「アルカナテックからの電話」
ハルトがデスクでコーヒーを飲んでいると、リアが言った。
「神崎さん、少し前に外線が入りました。アルカナテックから、あなた宛てに」
ハルトは手を止めた。
「私宛てに」
「はい。折り返しの番号を聞いてあります」
リアはメモをハルトに渡した。会社名と番号が書いてあった。担当者の名前もあった。
御厨タカシ。アルカナテック株式会社、事業開発部。
ハルトはメモを見た。
「折り返した方がいいですか」
「それはあなたが判断することです」リアは言った。「ただ、内容は確認した方がいいと思います」
「はい」
---
折り返したのは昼前だった。
三回のコールで出た。
「お電話ありがとうございます、アルカナテック事業開発部の御厨です」
「魔法特許庁、神崎です」
「ああ、神崎さん、ご連絡ありがとうございます」御厨の声は明るかった。滑らかだった。慣れた声だった。「突然のご連絡、失礼しました。少しお時間よろしいですか」
「はい」
「実は、ご相談したいことがありまして。神崎さんのお仕事について、少し伺いたいことがあるんです」
「私の仕事について」
「はい。先生の拒絶事例の精査作業のことは、業界内でも話題になっておりまして」御厨は続けた。「弊社も特許を多数保有しておりますので、ぜひ一度お会いして、神崎さんのお考えを聞かせていただければと思いまして」
ハルトは少し間を置いた。
「どういった内容の相談ですか」
「直接お会いしてお話ししたいのですが、簡単に申し上げますと、弊社の特許戦略に関するご意見をいただきたいと。非公式な形で構いませんので」
「非公式な形で、というのは」
「お仕事とは別に、個人的にご意見をいただければと。もちろん、相応のお礼は考えております」
ハルトは電話を持ったまま、デスクの上を見た。
「お断りします」
少し間があった。
「神崎さん、誤解があるかもしれませんが、何か問題のある話ではありません。業界の慣行として、専門家の方にご意見をいただくことは」
「業務上知り得た情報を、非公式に外部に提供することはできません。また、個人的な謝礼を受け取ることも適切ではありません」
「そういった堅いお話ではなく」
「私はそういった話として受け取っています」ハルトは言った。「他にご用件がなければ、これで失礼します」
「あの、神崎さん、少し待って——」
電話を切った。
---
リアに報告した。
「アルカナテックから、非公式に特許戦略についての意見を求められました。個人的な謝礼つきで」
「断りましたか」
「はい」
リアは少し間を置いた。
「内容を詳しく教えてください」
ハルトは電話の内容を順番に話した。御厨の名前、事業開発部という肩書き、非公式という言葉、相応のお礼という言葉。
リアは聞きながら、メモを取った。
「記録に残します」リアは言った。「こういった接触は、記録しておく必要があります」
「はい」
「また連絡が来るかもしれません」
「来ると思います」
「その場合も、同じように断って、私に報告してください」
「わかりました」
リアはメモを見た。
「アルカナテックが、あなたに直接接触してきた」リアは言った。独り言のような声だった。「なぜ今のタイミングで」
「わかりません。ただ」
「ただ」
「拒絶事例の精査を担当したことは、業界内で知られています。特許データに詳しい人間として、目をつけられた可能性があります」
「それだけではないかもしれません」リアは言った。「アルカナテックは以前、情報漏洩に関わっていた会社です。今回の接触が、どういう意図によるものか」
「確認する方法はありますか」
「今は、記録して待つことです」
---
午後、ソウに連絡した。
メッセージを送った。
「アルカナテックから個人的に接触がありました。内容をお伝えしたいのですが、時間がありますか」
十分後に返信が来た。
「今すぐ行く」
十五分後、ソウが四階に来た。
会議室に三人で入った。リア、ソウ、ハルト。
ハルトが経緯を話した。ソウは腕を組んで聞いていた。
「御厨タカシ、事業開発部か」ソウは言った。「そういう部署が窓口になるのは、普通じゃない」
「どういうことですか」
「特許に関する問い合わせなら、知財部が動く。事業開発が動くということは、事業として何かを仕掛けようとしている可能性がある」
