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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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「三月」

三月になった。


魔法庁への出向が終わるまで、あと少しだった。


再来年の三月まで延長になっていたが、それでも一つの区切りが近づいていた。


最初に来た八月から、七ヶ月が経っていた。


---


術式記録の照合は、六百件を超えていた。


ギャップの整理資料は、四十二種類の変形パターンになっていた。


国際連携部への照会対応は、戦況が膠着するにつれて少し落ち着いてきていた。


ただ、アルカナテックの件は、まだ続いていた。


特定された元社員とロシアへの流出の関連は、まだ確認されていなかった。三谷を誘導した人物も、特定されていなかった。


---


水曜日の午後、倉田主任がハルトのデスクに来た。


珍しかった。


最近は廊下で目が合うと会釈する程度になっていたが、デスクに来ることはあまりなかった。


「神崎さん、少し時間があるか」


「はい」


「来月から、お前がいなくなるわけではないが」倉田主任は言った。「ギャップの整理資料、引き継ぎはどうするつもりか」


「まとめて、藤本さんに渡す予定です。更新の方法も説明します」


「俺にも見せてくれるか」


「はい。もちろんです」


倉田主任は少し間を置いた。


「お前が来てから、照合の遅れが全部解消した」倉田主任は言った。「フロアが変わった」


「藤本さんや、皆さんのおかげです」


「お前がいたからだ」倉田主任は言った。「最初に、非適合者が術式の審査に関わることは制度の問題だと言った。今も、制度として考えれば、そういう部分はある」


「はい」


「ただ」倉田主任は続けた。「記録の話として考えれば、お前がやってきたことは正しかった。それは認める」


ハルトは少し間を置いた。


「ありがとうございます」


「引き継ぎ資料、丁寧に作ってくれ」倉田主任は言った。「来年以降も、使える形にしておいてくれ」


「はい。そうします」


倉田主任は自分のデスクに戻った。


藤本が小声で言った。


「神崎さん、今の聞きました」


「はい」


「倉田主任が、認めるって言いましたよ」


「はい」


「すごいことですよ、本当に」藤本は言った。「八ヶ月かかりましたけど」


「記録が積み上がれば、見えてくるものがある、ということかもしれません」


「神崎さんって、そういうとこですよね」藤本は笑った。「それがいいんですけど」


---


その週の金曜日、結城から連絡が来た。


メッセージだった。


「神崎さん、今週末、少し時間がありますか。お話ししたいことがあります」


「はい。土曜日の午後なら空いています」


「ありがとうございます。MPBの近くの喫茶店でいいですか」


---


土曜日の午後、喫茶店に入った。


結城はすでにいた。


私服だった。魔法庁の制服ではなかった。


ハルトが座った。


「お呼び立てして申し訳ありません」結城は言った。


「いいえ。どうしましたか」


「来月、魔法庁に戻ります」結城は言った。「MPBでの一年が終わります」


「はい」


「その前に、神崎さんに直接お伝えしたいことがあって」


「はい」


結城はコーヒーを少し持ち上げた。


「四月の交流会のとき、非適合者への抵抗感があると、神崎さんに直接聞かれたことがあります」


「はい」


「あのとき、正直に答えました。あると言いました」


「はい」


「今も、完全に消えているかどうかは、わかりません」結城は言った。「ただ、MPBで一年過ごして、少し変わったことがあります」


「はい」


「記録の話です」結城は言った。「魔法庁にいたとき、記録は術式の補助だと思っていました。術式が先にあって、記録はあとからついてくるものだと」


「はい」


「MPBに来て、記録が先にあって、術式はその記録の中の一つだということがわかりました」結城は言った。「神崎さんが記録を扱うのを見ていて、そう思いました」


「そうですか」


「神崎さんは魔法を使えない。それでも、誰より術式を知っていた」結城は言った。「それが、私の中にあった前提を崩しました」


「前提、ですか」


「魔法使いが魔法を理解する、という前提です」結城は言った。「記録を通じて理解する方法があると、初めて実感しました」


ハルトは少し間を置いた。


