「奪われたもの、残ったもの」
報告書の作成は、深夜まで続いた。
魔法庁と合同での作業だった。被害状況の記録、五人の身元確認、経緯のまとめ。
リアが主導して、ハルトが記録を取り、ソウが魔法庁側の書類を担当した。
終わったのは夜の十一時過ぎだった。
三人が廊下に出た。ビルの中はすでに静かだった。
「帰るか」とソウは言った。
「はい」とリアは言った。
三人でエレベーターに乗った。
誰も話さなかった。疲れていた。それだけだった。
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翌朝、ハルトはいつも通りに出勤した。
三階は立入禁止になっていた。業者が入って修繕作業を始めていた。
焦げた壁、凍った床、割れた窓。一日では終わらない量だった。
四階は通常通り稼働していた。
リアはすでにデスクにいた。書類を読んでいた。
「おはようございます」
「おはようございます」リアは顔を上げた。「昨日、ありがとうございました」
「いいえ」
「四階で一人になった場面、報告書に書きました。単独で対応したことは、評価されます」
「対応というほどのことは」
「動きを止めたのは事実です」リアは書類に視線を戻した。「それで十分です」
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午前中、ソウから連絡が来た。
電話ではなくメッセージだった。
「昨日四階にいた電撃系の男、名前は西田ケイ。23歳。仲間の申請拒絶の件、本当にあったことらしい。確認してくれるか」
ハルトはリアに見せた。
「確認しますか」とハルトは聞いた。
「してください」
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西田ケイ。二十三歳。
ハルトは頭の中を探った。西田という申請者はいなかった。
ただ、仲間の申請と言っていた。仲間の名前は聞いていなかった。
ソウにメッセージを返した。
「申請者の名前か申請番号が必要です。西田さんから確認できますか」
十分後に返信が来た。
「聞いてきた。申請者は田所ナオ。三年前の申請。術式の分類は強化補助系」
ハルトは探した。
あった。
田所ナオ。三年前の申請。強化補助系、体組織強化型。
審査結果、拒絶。拒絶理由、既存特許との類似。
類似していた特許の登録者——株式会社マナテック。
マナテック。大手の魔法道具メーカーだった。
ハルトは二つの特許を並べた。
田所ナオの術式と、マナテックの登録特許。
読んだ。
類似していた。ただ、核心部分が違った。田所の術式は体組織への直接的な強化を目的にしていた。マナテックの特許は魔道具を介した間接的な強化だった。目的も、構造の核心も、別物だった。
拒絶理由に挙げられた類似点は、術式の展開における補助式の形式だった。補助式の形式は、強化系の術式において広く使われる一般的なパターンだった。
これは、拒絶理由として弱かった。
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リアに報告した。
「田所ナオさんの申請拒絶の件です。拒絶理由を確認しました」
「どうでしたか」
「拒絶理由に挙げられた類似点は、強化系の術式に広く使われる補助式の形式です。核心技術は異なります。田所さんの術式は体組織への直接強化、マナテックの特許は魔道具を介した間接強化です。目的も構造も別物です」
リアはハルトを見た。
「拒絶が適切ではなかった可能性がある、ということですか」
「はい。ただし三年前の審査ですので、当時の審査基準で判断された結果です。現在の基準で再審査すれば、結果が変わる可能性があります」
「再審査の申請は、当事者からMPBに請求できます」リアは言った。「田所さんがまだ申請の意思を持っているなら、再審査を請求できます」
「西田さんから伝えてもらえますか」
「神宮寺主任経由で伝えます」
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ソウに連絡した。
今度はリアが直接電話した。ハルトは隣で聞いていた。
「神宮寺主任、田所ナオさんの件ですが」
「わかったか」
「はい。再審査の可能性があります。田所さんに再審査請求の意思があるか、確認してもらえますか」
電話口で、ソウが少し黙った。
「……リア、お前」
「白銀主任です」
「わかってる。ただ、わざわざ確認するか、そこまで」
「拒絶が適切でなかった可能性があります。であれば、確認するのが仕事です」
また少し間があった。
「お前は昔からそうだな」ソウは言った。「真っ直ぐすぎる」
「真っ直ぐかどうかはわかりません。ただ、できることはやります」
「わかった。田所に伝える」
電話が切れた。
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その日の午後、ソウが四階に来た。
珍しかった。ソウが四階に来るのは用があるときだけだった。
「田所に伝えた」ソウは言った。「再審査、やりたいと言ってた」
「では、請求書類を準備します」とリアは言った。
「それだけか」
「それだけです」
「礼のひとつくらい言えないのか」
