「最後の講義」
九月の第三週、火曜日だった。
半期最後の講義だった。
四月から始まって、十二回目だった。
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大学に向かいながら、今日話す内容を頭の中で確認した。
最終回のテーマは「記録が機能する条件」だった。
特許記録が守られる場合と守られない場合。術式記録が活きる場合と死ぬ場合。記録を扱う人間に何が求められるか。
半期を通じて話してきたことの、総括になる内容だった。
準備は、先週から進めていた。
藤本に内容を見てもらった。倉田主任にも、術式の部分を確認してもらった。
問題はなかった。
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教室に入った。
学生が座っていた。
四月の最初の回と比べると、雰囲気が違った。
最初は、ハルトを測るような目で見ていた学生が多かった。今日は、違った。
準備している学生が多かった。ノートを開いている。資料を確認している。最終回だとわかっていて、聞く準備をしてきた感じがした。
前から三列目に、青山がいた。
四月の最初の回から、ずっと同じ席だった。
今日は、ノートを二冊開いていた。
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「最終回です」ハルトは言った。「今日は、半期を通じてやってきたことの総括をします」
スライドを開いた。
『記録が機能する条件』
「記録は、存在するだけでは機能しません」ハルトは言った。「記録が機能するためには、三つの条件があります」
スライドを進めた。
『一、記録が正確であること』
「正確な記録とは、事実だけが書かれている記録です。事実と推測が混在した記録は、判断の根拠として使えません。審査の現場で、わからないことをわからないと書くことは、難しい判断です。ただ、それができない記録は、後から問題を起こします」
学生がメモを取っていた。
「この半期で、不当拒絶の事例をいくつか扱いました。不当拒絶の多くは、記録の不正確さから起きていました。技術の価値を正確に記録せず、形式的な基準だけで判断した結果です」
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スライドを進めた。
『二、記録が残り続けること』
「記録は、残り続けなければ意味がありません。申請が通った後、その記録がアクセスできる状態に保たれているか。古い記録が適切に管理されているか。これは制度の問題でもあり、記録を扱う人間の問題でもあります」
「今年の春、アーカイブ室で十五年前の研究記録を参照したことがありました」ハルトは言った。「その記録が残っていたから、新しい申請の判断に使えました。残っていなければ、判断できませんでした」
「記録は、使われていないときも、存在することに意味があります」
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『三、記録を読める人間がいること』
「記録があっても、読める人間がいなければ機能しません。特許記録は、誰でも読めるように書かれているはずです。ただ、実際には、専門的な知識がないと内容を把握できないものが多い。術式記録も同様です」
「この授業で、術式記録と特許記録の両方を扱いました。どちらも、読む方法があります。魔法使いでも非魔法適性者でも、記録を読む訓練をすれば、理解できる部分は必ずあります」
青山が手を挙げた。
「はい」
「神崎さんは、この半期で、術式記録と特許記録の両方を実際に扱ってきました。非適合者として、記録を読むことで理解できた部分と、それでも限界だと感じた部分は、どこですか」
教室が少し静かになった。
ハルトは少し間を置いた。
「答えます」ハルトは言った。「記録を読むことで理解できた部分は、術式の構造と目的です。どういう仕組みで動くか、何のために作られたか。これは、記録から把握できます」
「限界は」
「術式を実行するときの感覚です。記録には書けない部分があります。魔力の流れの感覚、出力の調整の感触。これは、記録からは得られません」
「その限界を、どう補っていますか」
「一緒に動く人間を持つことです」ハルトは言った。「今年の春、複合術式の申請を判断するとき、二十年以上の経験を持つ魔法使いの方に協力してもらいました。私が記録の照合を担い、その方が術式の感覚を担った。それで一つの判断ができました」
「記録と感覚を、分業したということですか」
「分業というより、補完です。どちらが上でも下でもない。それぞれが持っているものを出し合った結果、一つの記録が守られました」
