「記録で示す」
九月の後半になった。
会議から一週間が経っていた。
倉田主任は相変わらず、ハルトに話しかけなかった。廊下で目が合っても、視線を外した。
ハルトも、特に何も言わなかった。
ただ、仕事を続けた。
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照合業務のペースが上がっていた。
最初の一ヶ月で二百件だったものが、九月に入ってからは週に六十件から七十件のペースになっていた。術式の表記に慣れたことと、藤本との連携が整ってきたことが理由だった。
藤本が言った。
「神崎さん、今週のペース、速くないですか」
「問題がある案件が少なかったので」
「それだけじゃないと思いますが」藤本は言った。「術式の読み方、最初と全然違いますよ。先月は一件に十五分かかってたのが、今は五分くらいで見てますよね」
「表記に慣れました」
「慣れる速さが、普通じゃないんですよ」藤本は笑った。「まあ、助かってますけど」
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照合作業と並行して、ギャップの整理資料を更新していた。
会議で発表した十二種類の変形パターンに、訓練場での観察を加えて、二十一種類まで分類が増えていた。
ただ、一点、整理しきれていないものがあった。
倉田主任の術式だった。
訓練場で何度か見ていた。火系のAクラスだけあって、出力が高かった。動きに無駄がなかった。ただ、記録との照合をしようとすると、どの登録術式とも完全には一致しなかった。
骨格は火系発展術式第十四号に近かった。ただ、細部の制御方法が、記録の標準形と大きく異なっていた。個人差の範囲を超えている気がした。
藤本に聞いた。
「倉田主任の術式、火系発展術式第十四号をベースにしていますか」
「そうだと思います。ただ、あの方の術式は独自の改良が多くて、正直なところ、ちゃんと分析したことがなかったです」藤本は言った。「なぜですか」
「照合しようとすると、記録と一致しない部分が多くて」
「倉田主任に直接聞くのは、難しそうですよね」
「はい。ただ、記録との差異を整理したいと思っています」
「なんで、その人の術式を」藤本は少し不思議そうに言った。
「記録に残っていない技術だからです」ハルトは言った。「ギャップの整理をするなら、一番難しい案件から逃げるべきではないと思います」
藤本は少し間を置いた。
「……なるほど」藤本は言った。「神崎さんらしいですね」
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訓練場での観察を続けた。
倉田主任の動きを、できる限り記録した。
火系発展術式第十四号との差異。炎の展開タイミング、出力の調整方法、収束の制御。標準形と異なる点を、一つずつ書き出した。
一週間かけて、差異のリストが二十三項目になった。
ただ、なぜそういう改良になったのか、記録だけでは理由がわからなかった。
藤本に頼んだ。
「一つ、お願いがあります」
「何ですか」
「倉田主任の術式の改良の経緯について、何か記録がありますか。過去の訓練記録や、研究報告書など」
「探してみます」藤本は言った。「ただ、倉田主任は記録を残すのが、あまり得意ではない方で」
「そうですか」
「ベテランの方に多いんですよ。感覚でやってきた部分が多いので、記録に落とすのが苦手というか、必要性を感じていないというか」
「それがギャップの原因の一つですね」
「そうなんです」藤本は言った。「神崎さんに来てもらって、そういうことを言語化してくれる人が初めてできた気がします」
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藤本が過去の記録を探してくれた。
三日後、一冊の報告書が出てきた。
十二年前の訓練記録だった。倉田主任が三十代のころのものだった。
読んだ。
火系発展術式第十四号を応用した新しい制御方法の試行記録だった。標準形では大規模な炎の制御に時間がかかる問題を、収束のタイミングをずらすことで解決しようとした記録だった。
試行回数、百十七回。成功率の推移、失敗例の記録、改善の過程。
丁寧に書いてあった。
ハルトは少し間を置いた。
今の倉田主任の術式と、この報告書の記録を照合した。
一致した。
百十七回の試行の末に作られた制御方法が、今も使われていた。
記録として残っていた。
ただ、誰も照合していなかっただけだった。
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藤本に報告した。
「十二年前の報告書と、今の倉田主任の術式が一致しました」
「本当ですか」藤本は言った。「それって、つまり」
「倉田主任の術式の改良の経緯が、記録として残っていたということです。データベースに登録されていなかっただけで、報告書の形で保管されていました」
「整理すれば、データベースに追加できますか」
「できます。ギャップの整理資料に、倉田主任の術式を事例として加えることもできます」
藤本は少し考えた。
「ただ、倉田主任に確認を取らないと、勝手には追加できないですよね」
「はい。本人に確認が必要です」
