「五十パーセント」
十月になった。
魔法庁に来て、二ヶ月が経っていた。
術式記録の照合は、四百件を超えていた。ギャップの整理資料は、倉田主任の術式を加えて三十種類の変形パターンになっていた。
フロアの空気も、少し変わってきた。
倉田主任は相変わらず話しかけてはこなかった。ただ、廊下ですれ違ったとき、視線を外さなくなっていた。それだけだった。それだけで、十分だと思った。
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土曜日の朝だった。
ハルトは部屋で資料を読んでいた。
スマートフォンが鳴った。
サクからだった。
電話だった。メッセージではなく、電話だった。
「はい」
「ハルトくん、今話せる?」
「はい」
「よかった」サクは言った。声が明るかった。三月の夜とも、五月の川沿いとも違う声だった。「報告したいことがあって」
「はい」
「聞いてくれる? 少し長くなるかもしれない」
「どうぞ」
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「研究、進んだ」サクは言った。
「はい」
「効率が、五十パーセントになった」
ハルトは少し間を置いた。
「五十パーセント、ですか」
「うん」サクは言った。「変換効率が五十パーセント。つまり、二十四時間のうち十二時間分のロスがなくなった。まだ半分はロスがあるけど、五十パーセントって、一つの節目だと思って」
「はい。大きな前進です」
「でしょ」サクは言った。少し笑った気配がした。「こっちに来て三ヶ月で、ここまで来られるとは思ってなかった」
「何が変わりましたか」
「それを話したかったんだよ」サクは言った。「いくつかある」
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「一つ目は、環境が変わったこと」サクは言った。「機材が全然違う。日本にいたときは、実験のたびに機材の調整に時間がかかってた。こっちの研究室は、最初から必要な機材が揃ってる。それだけで、実験のペースが三倍くらい速くなった」
「はい」
「二つ目は、研究室の人たちと話せるようになったこと。最初は英語でのやり取りが大変で、研究の中身より言葉に集中しちゃってた。一ヶ月くらいで慣れてきて、研究の話ができるようになった」
「はい」
「三つ目が、ハルトくんに関係することで」
「はい」
「日本にいたとき、ハルトくんに教えてもらった特許が、ここで役立った」サクは言った。「覚えてる? 感知機構の特許、いくつか番号を教えてくれたやつ」
「はい。第十八万四千六百二十二号ほか、五件です」
「そう、それ」サクは言った。「こっちの研究室で、関連する先行研究を調べていたら、日本の特許が参照されてたんだよ。ハルトくんに教えてもらったやつが含まれていて」
「はい」
「それを読んでいたら、感知補助機構の配置の話が出てきて。私の素子の構造と組み合わせたらどうなるか、試してみたら」
「それが五十パーセントに繋がりましたか」
「繋がった」サクは言った。「直接の原因とは言えないけど、きっかけになった。ハルトくんが教えてくれた特許が、こっちでの研究の糸口になった」
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ハルトは少し間を置いた。
「それはよかったです」
「うん」サクは言った。「ハルトくんに言いたかった。日本で教えてもらったことが、アメリカで実を結んだって」
「私は番号を伝えただけです」
「そうじゃなくて」サクは言った。「番号を教えてくれたことより、ハルトくんがいつも記録を大切にしてたことが、私に影響してると思う。特許を読むことを、ちゃんとやろうと思えたのは、ハルトくんのおかげだよ」
「そうですか」
「そうだよ」サクは言った。「受け取って」
「はい」ハルトは言った。「受け取りました」
「ありがとう」サクは少し笑った。「なんか、ハルトくんらしい受け取り方」
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「それで」サクは言った。「もう一個、話したいことがあって」
「はい」
「五十パーセントになって、研究室の教授に報告したら、論文にまとめろと言われた」
「論文ですか」
「うん。まだ完成形じゃないけど、五十パーセントという数字は、学術的に意味があるから、ここで一度まとめておくべきだと言われて」
「それは、正しい判断だと思います」
「うん、私もそう思った」サクは言った。「論文にまとめれば、記録として残るから」
ハルトは少し間を置いた。