青山はノートに書いた。
少し間があった。
「わかりました。ありがとうございます」
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授業を続けた。
後半は、この半期を通じて扱った事例を振り返った。
不当拒絶の案件。アーカイブ記録の活用。記録と実践のギャップ。特許が機能した場面と、機能しなかった場面。
一つずつ、丁寧に整理した。
学生が聞いていた。
前の方の学生が、ほとんど手を止めずにノートを取っていた。
後ろの方の学生も、今日は前を向いていた。
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九十分が終わった。
「以上で、半期の授業を終わります」ハルトは言った。「一点だけ、最後に言わせてください」
学生が顔を上げた。
「この授業で、記録の話をしてきました。特許記録、術式記録、審査の記録。ただ、記録は制度の話だけではありません」
少し間を置いた。
「皆さんが今日聞いたことも、記録として残ります。ノートに書いたこと、頭の中に入れたこと、それは皆さんの記録です。その記録が、いつかどこかで機能する日が来ます。今日かもしれないし、十年後かもしれない。ただ、記録は残ります」
「この半期、ありがとうございました」
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学生が出ていった。
最後に残ったのは、また青山だった。
今日は、前から一人で近づいてきた。
「神崎さん」
「はい」
「最初の回のことを、謝ります」青山は言った。「非適合者が教壇に立つことは問題だと言いました。今も、制度として整理すべき部分があると思っています。ただ」
「ただ」
「神崎さんの授業は、本物だったと思います」青山は言った。「記録の話が、こんなに深い話だとは思っていませんでした。術式を使う側として、記録を軽く見ていた部分があったと気づきました」
「はい」
「一つ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「神崎さんは、魔法を使えないことを、不利だと思いますか」
ハルトは少し考えた。
「不利な場面はあります」ハルトは言った。「今日話した通り、術式の感覚は持てません。それは事実です」
「それでも、続けてきた理由は何ですか」
「記録が守られることに、意味があると思っているからです」ハルトは言った。「誰かが積み上げてきたものが、正しく残るかどうかを、私が判断できる場面があります。それは、魔法の有無とは別の話です」
青山はしばらくハルトを見ていた。
「わかりました」青山は言った。「来年度も、この授業はありますか」
「予定では、続きます」
「受けます」青山は言った。あっさりした言い方だった。「また来年、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ」
青山が出ていった。
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田中准教授が入ってきた。
「神崎さん、半期、お疲れ様でした」
「ありがとうございました。来ていただいた学生のおかげです」
「最後の言葉、よかったです」田中は言った。「記録は残ると、自分自身の言葉で言っていましたね」
「はい」
「青山くんが謝りに来たのは、初めて見ました」田中は言った。「あの子、プライドが高くて、なかなか自分から謝らない子なんです」
「制度への意見はまだ持っているようですが、授業の内容は受け取ってくれたと思います」
「それで十分です」田中は言った。「神崎さん、来年度もよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
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大学を出た。
九月の夕方だった。
少し、秋の空気があった。
四月にここに来てから、六ヶ月が経った。
歩きながら、この半期のことを頭の中で確認した。
青山の最初の言葉。アカリの質問。毎回のノート。倉田主任の百十七回の試行記録を教材として使ったこと。記録と実践のギャップの話。今日の最後の授業。
全部、残った。
六十名の学生が、六ヶ月間、聞いていた。
その記録が、それぞれの中に残っている。
それが何に繋がるかは、ハルトにはわからなかった。
ただ、残っているということは、確かだった。
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魔法庁に戻った。
