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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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178/199

「椅子」

三月に入って、倉田主任から、連絡が来た。


「昼飯でも、どうですか」


庁舎の外の、蕎麦屋だった。


---


倉田主任は、先に来ていた。


注文を済ませてから、本題に入った。


「四月に、うちに新しい部ができます」


---


「術式監理部」倉田主任は言った。


「装置が、市場に出た。使用者は、これから、桁で増えます」


「増えれば、無登録の使用も、悪用も、増える」


---


「取締りの部門、ですか」ハルトは言った。


「取締りと、照合です」倉田主任は言った。「現場で使われた術式を、登録記録と突き合わせる。どの術式か。登録はあるか。誰の系統か」


「記録が、読めないと務まらない部です」


---


倉田主任は、蕎麦を一口食べてから、言った。


「初代部長に、あなたを推す声があります」


「長官の声です」


---


ハルトは、箸を、置いた。


「魔法庁の、部長職ですか」


「そうです」


---


「歴代、非適合者が役職に就いた例は」


「ありません」倉田主任は言った。「一度も。規則にはないが、慣例として、一度も」


---


ハルトは、少しの間、黙った。


「私が装置で使えるようになったから、ですか」ハルトは言った。


「逆です」倉田主任は言った。「この話は、登録が下りる前の、冬から動いていました」


---


「それに、言っておきますが」倉田主任は言った。


「初の非適合者だから選ぶ、という話なら、俺は降りています。そういう飾りに、人を使うべきじゃない」


「あなたを推すのは、術式の記録をあなたより読める人間が、この国にいないからです」


「非適合は、関係ない。それだけです」


---


ハルトは、倉田主任を見た。


区分を理由に、選ばれない。


区分を理由に、選ばれることもない。


それが、あの条文の、本当の形だった。


---


「返事は、急ぎません」倉田主任は言った。「ただ、四月の人事です。一週間で」


「はい」ハルトは言った。「考えます」


---


午後、窓口に立った。


申請が、四件。相談が、二件。


手は、いつも通りに動いた。


---


でも、頭の中で、一つの問いが回っていた。


窓口と、台帳。


ここが、自分の場所ではなかったのか。


---


夕方、リアの部屋に行った。


打診のことを、話した。


リアは、最後まで、口を挟まずに聞いた。


---


「それで、迷っていると」リアは言った。


「はい」ハルトは言った。「私の仕事は、ここの台帳だと、思ってきたので」


---


リアは、立ち上がって、窓の方へ歩いた。


書類棚の、台帳の背表紙が並ぶ一角の前で、止まった。


振り向かずに、言った。


---


「行きなさい」


「……白銀部長」


「台帳は、もう、あなた一人のものではありません」リアは言った。


---


「三島がいます。田中がいます。鶴田も、岸本もいます」


「あなたが作ったフローの上で、あなたがいなくても、記録は続きます」


「それが、あなたの仕事の、完成形でしょう」


---


リアは、そこで、少しだけ、声を柔らかくした。


「それに、魔法庁には、まだ、こちらの記録の文化がありません」


「持って行きなさい。MPBからの、輸出です」


---


「はい」ハルトは言った。


「返事は、それからですか」リアは言った。


「もう一人、聞きたい人がいます」


「そうでしょうね」リアは言った。


振り向かないまま、リアは、少しだけ笑ったようだった。


---


夜、研究棟に寄った。


サクは、装置の量産仕様の、確認作業をしていた。


打診のことを、話した。


---


サクは、手を止めて、聞いていた。


聞き終えて、最初に言ったのは、質問だった。


「迷ってる理由は、窓口?」


---


「はい」ハルトは言った。「窓口と台帳が、私の場所だと思ってきたので」


「そっか」サクは言った。


それから、机の上の、装置の試作機を、手に取った。


---


「これね、これから、悪用されるよ」サクは言った。


静かな声だった。


「私が作ったものが、いつか、悪いことに使われる。装置が増えるって、そういうこと」


---


「そのとき、取り締まる人が、記録を読めない人だったら、どうなると思う?」


「……誤認が、起きます」ハルトは言った。「使った術式の特定を、間違えます」


「そう。それで、一番先に疑われるのは、たぶん、非適合者と、装置の使用者」サクは言った。「新参の使い手から、疑われる」


---


「線を溶かした側には、溶かした後の、責任がある」サクは言った。


「だから、行ってほしい。作った側からの、お願い」


---


サクは、試作機を置いて、ハルトを見た。


「それにね」サクは言った。「単純な話もある」


「はい」


「歴代、魔法使いしか座ったことのない椅子なんでしょ」


「はい」


---


「線の向こう側の椅子に、座ってきて」サクは言った。


「あなたが座ったら、次の人から、それは『誰でも座れる椅子』になるから」


---


ハルトは、少しの間、黙った。


椅子は、先例だった。


座ることも、記録だった。


---


「わかりました」ハルトは言った。「受けます」


「うん」サクは言った。「お弁当、たまには作ってあげる」


「魔法庁は、二駅遠くなります」


「知ってる。乗り換えも増える」サクは言った。「調べた」


ハルトは、サクを見た。


「先に、調べました?」


「先に、調べました」サクは言った。


---


三日後、魔法庁で、長官と会った。


長官は、余計な前置きをしなかった。


「倉田から、聞いていると思う」


---


「はい」


「一つだけ、正直に言っておく」長官は言った。「内部に、反対の声がある」


「『非適合者が役職に就いた先例がない』と。そう言う者たちだ」


---


ハルトは、頷いた。


その言葉は、聞き慣れていた。


役員会でも、小委員会でも、ずっと隣にあった言葉だった。


---


「先例なら、作ればいいので」ハルトは言った。


長官は、一瞬、黙った。


それから、声を出して笑った。


---


「倉田の言った通りの男だ」長官は言った。「四月一日付。術式監理部長。受けるな?」


「受けます」ハルトは言った。


「その言葉、議事録に残すぞ」


「はい」ハルトは言った。「残してください。そのための言葉です」


---


家に帰った。


夕食を作った。


時計を見た。八時を過ぎていた。


---


ハルトは、ノートを開いた。


新しいページに、日付を書いた。


その下に書いた。


---


「倉田主任から打診。魔法庁の新設、術式監理部の部長職」


「『初の非適合者だから選ぶんじゃない。読めるのがあなただけだからだ』と」


「白銀部長は、振り向かずに『行きなさい。台帳は、もうあなた一人のものではありません』と」


「サクさんは『線の向こう側の椅子に、座ってきて』と。乗り換えは、先に調べてあった」


「長官に『先例なら、作ればいいので』と答えた。四月一日付。受けた」


---


五行、書いた。


ペンを置いた。


三行目と、四行目を、順に読んだ。


---


今日のことを頭の中に入れた。


蕎麦屋の、倉田主任の「飾りに、人を使うべきじゃない」という言葉。台帳の背表紙の前の、白銀部長の背中。試作機を持ったサクさんの「溶かした側の責任」という言葉。長官の笑い声。議事録に残る、あの一言。


全部、残った。


窓口を、離れる。


でも、離れる先も、記録の仕事だった。


台帳が変わるだけで、書くことは、変わらない。


椅子に座ることも、一行の記録になる。


窓の外に、三月の夜があった。


風に、春が少し、混ざっていた。


寝た。


---


第百七十八話 了

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