「晴れた日に、できないこと」
休日の朝、ハルトは七時に起きた。
特に理由はなかった。平日と同じ時刻に目が覚めただけだった。
キッチンに立って、電気ケトルのスイッチを押した。
魔道具ではない。電気で動く普通のケトルだ。
湯が沸くまでの三分間、窓の外を見た。
十一月の空が、よく晴れていた。
魔道具のコーヒーメーカーは使えない。魔力が必要な機種だった。
去年の引っ越し祝いに友人からもらったが、一度も動かせたことがない。
棚の奥に入っている。
コーヒーは、ドリッパーで淹れた。
湯を細く注いで、三十秒蒸らして、またゆっくり注ぐ。
時間がかかる。
ただ、自分でできる。
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午前中は洗濯をした。洗濯機は電気式だ。
乾燥機は魔道具だったので、ベランダに干した。
風があった。シャツの袖が揺れた。
昼前に、近くの商店街に出た。
商店街の入口に、魔法で動く掃除機が走っていた。
魔力保有者なら操作できる機種だ。
ハルトの横を、ゆっくりと通り過ぎた。
八百屋でキャベツと玉ねぎを買った。支払いは電子マネーだった。
レジの店員が魔法で袋を開いた。小さな風の魔法だった。
ハルトは袋を自分の手で広げた。
特に不自由はなかった。慣れていた。
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帰り道に、公園の前を通った。
広い公園だった。休日だったので、子供が多かった。
ベンチが空いていた。買い物袋を置いて、少し休んだ。
公園の中央の広場で、子供たちが遊んでいた。小学生くらいの年齢だった。
五人ほどのグループが、魔法を使って遊んでいた。
一人が手を上げると、砂場の砂がふわりと浮いた。別の一人がそれを風で散らした。笑い声が上がった。また別の子が地面に小さな炎の輪を作った。仲間が輪の中を跳び越えた。歓声が上がった。
子供たちは特に意識している様子もなかった。遊んでいるだけだった。
ハルトは視線を空に向けた。よく晴れていた。
考えても仕方ない。
そう思った。思ったが、今日はなかなかその場所に戻れなかった。
子供たちの笑い声が、耳に残って離れなかった。
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怒鳴り声が聞こえたのは、それから十分ほど経ったころだった。
「うるさい!」
公園の端の方だった。
男が立っていた。四十代くらい、作業着、腕輪なし。顔が赤かった。
子供たちのグループの方を向いて、怒鳴っていた。
「魔法使いたいなら家でやれ! こっちは関係ないんだ!」
子供たちが固まっていた。一番近くにいた女の子が、泣きそうな顔をしていた。
周囲の大人たちが、様子を見ていた。誰も動かなかった。
ハルトは立ち上がった。買い物袋をベンチに置いた。歩いた。
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男の前に出た。
男はハルトを見た。怒鳴り続けようとした。
ハルトは一歩、男との間に体を入れた。子供たちと男の間に、自分の体を置いた。
「なんだお前」
「通りがかりです」
「関係ないだろ、どけ」
「どきません」
男の顔がさらに赤くなった。目が充血していた。怒りというより、長い時間をかけて溜まったものが、今日たまたまここで溢れたような目だった。
手が動いた。
ハルトは動かなかった。
男の手がハルトの胸倉をつかんだ。ハルトは足を踏ん張った。よろけなかった。
「どけって言ってるだろ!」
「子供たちに関係ないことです」とハルトは言った。声は静かだった。「怒鳴る相手が違います」
男が黙った。
一秒。二秒。
男の目が、ハルトの左手首を見た。腕輪がないのを確認するような目だった。それから顔を上げた。今度は違う目だった。怒りではなく、何かを探しているような目だった。
「……お前も、使えないのか」
「はい」
男はハルトの顔をしばらく見た。ハルトは視線を受け止めた。
「困らなかったのか」男は言った。声が少し低くなっていた。「魔法が使えなくて」
ハルトは少し考えた。
「困ります。今も困っています」
男の目が、微かに揺れた。
「それでも、ここに立ってるのか」
「はい」
男はハルトを見ていた。胸倉をつかんだままだった。ただ、力はもう入っていなかった。
男の視線が、ハルトの手首から自分の手首へ動いた。二本の、腕輪のない手首が、そこにあった。
男は何も言わなかった。
しばらく経って、口を開いた。
「俺は」男は言った。「息子に、発現投与を受けさせなかった。絶対に適合するって思ってたから。でも……息子はそれで、クラスで——」
そこで男は口を閉じた。
言いすぎた、という顔だった。ただ目は、もう充血していなかった。何かが少しだけ抜けたような目だった。
ハルトは黙っていた。
男はゆっくりと、胸倉から手を放した。視線を地面に落とした。
「……子供には関係なかった」
「はい」
男は何も言わなかった。しばらくそのまま立っていた。それから、公園の出口の方へ歩いていった。振り返らなかった。
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子供たちの方を振り返ると、女の子が小声で言った。
「ありがとうございました」
「大丈夫でしたか」
女の子は頷いた。他の子供たちも、少しずつ表情が戻ってきた。
ハルトはベンチに戻った。買い物袋を持った。
公園を出た。
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帰り道、ハルトは男が言いかけたことを考えた。
息子が非適合だった。クラスで、何かあったのだろう。
男の手が胸倉をつかんでいた感触が、まだ少し残っていた。怒鳴っていた声より、力が抜けた瞬間の方が、記憶に残っていた。
公園で、子供たちが遊んでいた。砂が浮いて、風で散って、炎の輪を跳び越えた。笑い声が上がった。
ハルトには、砂を浮かせることができない。炎の輪を作ることができない。風を起こすことができない。
考えても仕方ない。
今日もその言葉に戻ろうとした。戻れた。ただ、戻り方が、いつもと少し違った。
ハルトはキャベツの入った買い物袋を持ち直した。空は、まだ晴れていた。
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第四話 了




