「なんとなく、じゃない」
サクから連絡が来たのは、火曜日の昼休みだった。
「今週末、空いてる?」
ハルトはスマートフォンを見た。メッセージが一行だけ来ていた。
「空いています」と返した。
「じゃあ土曜。十二時、駅前のカフェ」
「わかりました」
「久しぶりだね」
それだけだった。
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土曜日の十二時、ハルトは約束のカフェに入った。
サクはすでに来ていた。窓際の席。黒いジャケット、白いシャツ。左手首に腕輪はない。メニューも見ずにスマートフォンを見ていた。
ハルトが席に着くと、顔を上げた。斜に構えた笑い方で言った。
「時間通りだね」
「十二時です」
「私が早かっただけ」
ウェイターが来た。サクはコーヒーを頼んだ。ハルトも同じものを頼んだ。
「元気だった?」とサクは言った。
「普通です」
「普通って何」
「毎日書類を読んで、確認して、記録しています」
「それ、毎回同じ答えだよね」サクは笑った。「楽しそう」
「面白いです」
「そう言うと思った」
コーヒーが来た。二人で少し黙った。悪い沈黙ではなかった。大学のころから、サクとの沈黙は悪くなかった。
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「サイエンスアークの仕事はどうですか」とハルトは聞いた。
「まあまあ。最近は魔法科学系のスタートアップに顔出すことが多い」
「どんな会社ですか」
「魔道具の小型化に取り組んでたり、術式を効率化しようとしてたり。面白いことやってるところが多い」サクはコーヒーを一口飲んだ。「ハルトの職場に申請来るかもね、そのうち」
「来たら確認します」
「頼んだ」
また少し黙った。
「腕輪、やっぱりつけないんですね」とハルトは言った。
「つけない」
「なんとなくですか」
サクがこちらを見た。少し目が細くなった。
「なんとなく、には理由があるって知ってるでしょ」
「知っています」
「じゃあ聞かないで」
「はい」
サクはコーヒーカップを両手で包んだ。窓の外を見た。
土曜日の昼の街が、のんびりと流れていた。
「ハルトくんは」とサクは言った。
「仕事で困ることない? 魔法使えないと」
「あります」
「どんなとき」
「先日、現地確認に同行しました。崩落事故があって、術式を使う場面がありました。自分には何もできなかった」
「そう」
「他の人に助けてもらいました」
サクは窓の外を見たままだった。
「悔しかった?」
ハルトは少し考えた。
「悔しい、という感じではなかったです。ただ、ペンを持ったまま立っていた時間が、まだ少し手に残っています」
サクは何も言わなかった。
カフェの中で、誰かが笑う声がした。
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ケーキを追加で頼んで、話が一段落したころ、サクがスマートフォンをテーブルに置いた。
「ちょっと聞いてほしいことがある」
「はい」
「仕事の話なんだけど」サクは前置きした。「まだ誰にも言ってないやつ」
「わかりました」
サクはコーヒーカップを持ったまま、少し間を置いた。
「今、個人で研究してるものがあって」
「サイエンスアークとは別で?」
「別で。というか、まだ研究って言えるレベルにもなってない。ほぼ思考実験の段階」
「どんな研究ですか」
サクは窓の外を一度見た。それからハルトを見た。
「魔力がない人でも、擬似的に魔法が使えるようにする魔道具」
ハルトは何も言わなかった。
「笑わないね」とサクは言った。
「なぜ笑うんですか」
「無茶な話でしょ。魔力がない人が魔法を使うなんて、現状の技術じゃ不可能に近い。魔力保有者向けの製品ならあるけど、魔力ゼロの人向けはどこも作れていない」
「作れない理由は」
「魔力回路を動かすエネルギーが必要だから。魔道具は魔力があって初めて動く。魔力ゼロの人には、その燃料がない」サクはテーブルを人差し指で軽く叩いた。「だから擬似的に、と言った。魔力の代わりになる何かを使って、術式を起動できないかって考えてる」
「魔力の代替エネルギーを作る、ということですか」
「そう。電気や熱を魔力に変換できれば、理論上は魔道具を動かせる。ただ変換効率が壊滅的で、今のところ実用に程遠い」
「どのくらいですか」
「ライターの火が出るくらいの術式を動かすのに、家庭用の電力一日分が必要なレベル」
「それは確かに」
「全然ダメ」サクは笑った。斜に構えた笑い方ではなく、少し自嘲するような笑い方だった。「でも、できないとは思ってないので」
ハルトはサクを見た。
「なぜやろうと思ったんですか」
サクは少しの間、コーヒーカップを見ていた。
「なんとなく」
ハルトは何も言わなかった。
サクが「なんとなく」と言うときは、必ず理由がある。大学のころから知っていた。ただ今日も、それ以上聞かなかった。
サクが続けた。
「ハルトくんにだけ話したのは、笑わないと思ったから」
「笑わないです」
「知ってる」サクはコーヒーを飲んだ。「あと、もし将来MPBに申請するとき、ちゃんと審査してほしいから」
「します」
「ひいきなし?」
「ひいきはしないです」
「そこは少しくらいしてよ」
サクは笑った。今度は普通の笑い方だった。
「ナイショね」とサクは言った。「まだ全然できてないから、誰にも言わないで」
「言いません」
「理由は聞かないの」
「言わない方がいい気がするので」
サクはしばらくハルトを見た。それから窓の外を見た。
「ハルトくんって、変わんないね」
「そうですか」
「褒めてる」
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カフェを出たのは、三時過ぎだった。
駅に向かう道を並んで歩いた。秋の風が少し冷たかった。
「また連絡するね」とサクは言った。
「はい」
「仕事、無理しないで」
「していないです」
「そう」
改札の前で立ち止まった。サクが定期券を取り出した。それからハルトを見た。
「あの魔道具、できたとして」サクは言った。「最初に使ってほしい人がいる」
「私ですか」
サクは答えなかった。指先が、何もない空中を一瞬だけ触れるような仕草をした。窓の外を——改札口の向こうを見た。
「なんとなく」
サクは改札を通った。振り返らなかった。
ハルトは改札の向こうに消えたサクを、少しの間見ていた。
全然ダメ、とサクは笑った。でも、できないとは思っていない、と言った。
ハルトは駅を出た。秋の空が、高く晴れていた。
手のひらに、何も灯らなかった。
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第三話 了




