃないんですね」
「やり続けることが、積み上がっているだけです」
「やり続けることが、大事なんですね」鶴田は繰り返した。声に出して言った。「わかりました」
「岸本さんは、何か目標はありますか」
「私は」岸本は少し考えた。「神崎さんがいない間、フロアの空気をちゃんと保つことです」
「空気を保つ、ですか」
「神崎さんがいると、フロアが安定するんですよ」岸本は言った。「うまく言えないんですけど、何かあったときに、神崎さんがいると思うと落ち着けるというか。それが一年半、なくて、少し大変でした」
「大変でしたか」
「大変でした」岸本は言った。「ただ、なんとかなりました。鶴田くんもいたし」
「岸本さんがいてくれたから、私もなんとかなりました」鶴田は言った。
「お互い様ですよ」岸本は言った。
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店を出た。
三人で駅まで歩いた。
七月の夜は、少し涼しくなっていた。
「神崎さん」鶴田が言った。
「はい」
「アメリカでも、元気でいてください」
「はい。鶴田さんも」
「MPBのこと、任せてください」鶴田は言った。「帰ってきたとき、ちゃんとしてるようにします」
「はい。よろしくお願いします」
「岸本さん、頼みましたよ」鶴田は岸本に言った。
「任せてください」岸本は言った。「フロアのこと、ちゃんとやります」
鶴田が改札を抜けた。
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岸本と二人になった。
少し歩いた。
「神崎さん」岸本は言った。
「はい」
「今日、楽しかったです」
「はい。私も」
「神崎さんって、楽しかったって言うんですね」岸本は少し笑った。
「言いますよ」
「最初の頃より、そういうこと言えるようになったと思って。嬉しいなと思って」
「そうですか」
「うん」岸本は言った。「神崎さんって、ちゃんと変わっていくんですよね。変わらないようで、変わってる」
「そうですか」
「サクさんの影響もあるんじゃないですか」
「そうかもしれません」
「その人に会えますね、来月」岸本は言った。
「はい」
「よかったですね」岸本は言った。あっさりした言い方だった。「本当に、よかったと思います」
「はい」
「じゃあ、また明日」
「また明日」
岸本が改札を抜けた。
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ハルトは一人になった。
駅の前に立っていた。
今夜のことを頭の中に入れた。
生姜焼き定食。鶴田の「記録が神崎さんの荷物なんですね」という言葉。岸本の「言葉と行動が一致してる」という言葉。鶴田の「あの説明会の言葉が、MPBを受けた理由の一つです」という話。岸本の「神崎さんがいると、フロアが安定する」という言葉。「アメリカから帰ってきたら、また三人でご飯行きましょう」という言葉。
全部、残った。
三人で食べた。
それだけのことだった。
帰った。
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第七十五話 了