フロアに入ると、藤本が声をかけてきた。
「神崎さん、最終回どうでしたか」
「終わりました。よかったと思います」
「青山くんはどうでしたか」
「最後に謝りに来ました」
「えっ」藤本は言った。「あの青山くんが」
「はい。来年度も受けると言っていました」
「それはすごい」藤本は言った。「半期で、あれだけ反発していた学生が変わるって、神崎さんの授業が本物だったということですよね」
「記録の話が届いただけだと思います」
「それが全部ですよ」藤本は言った。
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デスクに座った。
メールを確認した。
国際連携部からのメールが一件届いていた。
件名は「アルカナテック関連案件の続報について」だった。
開いた。
読んだ。
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内容を整理した。
先月、アルカナテックが発表した「特定された元社員」について、その後の調査で新しい事実が確認されたという内容だった。
その人物のアクセスログを詳細に分析した結果、アクセスされたデータの一部が、外部のサーバーに転送されていた形跡が確認された。
転送先のサーバーは、東欧に設置されたものだった。
ただ、そのサーバーを誰が管理しているかは、まだ確認できていないとのことだった。
続きがあった。
アルカナテックの内部調査チームが、もう一点、確認したことがあるという内容だった。
その元社員がアクセスしたデータの中に、アルカナテック社内でも限られた人間しか知らない情報が含まれていた。その情報にアクセスするには、社内の複数のセキュリティを通過する必要があった。
セキュリティを通過するためには、権限が必要だった。
元社員の権限では、単独ではアクセスできないレベルのデータだった。
つまり、誰かが権限を与えた可能性がある。あるいは、権限を持つ別の人間が、その元社員を使ってアクセスさせた可能性がある。
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ハルトはメールを読み終えた。
少し間を置いた。
頭の中で整理した。
東欧のサーバーへの転送。アクセスできないはずのデータへのアクセス。権限を与えた人間の存在。
一つ一つを、頭の中に入れた。
最後の一文を、もう一度読んだ。
「当該案件について、魔法庁および関連機関への捜査協力依頼を検討しています。詳細は追って連絡します」
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ソウにメッセージを送ろうとした。
その前に、ソウから先に連絡が来た。
「国際連携部からのメール、見たか」
「はい。今、確認しました」
「今夜、話したい。時間はあるか」
「はい」
「仕事終わりに来る。待っていてくれ」
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定時になった。
他のフロアの職員が帰っていった。
藤本も帰った。
「神崎さん、今日もお疲れ様でした。最終回、ちゃんと終わりましたね」
「はい。ありがとうございました」
「また来年」藤本は言った。「今夜、何かあるんですか」
「少し、話す予定があります」
「そうですか」藤本は言った。「じゃあ、お疲れ様です」
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フロアが静かになった。
ハルトは一人でデスクに残っていた。
国際連携部からのメールを、もう一度読んだ。
東欧のサーバー。権限を与えた人間。捜査協力依頼。
全部、記録として頭の中に入れた。
権限を与えた人間。
アルカナテック社内で、限られた権限を持つ人間。
そういう人間が動いているとすれば、今回の件は、外部からの働きかけだけでは説明できない。
内側にいる人間が、関わっている。
ハルトはその可能性を、頭の中に入れた。
確認できる根拠は、まだなかった。
ただ、記録として持っておいた。
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八時過ぎ、ソウが来た。
コートを着ていた。表情は、いつもと変わらなかった。
「待たせた」
「いいえ」
「飯は食ったか」
「まだです」
「じゃあ、食いながら話す」ソウは言った。「行くぞ」
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いつもの定食屋に入った。
ソウは唐揚げ定食を頼んだ。ハルトは生姜焼き定食にした。
料理が来るまで、ソウは何も言わなかった。