「何を仕掛けようとしているんですか」
「わからん。ただ、お前に接触してきた理由が特許データへのアクセスだとしたら、目的は情報収集だ。次に何を申請するか、どこが問題になるか、事前に把握したいということだろ」
「断って正解でしたか」
「当然だ」ソウは言った。「お前が断ったのは当然として、問題はここからだ。一度断ったくらいで引く連中じゃない。形を変えてまた来る可能性がある」
「形を変えて、というのは」
「直接来るとは限らない。お前の周囲から来るかもしれない」
室内が少し静かになった。
「周囲、というのは」とリアが言った。
「知り合い、友人、家族。そういうルートを使うことがある、ああいう会社は」
---
ハルトはソウの言葉を頭の中で繰り返した。
周囲から来るかもしれない。
頭に浮かんだのは、サクだった。
サクはサイエンスアークに勤めていた。サイエンスアークはアルカナテックが関心を持っていた会社だった。先日、サクの申請を処理したとき、アルカナテックの先行特許と照合していた。接点はあった。
ただ、サクがアルカナテックと何らかの繋がりを持っているとは思えなかった。
「どうした」とソウが言った。
「何か気になることがありますか」と聞かれた気がした。
「いいえ」とハルトは言った。
ソウはハルトをしばらく見た。
「気になることがあれば、言えよ」
「はい」
「お前、そういうとき顔に出ないから、自分でちゃんと判断しろ」
「わかりました」
---
会議室を出た後、ハルトはデスクに戻った。
サクに連絡すべきかどうか、少し考えた。
アルカナテックからの接触があったこと。周囲から来るかもしれないというソウの言葉。
サクに伝えるべき根拠は、今のところなかった。サクに接触があったわけではない。ただの可能性の話だった。
ただ、可能性は可能性として頭に入れておく必要があった。
ハルトはデスクの上のコーヒーを一口飲んだ。冷めていた。
今日のことを頭の中に入れた。
御厨タカシ。事業開発部。非公式な接触。相応のお礼。
記録として、残った。
---
夕方、窓口に最後の申請者が来た。
三十代の女性だった。水系の術式、生活補助型。申請書類はきれいに整っていた。
受理した。
「ありがとうございます」女性は言った。「緊張しました」
「問題ない書類でした」
「そうですか」女性は少し安堵した顔をした。「実は前に一度、別の術式で申請して弾かれたことがあって。それからずっと、申請するのが怖くて」
「前の申請はいつですか」
「四年前です」
「術式の内容を覚えていますか」
「はい、大体は」
「差し支えなければ、概要を教えてもらえますか。前の拒絶が適切だったかどうか、確認できます」
女性は少し驚いた顔をした。
「確認してもらえるんですか」
「時間をいただければ」
女性は術式の概要を話した。ハルトは聞きながら、頭の中を探した。
四年前、水系、生活補助型。
あった。
「拒絶理由は既存の特許との類似でしたか」
「そうです。水の浄化に関する特許と似ているという理由で」
「確認します。少し待ってください」
ハルトはデータベースを開いた。四年前の拒絶案件を引いた。
該当する案件があった。拒絶理由の根拠となった特許を確認した。
「拒絶理由の根拠となった特許と、あなたの術式を比べると、核心技術が異なります。前の審査は、再審査の対象になる可能性があります」
女性はしばらく黙っていた。
「四年前の話が、今になって」
「制度の見直しが進んでいます。申請してみる価値はあります」
「……ありがとうございます」女性は言った。声が少し震えていた。「来てよかったです」
---
女性が帰った。
リアが書類から顔を上げた。
「今の方、前の申請を確認していましたね」
「はい。再審査の対象になる可能性があります」
「連絡先は取れましたか」
「取れました」
「後日、こちらから連絡します」
「はい」
リアはハルトを見た。
「今日、いろいろありましたね」
「はい」
「アルカナテックの件は、引き続き注意してください」
「わかりました」
「ただ」リアは言った。「今の対応は、今日一番よかったことだと思います。アルカナテックの話より」
「そうですか」
「はい」リアは書類に視線を戻した。「記録に残ります。その方の四年間が」
---
第三十三話 了