「それは、私にとっても気づきでした」


「えっ」


「記録を通じて術式を理解できると、訓練場で初めてわかりました。魔法庁に来るまで、術式は私には関係のないものだと思っていました」


結城は少し間を置いた。


「神崎さんも、初めてそこに気づいたんですか」


「はい。八月の訓練場で、初めて」


「そうですか」結城は言った。少し笑った。「一緒に気づいていたんですね、この一年」


「そうかもしれません」


---


コーヒーを飲んだ。


「神崎さん」結城は言った。


「はい」


「魔法庁に戻ったら、変えたいことがあります」


「はい」


「非適合者の職員が動きやすい環境を、少しずつ作りたいと思っています」結城は言った。「すぐには変わらないと思います。ただ、やってみたいと思っています」


「どうしてですか」


「MPBで見たものを、持って帰りたいからです」結城は言った。「神崎さんが魔法庁でやってきたことを、今度は私が内側からやりたい」


ハルトは少し考えた。


「難しいと思います」


「はい」


「倉田主任のような考え方の人が、魔法庁の方が多いと思います」


「わかっています」結城は言った。「それでも、やります」


「はい」


「やめない方がいいと思いますか」


「はい」ハルトは言った。「続ける価値があると思います」


「それを聞きたかったんです」結城は言った。「神崎さんに言ってもらえると、続けられる気がします」


「私は記録の話をしただけです」


「それが全部です」結城は言った。「神崎さんって、そういうことを言うんですね」


「そうですか」


「褒めています」結城は言った。


---


喫茶店を出た。


三月の空気だった。


二月より少し、柔らかかった。


「神崎さん、魔法庁でまたお会いできますか」結城は言った。


「はい。延長で、来年三月まで在籍します」


「よかったです」結城は言った。「また一緒に仕事できますね」


「はい」


「今度は、私が神崎さんに教わる番じゃなくて、一緒に動ける気がします」


「はい。そうだといいと思います」


「絶対そうなります」結城は言った。あっさりした言い方だった。「じゃあ、また」


「また」


---


家に向かって歩いた。


三月の日差しが、少し温かかった。


スマートフォンが鳴った。


サクからだった。


「ハルトくん、今どこ?」


「帰り道です」


「今日は何かあったの? なんか、声が少し柔らかい気がする」


「そうですか」ハルトは少し考えた。「結城さんと会っていました」


「結城さんって、魔法庁の人?」


「はい。交換留学でMPBに来ていた方です。来月、魔法庁に戻ります」


「どんな話をしたの?」


「記録の話をしました」


「ハルトくんって、どこに行っても記録の話をするんだね」サクは言った。少し笑った。「そういうとこ、好きだよ」


「はい」


「私も今日、いいことがあって」サクは言った。


「はい」


「実験で、新しいデータが出た。変換効率、五十五パーセントになった」


「五十パーセントから、さらに進んだんですか」


「うん。施設にいた間も、頭の中では考え続けてたから。出てきたら一気に試して、うまくいった」


「よかったです」


「論文、そろそろ再開しようと思ってる。教授とも話した。状況が落ち着いたから、タイミングを見て提出できると思う」


「はい」


「約束、近づいてきた気がする」サクは言った。「ハルトくんが使う日が、少し見えてきた」


「はい」ハルトは言った。「楽しみにしています」


「楽しみにしてくれてるんだ」


「はい」


「じゃあ、もっと頑張れる」サクは言った。「また明日、電話する」


「はい」


「おやすみ、ハルトくん」


「おやすみなさい」


---


電話が切れた。


ハルトは歩き続けた。


今日のことを頭の中に入れた。


倉田主任の「記録の話として考えれば、お前がやってきたことは正しかった」という言葉。結城の「MPBで見たものを、持って帰りたい」という言葉。サクの「約束、近づいてきた」という言葉。


全部、残った。


三月になった。


七ヶ月前、八月に魔法庁に来た。


その間に、術式記録を六百件以上覚えた。ギャップの整理資料を作った。倉田主任と向き合った。訓練場で魔法を見た。戦争が起きた。サクの件があった。


全部、記録として積み上がっていた。


三月の空が、少し明るかった。


帰った。


---


第六十六話 了

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