「第一号」
冬は、記録の積み重ねで過ぎた。
治験は、淡々と進んだ。
片岡が、初めて一分を超えた日。装置の三度目の改良。安定率の数字が、少しずつ育っていった。
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ハルトは、その全部を、審査の外から見ていた。
装置の登録審査から、ハルトは外れていた。
当事者だからだ。基準値も、約束も、自分だった。
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審査は、別の審査官が担当し、決裁はリアが取った。
ハルトにできるのは、待つことだけだった。
待つのは、得意だった。
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冬の終わりに、通知が下りた。
「魔力変換装置(実用型)。登録を認める」
台帳に、装置が載った。
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同じ週に、サクから、正式な書類が届いた。
使用者登録の、指定書だった。
「第一号使用者として、神崎ハルトを指定する」
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約束が、様式の形をして、机の上にあった。
私信ではなかった。
公文書だった。だから、強かった。
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使用者登録には、本人の申請が要る。
昼休み、ハルトは、ロビーに降りた。
発券機で、番号札を取った。
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自分の職場の、番号札だった。
初めて、取った。
二十一番だった。
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椅子に座って、待った。
窓口の中から見ていた景色を、外から見た。
列は、静かに流れていた。
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「二十一番の方、どうぞ」
三番窓口だった。
三島の列だった。
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ハルトが立つと、三島の手が、一瞬、止まった。
「……主任?」
「申請に来ました」ハルトは言った。「使用者登録です」
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三島は、二秒で、事務の顔に戻った。
「様式は、お持ちですか」
「持っています」
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ハルトは、記入済みの様式を出した。
氏名。神崎ハルト。
区分欄。「非適合」。
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三島は、チェックリストを、上から確認した。
記載。添付。指定書の原本。
受理印が、区分欄の上を、素通りした。
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「受理しました」三島は言った。「審査結果は、後日、通知されます」
「はい」ハルトは言った。「お願いします」
一礼して、列を離れた。
窓口の外側は、少しだけ、緊張する場所だった。
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三日後、登録が下りた。
使用者登録、第一号。
そして、最初の正式使用の記録を取る日が、決まった。
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当日、MPBの演習場に、五人がいた。
サク。リア。三島。記録係。
そして、ハルトだった。
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装置は、腕に着ける形をしていた。
治験を経て、最初の実験のころより、ずっと小さくなっていた。
サクが、ハルトの腕に、装着した。
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「調子は」サクは言った。
「普通です」ハルトは言った。
「そう」サクは言った。「普通が、一番いい」
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記録係が、測定の開始を告げた。
センサーが、脈拍を拾った。
ハルトは、画面を見なかった。
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構造は、頭の中にあった。
風系基本術式第三号。
発動点。経路。収束点。全体の形。
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六百件の術式を、読んできた。
三万を超える申請を、審査してきた。
この一件の構造ほど、深く知っている術式は、なかった。
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ハルトは、発動した。
風が、まっすぐに、吹いた。
演習場の空気が、静かに、流れを変えた。
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歓声は、なかった。
誰も、動かなかった。
記録係の声だけが、時間を刻んだ。
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「一分、経過」
風は、揺れなかった。
「二分、経過」
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基準の線を、越えた。
ハルトは、そこから、ゆっくりと収束に入った。
崩すのではなく、閉じる。
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「二分十四秒。収束を確認」
風が、止んだ。
演習場が、元の静けさに戻った。
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サクが、記録の画面を見ていた。
「安定率、九十八パーセント」サクは言った。「基準、クリア」
声は、事務的だった。
目だけが、そうではなかった。
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リアが、一歩、前に出た。
「これで、使用者登録第一号の、使用記録が成立しました」リアは言った。
「台帳に、載ります」
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三島が、小さく言った。
「……歴史的な感じ、しませんでしたね」
「はい」ハルトは言った。「普通でした」
「知ってます」三島は言った。「最高の評価なんですよね、それ」
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記録係が、様式を綴じた。
台帳に載る一行を、ハルトは、頭の中で読んだ。
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「使用者登録第一号。神崎ハルト。風系基本術式第三号。持続二分十四秒。安定率九十八パーセント」
区分欄には、「非適合」とある。
その記載は、この一行の中で、何の役割も持っていなかった。
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あなたは、適合者ですか。
三十年、人を分けてきた問いが、この一行の前では、ただの空欄と同じだった。
意味を失った問いは、静かだった。
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測定のあと、ハルトは、自分の脈拍の記録を見た。
発動の直前の数字を、確認した。
跳ねて、いなかった。
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初めて発動した日は、跳ね上がっていた。
あの日、魔法は、特別だった。
今日、魔法は、普通だった。
自分の脈拍が、その証明だった。
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夕方、演習場の片付けを終えて、サクと二人になった。
「約束、果たしたよ」サクは言った。
「はい」ハルトは言った。「果たされました」
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「どうだった? 魔法」
ハルトは、少し考えた。
「……風でした」ハルトは言った。
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サクは、吹き出した。
「それだけ?」
「はい」ハルトは言った。「いい風でした」
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「十四秒、おまけしたでしょ」サクは言った。
「超えろと、言われたので」ハルトは言った。
「言った」サクは言った。「言いました」
サクは、笑ったまま、少しだけ、泣いた。
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家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。八時を過ぎていた。
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ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「魔力変換装置、実用登録。台帳に載った」
「番号札を取って、三島さんの列に並んだ。受理印は、区分欄を素通りした」
「第一号使用者として、発動した。風系基本術式第三号。二分十四秒」
「脈拍は、跳ねていなかった。魔法が、普通になっていた」
「約束は、果たされた。私信ではなく、台帳の一行として」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
四行目を、長く、見ていた。
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今日のことを頭の中に入れた。
二十一番の番号札。三島さんの受理印。
腕に着いた、小さくなった装置。
まっすぐに吹いた風。「二分十四秒。収束を確認」という声。
サクさんの、笑ったままの涙。
跳ねなかった、自分の脈拍。
全部、残った。
魔法を使えない男、という記録がある。
その横に、使った、という記録が並んだ。
どちらも、本当のことだった。
そして、どちらも、もう、誰かを分けるためには使われない。
窓の外に、冬の終わりの夜があった。
風が、少しだけ、暖かかった。
寝た。
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第百七十七話 了




