「最初の講義」
四月の第二週、火曜日だった。
国立魔法科学大学の構内に入ったのは、午後一時過ぎだった。
広いキャンパスだった。桜が残っていた。学生が多かった。魔法適性のある学生とない学生が、普通に混在していた。
ただ、よく見ると、グループの分かれ方に傾向があった。
魔法使いの学生が集まっている場所と、そうでない学生が集まっている場所が、自然と分かれていた。
MPBとは、また違う空気だった。
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担当の教員に案内された。
三十代の女性だった。法学部の准教授で、名前は田中ユキと言った。
「神崎さん、本日はよろしくお願いします」田中は言った。「事前にお伝えしていた通り、法学部と魔法科学部の合同授業です。三年生と四年生が対象で、今日は初回なので自己紹介と授業の概要説明をお願いできればと思います」
「はい」
「学生は六十名ほどです。魔法使いが四割、魔力保有者が三割、非魔法適性者が三割という構成です」
「わかりました」
「何かご不明な点はありますか」
「教室の設備は通常の形式ですか」
「はい。スライドが使えます。板書もできます」
「わかりました」
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教室に入った。
広かった。階段状になっていた。六十名の学生が座っていた。
ハルトが壇上に立った。
静かになった。
学生がハルトを見ていた。
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「神崎ハルトです」ハルトは言った。「魔法庁審査連携部に在籍しています。以前はMPB、魔法特許庁の審査員でした。今日から半期、特許制度と術式理解に関する講義を担当します」
静かだった。
「自己紹介を続けます」ハルトは言った。「私は非魔法適性者です」
室内の空気が少し変わった。
数人が顔を上げた。数人が隣の学生と目を合わせた。
「特許記録を三十四万件以上記憶しています。魔法庁では術式記録を六百件以上照合してきました。非魔法適性者として、記録を通じて術式を理解する方法を実践してきました。この授業では、その経験を元に、特許と術式の関係について話します」
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ハルトがスライドを開いた。
最初のページは、授業の概要だった。
説明を始めようとしたとき、声が聞こえた。
前から三列目だった。
男性の学生だった。二十代前半だった。制服に近い格好をしていた。胸元に魔法科学部のバッジをつけていた。
「少し、確認してもいいですか」
「はい」ハルトは言った。
「非適合者が、術式の授業をするということですか」
「術式理解に関する授業です。はい」
「意味がわかりません」男性は言った。「術式は魔法使いが扱うものです。使えない人間が、どうやって理解するんですか」
教室が少し静かになった。
「記録を通じて理解します」ハルトは言った。「それがこの授業のテーマです」
「記録」男性は繰り返した。少し笑った気配があった。「記録を読んで、術式がわかるんですか。実際に魔力を感じたことのない人間が、何を理解できるんですか」
「一点ずつ答えます」ハルトは言った。「記録を読んで術式がわかるかどうかは、この半期で確認してください。実際に魔力を感じたことがない人間が何を理解できるかについては、授業の中で示します」
「示す、ですか」男性は言った。声のトーンが少し上がった。「魔法も使えないのに、何を示せるんですか。失礼ですが、非適合者が魔法庁で働いているということ自体、制度の問題だと思っています。そういう人間が大学の教壇に立つというのは、さらに問題ではないですか」
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教室が静かになった。
田中准教授が少し体を動かした気配があった。
ハルトは壇上で少し間を置いた。
男性を見た。
「名前を聞いていいですか」
「青山ケイスケです」男性は言った。臆した様子がなかった。
「青山さん、一点確認します」ハルトは言った。「今の発言は、制度への意見ですか。それとも、私個人への発言ですか」
「両方です」
「わかりました」ハルトは言った。「制度への意見については、この授業で扱います。非適合者が特許制度や術式審査に関わることの意義と限界は、重要なテーマです。一緒に考えましょう」
「限界は認めるんですか」
「認めます。私には魔力の感覚がありません。それは事実です」ハルトは言った。「ただ、私個人への発言については、一点だけ言います」
教室が静かになった。
「非適合者が教壇に立つことが問題だというのは、青山さんの意見です。それを否定しません」ハルトは言った。「ただ、この授業では、誰が何を言えるかではなく、何が記録として事実かを扱います。今日から半期、青山さんには記録と向き合ってもらいます。その上で、もう一度、同じことを言ってもらえますか」
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青山は何か言おうとした。
ただ、少し間を置いた。
言わなかった。
教室が静かなままだった。
後ろの列から、少し息をつく音が聞こえた。
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ハルトはスライドに視線を戻した。
「では、授業を始めます」
最初のスライドを開いた。
**「記録とは何か」**
「特許制度の根幹は、記録です」ハルトは言った。「誰が何をいつ発明したかを、記録として残すことが目的です。記録があれば、発明は守られます。記録がなければ、誰のものでもなくなります」
学生が聞いていた。
青山も、聞いていた。ノートを開いていた。
「術式も、同じです」ハルトは言った。「術式は魔法使いが感覚として持っているものですが、記録として残さなければ、その魔法使いと一緒に消えます。記録に残ることで、次の世代に伝わります」
スライドを進めた。
「この授業では、特許の記録と術式の記録が、どう機能するかを扱います。魔法使いでも非魔法適性者でも、記録を読む力があれば、理解できる内容です」
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九十分の授業だった。
前半は特許制度の基礎を説明した。
申請から登録までの流れ。先願主義の仕組み。拒絶理由の種類。具体的な事例として、過去に不当拒絶された申請の記録を一件取り上げた。
四年前に申請されたものだった。
拒絶された理由が、技術的な根拠ではなく形式的な問題だったことを示した。
学生がメモを取っていた。
青山も、メモを取っていた。
