「制度の話をしに来た人」
事件がテレビで大きく取り上げられたのは、修繕が完了した翌日だった。
朝のワイドショーが一時間近く特集を組んだ。
「魔法庁襲撃事件の全貌」という見出しで、事件の経緯、逮捕された五人の背景、無登録同盟の主張が繰り返し流れた。
コメンテーターが口々に言った。
「特許制度への不満が暴力に向かったという構図は、制度側も真剣に受け止めるべきでは」
「魔法を持つ者と持たない者の格差が、こういう形で噴き出した」
「審査の透明性が問われる事件だ」
ハルトはデスクでその映像を横目に見た。コーヒーを一口飲んだ。
リアは映像を見ていなかった。書類を読んでいた。
---
長官が来たのは、午後だった。
事前の連絡はあった。ただ、四階のフロア全体が少し緊張した。
桐谷ミツオ。六十代、白髪、背が高い。
魔法特許庁の長官だった。
濃紺のスーツ、細く地味な腕輪。ハルトは顔を見た瞬間に照合した。
行政畑が長い。実務審査の経験は少ない。それだけわかった。
応接室ではなく、フロアに直接来た。
リアが立ち上がった。
「桐谷長官、お待ちしていました」
「堅苦しくしなくていい」桐谷は言った。声は低く、穏やかだった。「少し話を聞かせてほしい。あなたと、それから」桐谷はハルトを見た。「神崎くんも」
「はい」とハルトは言った。
---
三人で第三審査室に入った。
桐谷は上座に座らなかった。テーブルの横に座った。リアとハルトが向かいに座った。
お茶が来た。
桐谷は一口飲んだ。それから言った。
「今回の事件、ご苦労だった」
「いいえ」とリアは言った。
「神宮寺主任と、白銀主任が対応した。神崎くんは情報の整理と伝達を担当した、と報告書にありました」
「はい」
「報告書を読んだ。神崎くんが踊り場から五人の位置、属性、出力を把握して神宮寺主任に伝えた。それが初動の判断に繋がった」
「できることをしただけです」とハルトは言った。
「できることをした、か」桐谷はハルトを見た。「あなたは非適合者です」
「はい」
「MPBに入庁した非適合者は、過去十年で三人います。あなたを含めて」桐谷は言った。「残りの二人は、審査補助や書類整理を担当していた。現場に出た非適合者の職員は、記録にある限り、あなたが初めてです」
ハルトは何も言わなかった。
「今回の話は、そのことではありません」桐谷は続けた。「ただ、前置きとして確認しておきたかった」
---
「本題に入ります」桐谷はテーブルに両手を置いた。「今回の事件を受けて、上層部で議論が始まっています。特許制度の見直しです」
リアが少し背筋を伸ばした。
「どのような見直しですか」
「現時点では方向性の段階です。ただ、大きく二つの論点が出ています」桐谷は言った。「一つ目は、審査プロセスの透明化。拒絶理由の説明をより詳細にする、異議申し立ての手続きを簡略化する、といった内容です」
「二つ目は」
「審査基準そのものの見直しです」桐谷は少し間を置いた。「現行の基準では、既存の特許との類似性判断が審査官の裁量に委ねられている部分が大きい。今回の事件の背景にある田所ナオさんのケースも、その問題を示しています」
ハルトは田所ナオの再審査請求書を思い出した。三年前に拒絶された術式。補助式の形式という弱い根拠での拒絶。
「田所さんの件は、再審査に入っています」とリアは言った。
「知っています。白銀主任が自ら担当すると聞きました」桐谷は言った。「その対応が、一つの先例になります」
「先例、というのは」
「再審査で結果が覆れば、類似した事例を過去に遡って確認する根拠になります。ただ、それは膨大な作業です」
室内が静かになった。
「過去の拒絶事例を洗い直す、ということですか」とリアは言った。
「上層部の意見は割れています」桐谷は言った。「やるべきだという意見と、コストと時間を考えれば非現実的だという意見と」
---
桐谷がハルトを見た。
「神崎くん」
「はい」
「あなたはMPBの全特許を記憶しているそうですね」
「はい。登録済みのものと、拒絶されたものも含めて」
「拒絶事例も」
「申請記録として保管されているので、記憶しています」
桐谷は少し黙った。
「拒絶された申請は、現在何件ありますか」
ハルトは答えた。
「過去二十年分の記録で、八万四千三百二十七件です。ただし、データベースへの入力が完了していない古い記録が約三千件あります。それを含めると、八万七千件前後になります」
桐谷は目を細めた。
「即答できるんですか」
「記憶しているので」
「八万七千件を、全て頭に入れている」
