「記録の中にあるもの」
翌朝、ハルトは六時に起きた。
昨夜の照合作業の続きを、出勤前にもう一度確認した。
三十件の照合結果。わかること、わからないことを分けた報告書。
読み直した。
問題はなかった。
ただ、一点だけ、昨夜から頭の中に残っているものがあった。
映像の炎と、倉田主任の術式の類似。
確認できる根拠はなかった。推測の域を出なかった。
報告書には書かなかった。
ただ、消えなかった。
---
魔法庁に着いた。
フロアはすでに動いていた。昨日より人が多かった。国際連携部の職員が、審査連携部のフロアに来て何人かと話していた。
堂島部長がハルトを見つけた。
「神崎くん、早かったな」
「報告書を持ってきました」
「助かる。確認させてくれ」
堂島部長は報告書を受け取った。その場で読んだ。
三分ほどで読み終えた。
「わかることとわからないことが、はっきり分かれているな」
「はい。確認できないことは書いていません」
「これでいい。国際連携部に渡す」堂島部長は言った。「一点だけ聞いていいか」
「はい」
「映像の術式と、登録済み記録の照合で、近いものはあったが完全一致はなかったとある。この先、完全一致する記録が見つかる可能性はあるか」
「あります」ハルトは言った。「十八ヶ月以内の非公開申請に含まれている可能性があります。また、そもそも申請されていない術式である可能性もあります」
「申請されていない術式、か」
「記録に残っていない技術は、照合できません」
堂島部長は少し間を置いた。
「それが、一番やっかいだな」
「はい」
---
午前中、国際連携部から追加の照会が届いた。
件名は「魔石供給ルートに関する関連申請の確認依頼」だった。
内容を読んだ。
魔石の輸出に関連する申請、魔石の加工技術に関する申請、魔石を使ったエネルギー変換に関する申請。それらの中で、過去三年以内に申請されたものをリストアップしてほしいという依頼だった。
ハルトはデータベースを開いた。
検索条件を設定した。
魔石関連、過去三年、申請済み。
結果が出た。
四十七件だった。
一件ずつ確認した。
申請者、申請内容、技術の概要。
三十二件目で、手が止まった。
アルカナテック株式会社名義の申請だった。
申請日は一年八ヶ月前だった。発明の名称は「高純度魔石の精製および出力安定化機構」だった。
読んだ。
精製された魔石が、通常の魔石より高い出力安定性を持つという内容だった。安定した出力は、長時間の魔法行使を可能にするということが書かれていた。
長時間の魔法行使。
軍事運用という言葉は、どこにもなかった。
ただ、長時間、安定した出力で魔法を使えるということが、どういう場面で有効か、ハルトには想像できた。
リストに加えた。
続きを確認した。
---
四十七件を確認し終えた。
リストをまとめた。
アルカナテック名義の申請が、四十七件のうち九件含まれていた。魔石関連の申請では、一社として最も多かった。
報告書にまとめた。
数字だけを書いた。
解釈は書かなかった。
確認できることだけを書いた。
---
昼過ぎ、藤本が声をかけてきた。
「神崎さん、国際連携部への報告、終わりましたか」
「はい。先ほど送りました」
「お疲れ様でした」藤本は少し間を置いた。「神崎さん、一個聞いていいですか」
「はい」
「アルカナテックって、この件に関係していると思いますか」
ハルトは少し考えた。
「確認できる情報だけで言えば、魔石関連の申請数が多い会社です。それ以上のことは、今の段階ではわかりません」
「わかりません、か」藤本は言った。「神崎さんが、わかりませんと言うときは、何か考えていることがある気がします」
「そうですか」
「あくまで私の印象ですが」藤本は言った。「無理に聞こうとは思いませんが、何かあれば話してください」
「はい」ハルトは言った。「ただ、今は記録として確認できることしか言えません」
「それで十分です」藤本は言った。「神崎さんが確認できると言ったことは、信頼できるので」
---
午後、倉田主任がハルトのデスクに来た。
珍しいことだった。
倉田主任は立ったまま言った。
「昨日の照合報告書、読んだ」
「堂島部長を通じて、ご覧になったんですか」
「ああ」倉田主任は言った。「映像の術式と、登録記録が完全一致しなかったとある」
「はい」
「お前は、あの炎を見てどう思った」倉田主任は言った。「率直に聞く」
ハルトは少し間を置いた。
「率直に言っていいですか」
「聞いたのはそのためだ」
「標準的な火系術式より、出力が高く展開速度が速い。それでいて、制御が安定していました」ハルトは言った。「個人の技量だけでは説明しにくい安定性でした」