後半は、術式記録の概要を説明した。
MPBで扱う特許記録と、魔法庁で扱う術式記録の構造的な違い。共通点。記録と実践のギャップ。
倉田主任の百十七回の試行記録を、事例として取り上げた。
「二十年以上の経験を持つ魔法使いが、百十七回の試行を経て改良した術式があります。その記録が十二年間、データベースに登録されずにいました」ハルトは言った。「今年、記録として整理されました。記録に残ることで、次の人間が参照できるようになりました」
「その術式を整理したのは誰ですか」学生の一人が聞いた。
「私です」
少し間があった。
「非適合者が、二十年以上の経験を持つ魔法使いの術式を整理したということですか」別の学生が聞いた。
「はい。記録として照合した結果です。術式を使う必要はありませんでした」
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授業が終わった。
学生が出ていった。
青山が最後まで残っていた。
ハルトが荷物をまとめていると、青山が壇上に近づいてきた。
「神崎さん」
「はい」
「最初に、失礼なことを言いました」
「はい」
「撤回します、とは言えません」青山は言った。「まだ、納得していない部分があります」
「はい」
「ただ」青山は少し間を置いた。「百十七回の試行記録の話、もう少し聞きたいと思いました」
「次回以降の授業で扱います」
「わかりました」青山は言った。「来週も来ます」
「はい。待っています」
青山は教室を出た。
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田中准教授が近づいてきた。
「神崎さん、お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
「最初から、大変な展開になりましたね」田中は言った。「青山くんは、魔法科学部でトップの成績の学生です。魔法使いとしても優秀で、少し、頑固なところがあって」
「はい」
「ただ、最後に残っていましたね」
「はい」
「あの子が残ったのは、珍しいことです」田中は言った。「何かが引っかかったんだと思います」
「記録の話が、引っかかったのかもしれません」
「そうだといいですね」田中は言った。「来月もよろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
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大学を出た。
四月の夕方だった。
桜が少し散っていた。
歩きながら、今日のことを頭の中に入れた。
六十名の学生。青山ケイスケという名前。「非適合者が教壇に立つことが問題だ」という言葉。「この半期で確認してください」という自分の返答。百十七回の試行記録の話。青山が最後に残ったこと。
全部、残った。
倉田主任に言われた言葉を思い出した。
「非適合者が術式を教えると、学生から反発が出るかもしれない。そのときは、記録で示せ」
今日、記録で示そうとした。
うまくできたかどうかは、まだわからなかった。
ただ、青山が来週も来ると言った。
それだけで、今日は十分だと思った。
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魔法庁に戻ると、藤本が声をかけてきた。
「神崎さん、どうでしたか、初回」
「大変でしたが、問題ありませんでした」
「何かありましたか」
「最初に、非適合者が教壇に立つことは問題だと言った学生がいました」
「最初からですか」藤本は言った。少し目を丸くした。「どう対応したんですか」
「この半期で確認してください、と言いました」
「それだけですか」
「あと、記録と向き合ってもらう、と」
「神崎さんらしい返し方ですね」藤本は言った。「その学生、どうなりましたか」
「最後に残って、百十七回の試行記録についてもう少し聞きたいと言っていました」
藤本は少し間を置いた。
「それ、すごいことだと思いますよ」
「そうですか」
「最初に罵倒して、最後に自分から話しかけてきた。それって、何かが変わり始めてるってことだと思います」
「そうかもしれません」
「来月も行くんですよね」
「はい」
「どんな話をするか、聞かせてください」藤本は言った。「私も、神崎さんの授業、聞いてみたいです」
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夜、サクに電話した。
二回のコールで出た。
「ハルトくん、今日、初回だったよね。どうだった?」
「大変でしたが、終わりました」
「何かあったの? 声がいつもと少し違う」
「最初に、非適合者が教壇に立つことは問題だという学生がいました」
「え」サクは言った。「最初から?」
「はい。自己紹介の途中で」
「それ、傷ついた?」
ハルトは少し考えた。
「傷つかなかったとは言えません」
「そうだよね」サクは言った。「そういうこと言われたら、しんどいよ」
「ただ、記録で示すと言って、授業を続けました」
「そしたら」
「その学生が最後に残って、百十七回の試行記録の話をもう少し聞きたいと言っていました」
サクは少し間を置いた。
「ハルトくん、それって、すごいことだと思う」
「そうですか」
「罵倒した相手が、最後に自分から話しかけてきたんでしょ」サクは言った。「記録で示したから、そうなったんじゃないの」
「そうかもしれません」
「絶対そうだよ」サクは言った。「ハルトくんって、そういうことが自然にできるんだよね。だから、先生に向いてると思った」
「向いているかどうかは、まだわかりません」
「向いてる」サクは断言した。「私が言うから、そうだよ」
「はい」
「お疲れ様、ハルトくん」サクは言った。「今日、よく頑張ったと思う」
「ありがとうございます」
「また来月も報告して」
「はい」
「楽しみにしてる」
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電話が切れた。
ハルトは部屋の中で、少し間を置いた。
傷つかなかったとは言えない、と言った。
それは本当だった。
青山の言葉は、MPBで最初に働き始めたころにも似た言葉を聞いたことがあった。魔法庁でも、倉田主任に言われたことがあった。
慣れていた。
ただ、慣れていることと、傷つかないことは、違った。
今日も、少し、重かった。
ただ、青山が最後に残った。
その事実が、今夜の記録として残った。
来月、どう変わるかはわからなかった。
変わらないかもしれなかった。
ただ、次の授業の準備が、少し楽しみだった。
ノートを開いた。
次回の内容を考え始めた。
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第六十八話 了




