「倉田主任の判断」
七月の第三週だった。
朝、国際連携部から照会が届いた。
件名は「術式申請の技術的妥当性に関する緊急確認依頼」だった。
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内容を読んだ。
ある術式の申請について、技術的妥当性の確認を急いでほしいという内容だった。
申請者は、東欧系の魔法研究機関だった。申請内容は、複数の属性を同時に制御する複合術式だった。
添付されていた申請書を開いた。
読んだ。
三十分かかった。
読み終えた。
少し、手が止まった。
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藤本に声をかけた。
「少し確認してもいいですか」
「はい。どうぞ」
「この申請、見てもらえますか」ハルトは画面を向けた。「複合術式の申請です。火系と風系を同時に制御する内容です」
藤本は読んだ。
「複合術式ですね。かなり高度な内容です」
「はい。ただ、一点、気になることがあります」
「どこですか」
「第三請求項の制御機構の記述です。標準的な複合術式の制御方法と、構造が一部異なります」
「標準と違う、ということは」
「改良されている可能性があります。ただ、登録済みの術式記録と照合すると、似た構造のものが一件あります」
「先願の可能性がある、ということですか」
「可能性はあります。ただ、私には術式の技術的な判断が難しい部分があります」
「どの部分ですか」
「制御のタイミングの調整方法です。記録上は似ていますが、実際に術式として機能するかどうかの判断は、魔法使いの感覚が必要だと思います」
藤本は少し考えた。
「それは、私も正直、判断が難しいですね。複合術式の専門家に確認した方がいいかもしれない」
「はい。ただ、国際連携部から緊急で依頼が来ています。今日中に回答が必要です」
「今日中に」藤本は言った。「それは、難しいですね」
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ハルトは少し考えた。
誰に聞くか。
複合術式の知識があり、技術的な判断ができる人間。
頭の中に、一人の名前が浮かんだ。
倉田主任。
火系のAクラスだった。魔法庁に二十年いた。訓練場で複合術式の演習をしているのを何度も見ていた。
ただ、倉田主任は今、別の業務を抱えていた。緊急の依頼を持ち込むのは、はばかられる部分があった。
藤本が言った。
「神崎さん、倉田主任に聞いてみてはどうですか」
「業務が立て込んでいると思いますが」
「聞くだけ聞いてみてください」藤本は言った。「倉田主任、神崎さんからの相談は、ちゃんと聞きますよ」
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倉田主任のデスクに行った。
「倉田主任、少しよろしいですか」
倉田主任は書類から顔を上げた。
「何だ」
「国際連携部から緊急の照会が来ています。複合術式の申請で、技術的な判断が必要な部分があります。今日中に回答が必要で、私では判断しきれない箇所があります」
「どの部分だ」
「制御のタイミングの調整方法です。記録上は既存の術式と類似していますが、実際に術式として機能するかどうかの判断は、魔法使いの経験が必要だと思います」
「申請書を見せてくれ」
ハルトは申請書を渡した。
倉田主任は受け取った。読み始めた。
ハルトは横に立って待った。
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五分ほどで、倉田主任は顔を上げた。
「第三請求項の制御機構だな」
「はい」
「これ、見たことがある構造だ」倉田主任は言った。「十五年くらい前に、国内で似た研究をしていたグループがあった」
「登録された申請はありますか」
「申請はされなかった。研究段階で中断した。ただ、研究記録は残っているはずだ」
「研究記録が残っているとすれば」
「この申請と照合できる可能性がある」倉田主任は言った。「ただ、研究記録は魔法庁のアーカイブに入っているかもしれない。確認が必要だ」
「今日中に確認できますか」
「やってみる」倉田主任は言った。立ち上がった。「アーカイブ室に行く。一緒に来るか」
「はい」
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地下のアーカイブ室に入った。
棚が並んでいた。紙の記録と、電子データが混在していた。古い資料は、まだ紙で保管されているものが多かった。
倉田主任は迷わずに奥の棚に向かった。
「十五年前の複合術式研究の記録は、このあたりだ」
棚を見た。
ファイルが並んでいた。年度別に整理されていた。
「神崎さん、左から見ていってくれ。俺は右から見る」
「はい」
ハルトはファイルを一冊ずつ開いた。
確認した。
内容を頭の中に入れながら、進んだ。
十分ほどして、ハルトは手を止めた。
「倉田主任」
「あったか」
「はい。火風複合術式研究会、十五年前の記録です。制御タイミングの調整に関する研究が含まれています」
倉田主任が来た。ファイルを受け取った。
読んだ。
「これだ」倉田主任は言った。「申請書の第三請求項と、この記録の第七章を照合してみろ」
ハルトは申請書の第三請求項と、ファイルの第七章を並べた。
読んだ。
照合した。
「構造が一致しています」ハルトは言った。「ただ、記録は申請されていない研究です。先願として機能するかどうかは、別の判断が必要です」
「そうだ」倉田主任は言った。「先願にはならない。ただ、この記録が存在することは、申請内容の新規性の判断に影響する可能性がある」
「国際連携部への回答に、この記録を添付できますか」
「できる。アーカイブ室の記録は、正式な資料として使える」倉田主任は言った。「ただ、技術的な説明が必要だ。記録と申請書の関係を、私が説明書面を書く」
「今日中に間に合いますか」
「間に合わせる」倉田主任は言った。「お前は国際連携部への送付の準備をしてくれ」