「外部からの魔力供給があった可能性があると思うか」
「可能性は否定できません。ただ、記録として確認できる根拠がありません」
倉田主任は少し間を置いた。
「俺も、同じことを思った」倉田主任は言った。静かな声だった。「あの炎の安定性は、術者の技量だけじゃない。何か、補助がある」
「はい」
「ただ、根拠がなければ言えない」
「はい」
倉田主任はしばらくハルトを見た。
「お前の報告書、よく書けていた」倉田主任は言った。「わかることとわからないことが、はっきりしていた」
「ありがとうございます」
「続けてくれ」それだけ言って、倉田主任は自分のデスクに戻った。
---
夕方、ソウから連絡が来た。
「報告書、国際連携部から回ってきた。読んだ」
「はい」
「アルカナテックが九件、という数字を見て、どう思った」
「多いと思いました」
「俺もそう思う」ソウは言った。「ただ、多いことは、証拠じゃない」
「はい」
「調べるべきことが、増えた。ただ、今の段階では俺たちにできることは限られている」
「記録の照合を続けることですか」
「そうだ」ソウは言った。「非公開期間が終わった申請が出るたびに、確認してくれ。何か引っかかるものがあれば、すぐ連絡しろ」
「はい」
「もう一点」ソウは言った。「映像の炎の動きについて、お前が感じたことを教えてくれるか。報告書には書いていなかったが、何か気づいていたんじゃないか」
ハルトは少し間を置いた。
「書かなかった理由を話してもいいですか」
「聞こう」
「確認できる根拠がなかったからです。ただ」
「ただ」
「訓練場で見た術式と、映像の炎の動きに、少し似た部分がありました。出力の高さと制御の安定性が、記録と実践のギャップが大きい術式に似ていました」
「記録と実践のギャップが大きい術式、というのは」
「二十年以上の経験を持つ魔法使いが、独自に改良を重ねた術式です。記録には残っていない技術が蓄積されています」ハルトは言った。「そういった技術が、何らかの形で外部に渡った可能性を考えました。ただ、根拠がないので報告書には書きませんでした」
電話口が少し静かになった。
「それを言えるのは、お前が訓練場で術式を見続けていたからだな」
「はい」
「記録に残っていない技術が外部に渡る、というのは」ソウは言った。「どういう経路が考えられるか」
「人を通じた経路が一番確実だと思います。記録に残っていない技術は、それを持つ人間から直接学ぶしかありません」
「人を通じた経路、か」ソウは静かな声で言った。「わかった。続けてくれ」
---
ソウとの電話が終わった。
フロアが静かになっていた。
残っている職員は数名だった。
ハルトはデスクで、今日の作業を振り返った。
四十七件の照合。アルカナテックの九件。倉田主任との会話。ソウへの報告。
全部、記録として残した。
ただ、記録として残せていないものが、まだあった。
映像の炎の動き。訓練場で見た術式との類似。記録に残っていない技術が外部に渡る可能性。
これらは、今の段階では推測だった。
ただ、推測は、記録が増えれば確認できることになる可能性がある。
記録を積み上げることが、今できる唯一のことだった。
---
帰り道、リアからメッセージが来た。
「神崎さん、大丈夫ですか。ニュースを見ていて、魔法庁は大変だろうと思って」
「大丈夫です。やれることをやっています」
「そうですか。無理しないでください」
「はい」
少し間を置いて、返信した。
「白銀主任、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「アルカナテックの申請で、過去に気になるものはありましたか」
しばらく間があった。
「魔石関連の申請が多い会社だとは思っていました。ただ、それ以上のことは、今の段階では」
「はい。同じです」
「神崎さん」リアは言った。「今わからないことも、記録が積み上がれば見えてくることがあります」
「はい」
「焦らなくていいです」
「はい」
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
---
ハルトは歩きながら、今夜の空を見た。
十一月の空は、雲が多かった。
星は見えなかった。
今日のことを頭の中に入れた。
四十七件の照合。アルカナテックの九件という数字。倉田主任の「よく書けていた」という言葉。ソウへの報告。リアの「焦らなくていいです」という言葉。
全部、残った。
記録の中に、何かある。
ただ、今夜はまだ、それが何かはわからなかった。
わからないことを、わからないまま持って帰った。
---
第五十三話 了