「記録として残る、という言い方をしましたね」
「した。ハルトくんの言葉が、染みついてきたのかも」サクは笑った。「記録として残れば、誰かがそれを読んで、次に繋げられる。そういう意味があると思って」
「はい。そうだと思います」
「アルカナテックのことがあって、日本での申請がどうなったかは、まだわからない。でも、論文として出せば、それは私の記録として残る。誰にも奪われない」
「はい」ハルトは言った。「論文は、あなたの名前で残ります」
「そう」サクは言った。少し声が落ち着いた。「それが、今一番大切だと思ってる」
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少し間があった。
「ハルトくん、魔法庁はどう?」とサクは言った。
「慣れてきました。術式の記録の照合が、主な業務です」
「術式の記録、どのくらい覚えた?」
「四百件を超えました」
「四百件」サクは言った。「ハルトくんらしい」
「まだ全体の一部です」
「全部覚えるつもりなんでしょ」
「はい」
「やっぱり」サクは笑った。「大変なことはなかった?」
「少し、ありました」
「何があったの」
ハルトは少し考えた。
「非適合者であることを、制度の問題だと言う方がいました」
「それって、嫌な思いしたってこと?」
「嫌だとは思いました。ただ、記録で示すことで、少し前に進めました」
「記録で示す、か」サクは言った。「ハルトくんって、どんな場面でも同じことをするんだね」
「他の方法がわからないので」
「それが強みだよ」サクは言った。「ちゃんと、伝わってると思う」
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また少し間があった。
「ハルトくん」サクは言った。
「はい」
「約束、覚えてる?」
「研究が完成したとき、最初に使わせてもらう約束ですか」
「そう」サクは言った。「五十パーセントになって、少し、その約束が現実に近づいた気がした」
「はい」
「まだ先は長いけど、近づいてる」
「はい」
「だから、報告したかった」サクは言った。「ハルトくんに、一番最初に報告したかった」
ハルトは少し間を置いた。
「ありがとうございます」
「受け取った?」
「はい。受け取りました」
「よかった」サクは言った。「じゃあ、また連絡する。論文、書き上げたら見せるね」
「はい。楽しみにしています」
「楽しみにしてくれるんだ」サクは少し笑った。「じゃあ、頑張る」
「はい」
「また」
「また」
電話が切れた。
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ハルトは部屋の中で、しばらく動かなかった。
五十パーセント。
変換効率が半分になった。
頭の中で整理した。
サクが静岡で初めて研究の話をしてくれたとき、効率は二十三時間以上のロスがあった。それが今、十二時間になった。
二年近くかけて、半分まで来た。
まだ半分残っている。
ただ、半分まで来た。
ハルトが教えた特許番号が、糸口になったとサクは言った。
番号を伝えただけだと思っていた。ただ、それが、アメリカの研究室で形になった。
記録は、予想外の場所で役立つことがある。
それはハルトが、この一年半で何度か経験してきたことだった。
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夕方、リアにメッセージを送った。
「佐久間さんから連絡がありました。研究の変換効率が五十パーセントになったとのことです」
しばらくして、返信が来た。
「そうですか。よかったです」
「論文にまとめる予定だそうです。記録として残すために、という言葉を使っていました」
少し間があって、返信が来た。
「その言葉を使ったんですね」
「はい」
「神崎さんの言葉が、佐久間さんに届いていたんですね」
「そう言っていただけると、そうかもしれません」
「そうですよ」リアは言った。「それも、記録です」
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ハルトはスマートフォンを置いた。
今日のことを頭の中に入れた。
五十パーセントという数字。感知機構の特許が糸口になったこと。論文として記録を残すというサクの言葉。「ハルトくんに一番最初に報告したかった」という言葉。リアの「それも記録です」という言葉。
全部、残った。
窓の外が暗くなっていた。
十月の夜は、少し早く暗くなる。
寝た。
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第五十一話 了