「はい」
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二時間後、倉田主任が説明書面を持ってきた。
ハルトは受け取った。読んだ。
簡潔だった。技術的な根拠が、事実として整理されていた。
「よく書けています」ハルトは言った。
「余計なことは書かない方がいい」倉田主任は言った。「記録と事実だけ書けば、わかる人間にはわかる」
「はい」
「お前が言っていたことと、同じことだな」
「私は倉田主任から学びました」
倉田主任は少し間を置いた。
「俺から学んだ、か」倉田主任は言った。「記録の話は、俺よりお前の方が上だ」
「そうではありません」
「そうだ」倉田主任は言った。「俺は記録を残すのが苦手だった。百十七回の試行も、誰かが整理してくれるまで、ただ頭の中にあっただけだった」倉田主任は言った。「お前が来て、それが記録になった。俺にはできなかったことだ」
「倉田主任が記録として残す価値があると判断したから、許可してくださったんです」
「まあ、そうだが」倉田主任は言った。少し間を置いた。「今日は、俺が必要だったか」
「はい。倉田主任がいなければ、今日中に回答できませんでした」
「そうか」倉田主任は言った。「それならよかった」
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国際連携部への回答を送った。
申請書の第三請求項と、アーカイブ記録の関係。技術的な説明書面。照合結果。
全部、今日付けで送付した。
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夕方、国際連携部から返信が来た。
「迅速な対応、ありがとうございます。アーカイブ記録の提供は、今回の判断に大きく役立ちます」
堂島部長が声をかけてきた。
「神崎くん、今日の件、聞いた。倉田主任と一緒に動いたんだな」
「はい。倉田主任がアーカイブ記録を見つけてくださいました。私一人では、今日中の回答は難しかったと思います」
「二人でやったということだな」堂島部長は言った。「それがいい形だ」
「はい」
「倉田主任も、よく動いてくれた」堂島部長は言った。「あの人が別の業務を後回しにして動いたのは、珍しいことだ」
「そうですか」
「珍しいことだ」堂島部長は繰り返した。「神崎くん、お前のことを信頼しているんだと思うよ、あの人なりに」
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定時になった。
倉田主任が帰り支度をしていた。
ハルトは倉田主任のデスクの前を通った。
「倉田主任、今日はありがとうございました」
「仕事だ」倉田主任は言った。「ただ、一つだけ言っていいか」
「はい」
「アーカイブ室で、お前がファイルを確認する速さを見た」倉田主任は言った。「十分で、関連する記録を見つけた」
「倉田主任が場所を教えてくださったので」
「場所を知っていても、あの量のファイルから十分で見つけるのは、普通じゃない」倉田主任は言った。「お前の記憶は、仕事として本物だ」
「ありがとうございます」
「最初に、非適合者が術式の審査に関わることは制度の問題だと言った」倉田主任は言った。「今も、制度として考えれば、整理すべき部分はあると思っている」
「はい」
「ただ、個人として言えば、お前がここにいてよかったと思っている」倉田主任は言った。「今日も、そう思った」
ハルトは少し間を置いた。
「ありがとうございます」
「じゃあな」倉田主任は言った。コートを着て、先に出ていった。
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藤本が近づいてきた。
「神崎さん、今の聞こえました」
「そうですか」
「聞こえました」藤本は言った。「倉田主任が、個人として、って言ったの、初めて聞いた気がします」
「そうですか」
「神崎さんがいる間に、ちゃんと言っておきたかったんじゃないですかね」藤本は言った。「来年の三月まで、ということを、倉田主任も意識してると思います」
「そうかもしれません」
「神崎さん、今日、どうでしたか。倉田主任と一緒に動いて」
ハルトは少し考えた。
「記録を持っている人間と、術式を知っている人間が一緒に動くと、できることがあると思いました」
「それ、この授業のテーマとも繋がりますよね」藤本は言った。「大学でも話してるんじゃないですか」
「はい。同じことを話しています」
「実践できているということですね」藤本は言った。「いいと思います」
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帰り道、サクにメッセージを送った。
「今日、倉田主任に助けていただきました。記録を持っている人間と、術式を知っている人間が一緒に動いた話です」
少ししてから、返信が来た。
「それって、ハルトくんが大学で教えてることじゃないの」
「はい。同じことが、今日、仕事の中で起きました」
「実際にやってるんだ。授業で話してることを」しばらくして返信が来た。「かっこいいじゃないか」
「そうですか」
「そうだよ」サクは言った。「今夜、電話してもいい?」
「はい」
「詳しく聞きたい。また後で」
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ハルトはスマートフォンをポケットに入れた。
今日のことを頭の中に入れた。
国際連携部からの緊急照会。アーカイブ室でのファイル確認。倉田主任の説明書面。今日中の回答。倉田主任の「個人として、お前がここにいてよかった」という言葉。
全部、残った。
記録を持っている人間と、術式を知っている人間が一緒に動いた。
大学の授業で話していることが、今日の仕事でそのまま起きた。
帰った。
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第七十一話 了




