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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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「記録、以外の話」

七月になった。


大学での講義は、四月から始まって四ヶ月が経っていた。


月に二回のペースで続けていた。合計八回が終わっていた。


最初の回で罵倒した青山は、毎回最前列に座っていた。質問も多かった。ただ、最初のような言い方ではなくなっていた。


授業は、少しずつ形になってきていた。


---


七月の第二週、火曜日だった。


授業が終わった後だった。


学生が出ていく中、一人残っている学生がいた。


毎回、前から二列目に座っている学生だった。


法学部の三年生だった。名前は、中村アカリといった。二十一歳だった。


アカリはいつも、授業中に丁寧なノートを取っていた。質問はしなかったが、ハルトが話すときに、まっすぐ前を見て聞いていた。


今日も残っていた。


ハルトが荷物をまとめていると、近づいてきた。


「神崎さん、少しよろしいですか」


「はい」


「先週の授業で出てきた、拒絶事例の話なんですが」アカリは言った。「もう少し詳しく聞いてもいいですか」


「どの部分ですか」


「不当拒絶の判断基準のところです。審査官の裁量がどこまで認められるかという話が、少し気になって」


「具体的には」


アカリはノートを開いた。


丁寧に整理されていた。授業の内容が、きれいな字で書かれていた。


「ここに書いたんですが、審査官の判断が形式的な基準に基づいているとき、実質的な技術の価値が見落とされる可能性があると言っていましたよね」


「はい」


「それって、記録として残っている形式に引っ張られすぎることで、記録の本来の目的が失われるということですか」


ハルトは少し間を置いた。


「そうです。記録の形式と、記録の目的が乖離することがあります。形式が正確でも、目的を果たしていない記録は、機能しません」


「目的を果たしていない記録、か」アカリはノートに書いた。「それって、記録が嘘をつくということとは違いますか」


「違います。記録は嘘をつきません。ただ、形式だけが正確で、内容が目的とずれている記録は、使いにくい記録になります」


「使いにくい記録」アカリはまた書いた。「わかりました。ありがとうございます」


「丁寧なノートですね」


「授業が面白くて」アカリは言った。「神崎さんの話し方、具体的なので、イメージしやすいです」


「そうですか」


「はい」アカリは言った。それから少し間を置いた。「あの」


「はい」


「次回の授業の後も、質問してもいいですか」


「はい。質問があれば」


「毎回、あると思います」アカリは言った。


「はい。来てください」


---


次の授業の後も、アカリは残った。


また質問があった。今回は、術式の著作権的な側面についてだった。


丁寧な質問だった。ノートを見ながら、整理された形で聞いてきた。


ハルトは答えた。


アカリはノートに書いた。


「神崎さんって、説明がすごく正確ですよね」アカリは言った。


「そうですか」


「はい。余計なことを言わないので、わかりやすいです」アカリは言った。「あの、一個だけ、授業と関係ない話をしてもいいですか」


「はい」


「神崎さんって、食事とかはどこでしていますか」


ハルトは少し間を置いた。


「大学の近くか、帰り道のどこかで食べています」


「よかったら、一緒に食べませんか」アカリは言った。「授業の話もしたいですし」


「授業の話であれば、ここでできます」


「授業以外の話もしたいです」アカリは言った。まっすぐ言った。「神崎さんのことを、もっと知りたいと思っています」


---


ハルトは少し間を置いた。


「私のことを知りたい、というのは、どういう意味ですか」


「好きだからです」アカリは言った。「神崎さんのことが、好きです」


教室が静かだった。


他の学生は全員出ていった後だった。


「授業担当者と学生という関係で、そういうことを言うのは適切ではないと思います」ハルトは言った。


「わかっています。ただ、言いたかったんです」アカリは言った。「授業が始まった最初の回から、ずっと気になっていて。神崎さんの話し方とか、記録に対する向き合い方とか。あと、青山くんに言われたときに、感情的にならずに記録で示すと言った場面が、かっこいいと思って」