藤本はハルトを見た。
「倉田主任に、神崎さんが直接話しますか」
「はい」
「大丈夫ですか。先月の会議のこともあって」
「記録の話をするだけです」ハルトは言った。「それは、仕事の話なので」
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翌日の昼休み、ハルトは倉田主任に声をかけた。
倉田主任は食堂でコーヒーを飲んでいた。一人だった。
「倉田主任、少しよろしいですか」
倉田主任はハルトを見た。
少し間があった。
「何だ」
「業務上、確認したいことがあります」ハルトは言った。「倉田主任の術式の照合をしていたところ、十二年前の訓練報告書が見つかりました。火系発展術式第十四号の改良経緯が記録されているものです」
倉田主任の表情が、少し変わった。
「その報告書を、見たのか」
「はい。現在の術式と照合しました。報告書の記録と一致していました」
倉田主任はコーヒーを置いた。
「百十七回の試行記録です」ハルトは続けた。「収束タイミングをずらすことで、大規模な炎の制御時間を短縮した改良です。現在もその方法を使っていますか」
「使っている」倉田主任は言った。少し声のトーンが変わった。「今でも、あの方法が一番安定する」
「その改良をギャップの整理資料に加えたいと思っています。データベースに登録することで、後進の方が参照できるようになります。倉田主任の確認が必要なので、お願いしに来ました」
倉田主任はしばらく、ハルトを見ていた。
「なぜ、俺の術式を調べた」
「記録に残っていない技術があると思ったからです。ギャップの整理をするなら、一番難しい案件から逃げるべきではないと思いました」
「一番難しい案件、か」倉田主任は言った。
「倉田主任の術式は、標準形との差異が一番大きかったので」
倉田主任はしばらく黙っていた。
コーヒーを一口飲んだ。
「データベースへの登録、許可する」倉田主任は言った。「ただし、資料の確認はさせてくれ」
「はい。作成したら、最初に見ていただきます」
「わかった」倉田主任は言った。それだけだった。
視線をコーヒーに戻した。
ハルトは会釈して、食堂を出た。
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デスクに戻った。
藤本が待っていた。
「どうでしたか」
「許可をいただけました。資料の確認をしたいとのことでした」
「本当ですか」藤本は少し目を丸くした。「倉田主任が、すんなり」
「すんなりではありませんでしたが、許可はいただけました」
「神崎さん、それはすごいことですよ」藤本は言った。「倉田主任が、自分の術式を記録に残すことを許可したのは、私が知る限り初めてです」
「記録の話をしただけです」
「それが大事なんだと思います」藤本は言った。「記録の話として持っていったから、倉田主任も聞けた。感情の話じゃなくて」
ハルトは少し間を置いた。
「そうかもしれません」
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夕方、ソウに報告した。
メッセージを送った。
「倉田主任の術式の改良経緯を記録として整理しました。データベースへの登録許可をいただけました」
少し待つと、返信が来た。
「倉田主任が許可したのか」
「はい」
「どうやった」
「十二年前の訓練報告書を見つけて、照合した結果を持っていきました。記録の話として話しました」
しばらく間があった。
「お前らしいな」
「そうですか」
「口で言い返すより、記録で示す方が強いと言ったが」返信が来た。「こういうことだったか」
「意図していたわけではありません。記録に残っていないものを残したかっただけです」
「結果的に、倉田主任に記録の価値を示したことになる」ソウは言った。「それで十分だ」
少し間があった。
「よくやった」
それだけだった。
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その夜、サクからメッセージが来た。
「最近どう? こっちは少し肌寒くなってきた」
「こちらも秋になりました。仕事は順調です」
「何かあった? なんか、充実してる感じがする」
ハルトは少し考えた。
「少し、前に進んだ気がします」
「いいね」サクは言った。「私も、今週初めて実験がうまくいった。小さい一歩だけど」
「そうですか」
「うん。まだまだ先は長いけど、一歩は一歩だから」
「はい」
「お互い、少しずつ進んでるね」
「そうですね」
「また連絡する」
「はい」
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ハルトはスマートフォンを置いた。
今日のことを頭の中に入れた。
倉田主任の十二年前の報告書。百十七回の試行記録。食堂での会話。データベースへの登録許可。ソウの「よくやった」という言葉。サクの「小さい一歩だけど」という言葉。
全部、残った。
倉田主任の百十七回の試行が、データベースに残る。
コートを着た。帰った。
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第五十話 了