「はい」
桐谷はリアを見た。リアは真っ直ぐ前を見ていた。
「白銀主任、神崎くんはいつもこうですか」
「いつもこうです」とリアは言った。
---
「率直に聞きます」桐谷は言った。「過去の拒絶事例の中に、今回の田所さんのケースと同様に、拒絶理由が弱かった可能性のあるものがどの程度あると思いますか」
ハルトは少し考えた。
「正確な数は出せません。ただ」
「ただ」
「記憶している限り、補助式の形式を類似根拠に使った拒絶は、過去二十年で二百件以上あります。そのうち、核心技術が明確に異なるにもかかわらず拒絶されているものが、感覚的には数十件はあると思います」
「感覚的には、と言いましたが」
「全件を精査したわけではないので、断言はできません。ただ田所さんのケースを確認したとき、類似した構造の拒絶がいくつか頭に浮かびました」
桐谷はしばらくハルトを見ていた。
「あなたが全件を精査すれば、具体的な数が出せますか」
「時間をかければ、できます」
「どのくらいかかりますか」
「拒絶事例八万七千件を一件ずつ確認するのは現実的ではありません。ただ、類似した拒絶理由のパターンに絞れば、対象を絞り込める可能性があります。補助式の形式を拒絶理由に含む案件だけでも、二百件程度に絞れます」
「その二百件を精査するなら」
「一件あたり三十分から一時間として、通常業務と並行すれば、二ヶ月から三ヶ月かかります」
---
桐谷は背もたれに少し寄りかかった。
「今日お話ししたいのは、その作業を正式な業務として依頼できるかどうかの打診です」
リアが言った。
「神崎さんに、過去の拒絶事例の精査を、ということですか」
「正式な命令ではありません。まだ上層部の議論が固まっていない段階です。ただ、実現可能かどうかを確認したかった」
「神崎さんの通常業務に影響が出ます」
「そのために確認しています」桐谷はリアを見た。「白銀主任はどう思いますか」
リアは少し間を置いた。
「やる価値はあります」リアは言った。「田所さんのケースが示した通り、制度の不備は実在します。それが数十件で済むのか、もっと多いのか、確認することには意味があります」
「神崎くんは」
ハルトはリアを見た。リアは真っ直ぐハルトを見ていた。
「やります」とハルトは言った。
「理由を聞かせてもらえますか」
「記録の中に、誰かの『おかしい』が残っている可能性があります。それを取り出せるなら、取り出した方がいい」
桐谷は少し目を細めた。
「記録の中に、誰かの『おかしい』が残っている」桐谷は繰り返した。「面白い言い方をしますね」
「早瀬トモさんの件で、そう思いました」
「早瀬さんの件も、報告書で読みました」桐谷は言った。「あなたが拒絶申請の存在を見つけた件ですね」
「はい」
---
桐谷が立ち上がった。
「正式な依頼は、上層部の議論がまとまってからになります。時間をいただく場合もありますが、その間に対象範囲の絞り込みだけ進めておいてもらえますか」
「はい」
「白銀主任、進捗の管理をお願いできますか」
「わかりました」
桐谷は部屋を出る前に、もう一度振り返った。
「神崎くん」
「はい」
「非適合者だから、というのは関係ありません。ただ、あなたにしかできない仕事がある。今回の件で、それははっきりしました」
ハルトは何も言わなかった。
「余計なことを言いました」桐谷は言った。「では」
扉が閉まった。
---
室内に二人が残った。
リアが立ち上がった。
「神崎さん」
「はい」
「引き受けて、よかったんですか」
「はい。できることなので」
「通常業務に影響が出ます。かなりの量になります」
「わかっています」
リアは少し間を置いた。
「無理をしないでください」
「はい」
「無理をしたら、言ってください」
「はい」
リアは扉の方に向いた。それから、止まった。
「神崎さん」
「はい」
「記録の中に、誰かの『おかしい』が残っているという言葉」リアは振り返らずに言った。「いい言葉だと思います」
それだけ言って、扉を開けた。
---
ハルトはしばらく室内に一人でいた。
頭の中で数字が動いた。
拒絶事例、八万七千件。補助式の形式を拒絶理由に含む案件、二百件以上。その中に、田所さんのケースと同じ構造を持つものが、いくつあるか。
まだわからなかった。
ただ、数えることはできる。
ハルトはデスクに戻った。マグカップを書類から十センチ離れた位置に直した。コーヒーを一口飲んだ。
新しいファイルを開いた。
作業を始めた。
---
第二十四話 了




