「椅子」
三月に入って、倉田主任から、連絡が来た。
「昼飯でも、どうですか」
庁舎の外の、蕎麦屋だった。
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倉田主任は、先に来ていた。
注文を済ませてから、本題に入った。
「四月に、うちに新しい部ができます」
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「術式監理部」倉田主任は言った。
「装置が、市場に出た。使用者は、これから、桁で増えます」
「増えれば、無登録の使用も、悪用も、増える」
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「取締りの部門、ですか」ハルトは言った。
「取締りと、照合です」倉田主任は言った。「現場で使われた術式を、登録記録と突き合わせる。どの術式か。登録はあるか。誰の系統か」
「記録が、読めないと務まらない部です」
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倉田主任は、蕎麦を一口食べてから、言った。
「初代部長に、あなたを推す声があります」
「長官の声です」
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ハルトは、箸を、置いた。
「魔法庁の、部長職ですか」
「そうです」
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「歴代、非適合者が役職に就いた例は」
「ありません」倉田主任は言った。「一度も。規則にはないが、慣例として、一度も」
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ハルトは、少しの間、黙った。
「私が装置で使えるようになったから、ですか」ハルトは言った。
「逆です」倉田主任は言った。「この話は、登録が下りる前の、冬から動いていました」
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「それに、言っておきますが」倉田主任は言った。
「初の非適合者だから選ぶ、という話なら、俺は降りています。そういう飾りに、人を使うべきじゃない」
「あなたを推すのは、術式の記録をあなたより読める人間が、この国にいないからです」
「非適合は、関係ない。それだけです」
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ハルトは、倉田主任を見た。
区分を理由に、選ばれない。
区分を理由に、選ばれることもない。
それが、あの条文の、本当の形だった。
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「返事は、急ぎません」倉田主任は言った。「ただ、四月の人事です。一週間で」
「はい」ハルトは言った。「考えます」
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午後、窓口に立った。
申請が、四件。相談が、二件。
手は、いつも通りに動いた。
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でも、頭の中で、一つの問いが回っていた。
窓口と、台帳。
ここが、自分の場所ではなかったのか。
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夕方、リアの部屋に行った。
打診のことを、話した。
リアは、最後まで、口を挟まずに聞いた。
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「それで、迷っていると」リアは言った。
「はい」ハルトは言った。「私の仕事は、ここの台帳だと、思ってきたので」
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リアは、立ち上がって、窓の方へ歩いた。
書類棚の、台帳の背表紙が並ぶ一角の前で、止まった。
振り向かずに、言った。
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「行きなさい」
「……白銀部長」
「台帳は、もう、あなた一人のものではありません」リアは言った。
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「三島がいます。田中がいます。鶴田も、岸本もいます」
「あなたが作ったフローの上で、あなたがいなくても、記録は続きます」
「それが、あなたの仕事の、完成形でしょう」
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リアは、そこで、少しだけ、声を柔らかくした。
「それに、魔法庁には、まだ、こちらの記録の文化がありません」
「持って行きなさい。MPBからの、輸出です」
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「はい」ハルトは言った。
「返事は、それからですか」リアは言った。
「もう一人、聞きたい人がいます」
「そうでしょうね」リアは言った。
振り向かないまま、リアは、少しだけ笑ったようだった。
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夜、研究棟に寄った。
サクは、装置の量産仕様の、確認作業をしていた。
打診のことを、話した。
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サクは、手を止めて、聞いていた。
聞き終えて、最初に言ったのは、質問だった。
「迷ってる理由は、窓口?」
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「はい」ハルトは言った。「窓口と台帳が、私の場所だと思ってきたので」
「そっか」サクは言った。
それから、机の上の、装置の試作機を、手に取った。
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「これね、これから、悪用されるよ」サクは言った。
静かな声だった。
「私が作ったものが、いつか、悪いことに使われる。装置が増えるって、そういうこと」
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「そのとき、取り締まる人が、記録を読めない人だったら、どうなると思う?」
「……誤認が、起きます」ハルトは言った。「使った術式の特定を、間違えます」
「そう。それで、一番先に疑われるのは、たぶん、非適合者と、装置の使用者」サクは言った。「新参の使い手から、疑われる」
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「線を溶かした側には、溶かした後の、責任がある」サクは言った。
「だから、行ってほしい。作った側からの、お願い」
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サクは、試作機を置いて、ハルトを見た。
「それにね」サクは言った。「単純な話もある」
「はい」
「歴代、魔法使いしか座ったことのない椅子なんでしょ」
「はい」
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「線の向こう側の椅子に、座ってきて」サクは言った。
「あなたが座ったら、次の人から、それは『誰でも座れる椅子』になるから」
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ハルトは、少しの間、黙った。
椅子は、先例だった。
座ることも、記録だった。
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「わかりました」ハルトは言った。「受けます」
「うん」サクは言った。「お弁当、たまには作ってあげる」
「魔法庁は、二駅遠くなります」
「知ってる。乗り換えも増える」サクは言った。「調べた」
ハルトは、サクを見た。
「先に、調べました?」
「先に、調べました」サクは言った。
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三日後、魔法庁で、長官と会った。
長官は、余計な前置きをしなかった。
「倉田から、聞いていると思う」
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「はい」
「一つだけ、正直に言っておく」長官は言った。「内部に、反対の声がある」
「『非適合者が役職に就いた先例がない』と。そう言う者たちだ」
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ハルトは、頷いた。
その言葉は、聞き慣れていた。
役員会でも、小委員会でも、ずっと隣にあった言葉だった。
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「先例なら、作ればいいので」ハルトは言った。
長官は、一瞬、黙った。
それから、声を出して笑った。
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「倉田の言った通りの男だ」長官は言った。「四月一日付。術式監理部長。受けるな?」
「受けます」ハルトは言った。
「その言葉、議事録に残すぞ」
「はい」ハルトは言った。「残してください。そのための言葉です」
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家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。八時を過ぎていた。
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ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「倉田主任から打診。魔法庁の新設、術式監理部の部長職」
「『初の非適合者だから選ぶんじゃない。読めるのがあなただけだからだ』と」
「白銀部長は、振り向かずに『行きなさい。台帳は、もうあなた一人のものではありません』と」
「サクさんは『線の向こう側の椅子に、座ってきて』と。乗り換えは、先に調べてあった」
「長官に『先例なら、作ればいいので』と答えた。四月一日付。受けた」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
三行目と、四行目を、順に読んだ。
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今日のことを頭の中に入れた。
蕎麦屋の、倉田主任の「飾りに、人を使うべきじゃない」という言葉。台帳の背表紙の前の、白銀部長の背中。試作機を持ったサクさんの「溶かした側の責任」という言葉。長官の笑い声。議事録に残る、あの一言。
全部、残った。
窓口を、離れる。
でも、離れる先も、記録の仕事だった。
台帳が変わるだけで、書くことは、変わらない。
椅子に座ることも、一行の記録になる。
窓の外に、三月の夜があった。
風に、春が少し、混ざっていた。
寝た。
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第百七十八話 了