「はい」


「だから、食事に行きませんか。一回だけでいいです」


「一回だけ、としても食事には行けません」ハルトは言った。


「なぜですか」


「一回行けば、サクさんに対して誠実でなくなるからです」


アカリは少し間を置いた。


「サクさん、というのは、誰ですか」


「大切な人です」ハルトは言った。「今、アメリカにいます」


「遠距離なんですか」


「はい」


「それでも、断るんですか」


「はい」ハルトは言った。「断ります」


---


アカリはしばらくハルトを見ていた。


「その人のこと、好きなんですね」


「はい」


「すごく、好きなんですね」


「はい」


アカリは少し間を置いた。


「わかりました」アカリは言った。「諦めます」


「はい」


「ただ、授業は続けて来てもいいですか」


「はい。いつでも」


「質問も、続けていいですか」


「はい。質問は関係なく、来てください」


「わかりました」アカリは言った。少し笑った。「神崎さんって、断り方も正確ですね」


「そうですか」


「はい」アカリは言った。「その人、いいなと思いました。大切にされてる感じがして」


「はい」


「じゃあ、また来週」


アカリは教室を出た。


---


田中准教授が入ってきた。


廊下で聞こえていたらしかった。


「神崎さん、大丈夫でしたか」


「はい。問題ありませんでした」


「中村さん、最初からずっと熱心な学生で」田中は言った。「少し心配していましたが」


「授業への熱心さは本物だと思います。来週も来ると言っていました」


「そうですか」田中は言った。「神崎さん、上手く対応されましたね」


「断っただけです」


「断り方が大切なんです」田中は言った。「傷つけずに、ちゃんと伝えた。それは、上手くやったということだと思います」


「そうですか」


「アメリカにいる方がいるんですね」


「はい」


「いい関係ですね」田中は言った。少し笑った。「来月もよろしくお願いします」


---


大学を出た。


七月の夕方だった。


暑かった。


歩きながら、スマートフォンを取り出した。


サクに電話した。


三回のコールで出た。


「ハルトくん、こんにちは。珍しい時間」


「大学の帰りです」


「そうなんだ。何かあった? 声が少し、変な感じがする」


「変ですか」


「うん。なんか、困ってる感じ」


ハルトは少し考えた。


「一つ、話していいですか」


「どうぞ」


「今日、授業の後に、学生から食事に誘われました」


「うん」


「断りました」


「うん」サクは言った。「それで?」


「なぜ断ったか聞かれたので、大切な人がアメリカにいると言いました」


電話口が少し静かになった。


「それ、私のことを言ってくれたの?」


「はい」


「大切な人、って言ってくれたの?」


「はい。そう言いました」


また少し間があった。


「ハルトくん」サクは言った。


「はい」


「ありがとう」


「はい」


「嬉しい」サクは言った。「すごく、嬉しい」


「はい」


「その学生さん、どんな人だったの」


「法学部の三年生です。授業への理解が深い学生です。毎回質問もしてくれています」


「それは、ハルトくんの授業が面白いんだよ」サクは言った。「どうりで引かれるわけだ」


「そうですか」


「そうだよ。ハルトくんって、そういうことに気づかないよね」サクは言った。少し笑った。「まあ、断ってくれてよかったけど」


「断るのは当然です」


「うん、わかってる」サクは言った。「でも、言ってくれてよかった。報告してくれて」


「サクさんには伝えるべきだと思いました」


「ちゃんと伝えてくれるんだね、そういうことも」サクは言った。「ハルトくんって、本当に誠実だよね」


「当然のことをしただけです」


「それが誠実ってことだよ」サクは言った。「好きだよ、ハルトくん」


「はい。私も好きです」


「毎回ちゃんと言ってくれるじゃないか」サクは笑った。「慣れてきた?」


「少し、慣れてきたと思います」


「いいじゃないか」サクは言った。「じゃあ、またね。今日、報告してくれてよかった」


「はい。よかったです」


「また明日、電話する」


「はい」


「おやすみ、ハルトくん」


「おやすみなさい」


---


電話が切れた。


ハルトは歩き続けた。


七月の夕方は、まだ明るかった。


今日のことを頭の中に入れた。


アカリの質問。食事の誘い。断った理由。サクへの報告。サクの「すごく、嬉しい」という言葉。


全部、残った。


大切な人がアメリカにいると言った。


七月の空が、少し赤くなっていた。


帰った。


---


第七十話 了

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