「何に対してですか」
「俺が橋渡ししたんだぞ」
「それは仕事の範囲です」
ソウは苦笑いした。ハルトを見た。
「神崎、リアは昔からこんな感じか」
「昔を知らないので、わかりません」
「今は」
「今も、こんな感じです」
「……お前らは似たもの同士だな」
リアは書類に視線を向けたまま、何も言わなかった。
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三日後、田所ナオから再審査請求書が届いた。
ハルトが受け取った。リアに渡した。
リアは書類を確認した。署名した。受理の判を押した。
「再審査に入ります」
「はい」
「担当は私がします。神崎さんは補助に入ってください」
「わかりました」
リアは書類をファイルに入れた。
「今回の一件で」とリアは言った。
「はい」
「制度への不満が、ああいう形になることがある。それはわかりました」
「はい」
「ただ」リアは続けた。「制度が間違っていたなら、制度の中で直す方法があります。それがある限り、暴力は必要ない」
「はい」
「田所さんの件が、その一例になればいいと思います」
ハルトは田所ナオのファイルを見た。
三年前に弾かれた申請が、今日から再び動き始めた。
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夕方、ソウからメッセージが来た。
「西田が面会で一言言いたいと言ってる。神崎に、だ。行くか」
ハルトはリアに見せた。
「行きますか」とリアは聞いた。
「行きます」
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面会室は小さかった。
アクリル板の向こうに、西田ケイが座っていた。昨日より少し顔色が良かった。
ハルトが向かいに座った。
「来てくれたんですね」と西田は言った。
「はい」
「昨日、申請の確認をするって言ってましたよね」
「確認しました」
「どうでしたか」
「拒絶が適切でなかった可能性があります。田所さんに再審査請求を勧めました。田所さんは請求することにしました」
西田は少し間を置いた。
「本当ですか」
「はい」
「俺が暴れたのに、確認してくれたんですか」
「確認すると言ったので」
西田は手元を見た。
「……なんで」
「気になったからです」
「それだけですか」
「はい」
西田は顔を上げた。
「魔法も使えないのに、特許庁で働いてるのは、なんでですか」
「面白いので」
「面白い」西田は繰り返した。「特許が、ですか」
「術式を読むことが面白いです。誰かが作ったものを、紙の上で追うことが」
「俺たちが作ったものも、読めますか」
「読めます。読んでいます」
西田はしばらく黙った。
「カガリさんは、制度が奪ったと言ってました」西田は言った。「俺も、そう思ってた。でも」
「でも」
「奪われたままじゃなかったかもしれない、ってことですよね」
「そうかもしれません」
西田は視線を落とした。
「遅かったですね」
「遅くはないと思います。田所さんの術式は、まだあります。記録として」
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面会室を出ると、廊下にソウが立っていた。
「どうだった」
「話しました」
「西田、何か言ってたか」
「遅かったと言っていました」
「そうだな」ソウは廊下を歩き始めた。「三年、長いからな」
「ただ」
「ただ?」
「術式はまだあります。記録として残っています」
ソウは少し間を置いた。
「お前が覚えてるから、か」
「覚えていなくても、記録はあります。ただ、見ようとしなければ、見えない」
ソウは歩きながら、少し笑った。
「まあ、俺に言わせれば」ソウは言った。「お前みたいな奴が特許庁にいてよかったな、今回は」
「そうですか」
「珍しく素直に言ってやってるんだぞ」
「ありがとうございます」
「棒読みだな」
「そうですか」
ソウは笑った。廊下を歩いた。
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四階に戻ると、リアが書類を整理していた。
「どうでしたか」とリアは聞いた。
「話しました。西田さんは、遅かったと言っていました」
「そうですか」
「ただ、田所さんの術式はまだあると伝えました」
リアは書類から目を上げた。
「神崎さん」
「はい」
「今回の三日間、お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
リアは書類に視線を戻した。
「次の案件に入ります」
「はい」
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ハルトはデスクに戻った。
マグカップを書類から十センチ離れた位置に直した。コーヒーを一口飲んだ。
三日間で起きたことを頭の中で整理した。
五人の侵入。廊下の攻防。西田との対話。田所ナオの再審査請求。
コーヒーを一口飲んだ。窓の外は夕方になっていた。
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第二十一話 了




