「審査と、電話」
アルカナ・テックの申請書類が正式に受理されたのは、来庁の翌週だった。
書類に不備はなかった。研究経緯の記載、術式の詳細、安全性の確認資料。すべて揃っていた。リアが確認して、受理の判を押した。
審査担当はリアだった。ハルトは補助として入った。
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審査は三段階に分かれていた。
第一段階、申請内容の確認。術式が申請名通りのものかどうか。危険性はないか。既存の登録魔法と重複していないか。
第二段階、先行特許の照合。類似した術式や魔道具の特許が存在しないか。
第三段階、総合審査。問題なければ登録。問題があれば差し戻しか棄却。
ハルトは第一段階の補助書類を作成した。術式の構造を標準フォーマットに落とし込む作業だった。
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作業しながら、術式を読んだ。
感応系、地中構造読み取り型。第一展開式から第三展開式まで、丁寧に追った。
第一展開式——空間感応系の標準導入部。問題なし。
第二展開式——係数の配列。地中への出力に特化した設計。
ここを読むたびに、頭の中で丸山清一の術式が重なった。一致していた。変わらなかった。
第三展開式——還流パターン。安定化処理が加えられていた。これはアルカナ・テック独自の改良だった。
全体として、術式の完成度は高かった。実用に耐えうる設計だった。
問題は、そこではなかった。
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電話が鳴ったのは、午後三時過ぎだった。
直通番号だった。番号を見た。長野の市外局番だった。
「神崎です」
「丸山です」
声でわかった。先週電話してきたときと、また違う声だった。今日の声は、低かったが落ち着いていた。
「丸山さん、取り下げ書類は届きましたか」
「届きました。それで……署名したんですが」丸山は言った。「返送する前に、一つ確認したいことがあって」
「はい」
「息子に聞いたんです。なぜ止めたのか、ちゃんと理由を教えてくれと」
ハルトはペンを置いた。
「息子さんは何と言いましたか」
「アルカナ・テックに関係する話だと言いました。それ以上は教えてくれなかったんですが」丸山の声が少し固くなった。「息子の会社、最近アルカナ・テックと取引があるらしくて」
「取引、というのは」
「詳しくはわからないんですが。息子は長野で建設の仕事をしていて、現場の地盤調査で魔道具を使っているそうなんです。それがアルカナ・テックの製品で」
ハルトは少し考えた。
「丸山さん」
「はい」
「息子さんは、お父さんの術式のことを知っていましたか」
「……どこまで知っていたかはわかりません。私が先生のところに行ったことは、後から話しました。そのときに強く止められたので」
「わかりました」
丸山は少し間を置いた。
「取り下げ書類、やっぱり返送した方がいいですかね」
ハルトはすぐには答えなかった。
取り下げ書類は、署名があれば法的に有効だ。丸山辰夫が返送すれば、申請は正式に取り下げられる。それで終わりだ。
ただ。
「丸山さんが決めることです」とハルトは言った。「ただ、一つだけ確認させてください。返送を急ぐ理由はありますか」
「息子に早くしろと言われていますが……」
「息子さんから、いつまでにという期限は」
「今週中に、と」
「今週はまだ日があります」とハルトは言った。「急がなくていいと思います」
丸山が少し黙った。
「そうですね」丸山は言った。「もう少し考えます」
「はい」
「ありがとうございます、神崎さん」
電話が切れた。
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ハルトはしばらく、デスクを見ていた。
アルカナ・テックの取引先に、丸山辰夫の息子がいた。息子の会社はアルカナ・テックの地盤調査魔道具を使っている。
地盤調査魔道具。地中構造の読み取り。感応系。
今審査している申請と、用途が重なっていた。
丸山清一の術式の核心部分が、アルカナ・テックの申請書に入っていた。丸山辰夫の申請取り下げの三日後に、アルカナ・テックが来庁した。息子はアルカナ・テックと取引があった。
一つ一つは、証明できなかった。
ただ、線が繋がっていた。
立ち上がった。リアの席に向かった。
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リアは書類を確認していた。顔を上げた。
「何ですか」
「丸山辰夫さんから電話がありました」
リアは書類を置いた。
「内容は」
ハルトは話した。息子がアルカナ・テックと取引があること。地盤調査魔道具を使っていること。返送を急がせていること。
リアは黙って聞いていた。
ハルトが話し終えると、しばらく何も言わなかった。
「神崎さん」とリアは言った。
「はい」
「今の話は、審査に直接関係しません」
「はい。わかっています」
「それでも報告しに来た」
「はい」
リアは窓の外を見た。午後の光が、窓枠の影を床に落としていた。
「丸山さんに、返送を急がなくていいと言いましたか」
「はい」
「なぜですか」
「急がせる理由が、丸山さんの側にはないと思ったので」
リアは窓の外を見たまま、少し目を細めた。
「そうですね」
それだけ言った。
少し間があった。
「一つ聞いていいですか」とハルトは言った。
「何ですか」
「アルカナ・テックは、なぜ丸山さんの申請があったことを知っていたと思いますか」
リアはハルトを見た。
「どういう意味ですか」
「丸山さんの申請は、来庁してから取り下げまで一週間もありませんでした。その間に、アルカナ・テックが把握して動いたことになります。丸山さんの息子さんへの働きかけも含めて、動きが早すぎます」
リアは何も言わなかった。
「MPBの申請情報は、審査が完了するまで非公開です」とハルトは続けた。「外部が知る方法は、通常ありません」
室内が静かになった。
空調の音だけが、低く続いていた。
「つまり」とリアは言った。静かな声だった。「情報が外に出た、と言いたいわけですか」
「可能性として、あります」
「内部から、ということも」
「はい。あるいは、外部からシステムに入られた可能性も」
リアは視線を窓の外に向けた。長い間、黙っていた。
外では、夕方の風が街路樹を揺らしていた。葉が何枚か、舞い上がった。
「神崎さん」
「はい」
「今の話は、私だけに言いましたか」
「はい」
「他の誰にも言わないでください。今のところは」
「わかりました」
リアは書類を手に取った。立ち上がった。
「アルカナ・テックの審査は、続けます」
「はい」
「ただし」リアは言った。「これ以上、何かおかしいと思ったことがあれば、すぐに私に言ってください。どんな小さなことでも」
「わかりました」
リアは審査室を出た。ドアが閉まった。
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ハルトは一人残った。
デスクに戻った。マグカップを書類から十センチ離れた位置に直した。コーヒーを一口飲んだ。冷めていた。
丸山辰夫の申請が来庁して、取り下げられるまで一週間。その間にアルカナ・テックが動いた。
MPBの申請情報は非公開だ。
誰かが外に流したのか。あるいは、外から盗まれたのか。
どちらにしても——この庁舎の中で、何かが起きていた。
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第七話 了