料理が来た。
食べながら、ソウが言った。
「今日、国際連携部から俺にも連絡があった。捜査協力依頼の話だ」
「はい。メールで確認しました」
「依頼の内容は、二点だ」ソウは言った。「一点目、東欧のサーバーへの転送記録と、魔法庁が保管している術式記録との照合。過去に申請された術式が、流出した可能性を確認したい」
「術式の流出、ですか」
「ああ」ソウは言った。「今回の戦争で使われた術式が、登録済みのものと一致するかどうかの確認だ。お前が照合してきた記録が、ここで使える可能性がある」
「はい」
「二点目、サーバーへのアクセスに権限を与えた人間の特定に関する情報提供だ。アルカナテックの内部に、権限を持つ人間が関わっている可能性がある。その人間が、魔法庁や業界団体と何らかの繋がりを持っているかどうかを確認したい」
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ハルトは少し間を置いた。
「二点目は、範囲が広い依頼です」
「そうだ」ソウは言った。「魔法庁と業界団体の繋がりを調べることになる。センシティブな話だ」
「はい」
「ただ、誰かがやらなければならない」ソウは言った。「お前に頼みたいのは、一点目の術式記録の照合だ。二点目は、俺が担当する」
「一点目については、やれます」
「照合に必要な記録は、全部頭の中にあるか」
「術式記録は六百件以上、頭の中にあります。今回の戦争で観測された術式の特徴も、記録しています」
「それで足りるか」
「足りない部分は、アーカイブ室を確認します」
「わかった」ソウは言った。「正式な依頼書は、明日、国際連携部から届く。それを受けてから動いてくれ」
「はい」
「ただ、今夜確認しておきたいことがある」ソウは言った。「お前の個人的な見立てを聞きたい」
「はい」
「今回の件、誰かが中心にいると思うか」
ハルトは少し考えた。
「はい。思います」
「理由は」
「アクセスできないはずのデータにアクセスされた。権限を与えた人間がいる。東欧のサーバーへの転送が計画的だった。三谷さんが誘導された。サクさんの居場所が漏れた。全部、バラバラに起きたことではないと思います」
「繋がっていると」
「はい。一人、あるいは少数の人間が、複数の動きをコントロールしていた可能性があります」
「その人間は、どういう立場にあると思う」
ハルトは少し間を置いた。
「業界の内側にいて、アルカナテックとも繋がりがある。魔法庁あるいは関連する機関に、何らかの影響力を持っている」ハルトは言った。「記録として確認できることではありません。ただ、そういう人間がいなければ、これだけの動きは説明できないと思います」
ソウは少し間を置いた。
「そうだな」ソウは言った。「同じことを考えていた」
料理を食べ終えた。
「明日から、動く」ソウは言った。「お前は術式記録の照合を進めてくれ。何か引っかかるものがあれば、すぐ連絡しろ」
「はい」
「それと」ソウは言った。「佐久間さんには、この件はまだ伝えなくていい」
「はい。今の段階では、伝えることがありません」
「そうだ」ソウは言った。「ただ、状況が変わったら、お前が伝えろ。俺からではなく、お前から」
「はい」
「あの子が一番信頼しているのは、お前だ」ソウは言った。「だから、お前から伝えた方がいい」
「わかりました」
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店を出た。
九月の夜は、少し肌寒かった。
「神宮寺さん」とハルトは言った。
「何だ」
「今日、半期最後の授業でした」
「そうか。どうだった」
「最初に罵倒してきた学生が、最後に謝りに来て、来年度も受けると言いました」
「そうか」ソウは言った。少し間を置いた。「それは、よかったな」
「はい」
「授業と捜査協力が重なる時期になったな」ソウは言った。「大変だが、お前ならできる」
「はい」
「無理するな。ただ、頼んでいる」
ソウは先に角を曲がった。
振り返らなかった。
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ハルトは一人で帰った。
今日のことを頭の中に入れた。
最終回の授業。青山の謝罪。「記録は残ります」という最後の言葉。国際連携部からのメール。東欧のサーバー。権限を与えた人間。捜査協力依頼。ソウの「繋がっている」という確認。
全部、残った。
半期の授業が終わった日に、次の章が始まった。
九月の夜空は、少し雲があった。
星が見えたり、隠れたりしていた。
帰った。
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第七十二話 了




