「私の列」
朝、神崎主任に呼ばれた。
窓口の、三番の列の前だった。
「今日から、この列は、三島さんの担当です」主任は言った。
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「一人で、ですか」
「一人で、です」主任は言った。「困ったら、隣にいます」
それだけ言って、主任は、自分の列に立った。
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三島は、三番窓口の椅子に、座った。
受理印。チェックリスト。新様式の束。
深呼吸を、一つした。
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ピアノの発表会の前と、同じ呼吸だった。
曲の全体を、先に思い浮かべる。
窓口の一日にも、たぶん、楽譜がある。
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「一番の方、どうぞ」
最初の一件は、登録の更新だった。
五十代の、適合者の男性。書類は、揃っていた。
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「受理しました」
普通に、終わった。
二件目は、装置関連の、新規申請だった。
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区分欄に、「非適合」と書いてあった。
三島は、チェックリストを、上から確認した。
記載。添付。手数料。
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確認しながら、ふと、思った。
研修の初期に読んだ、古い資料には、このリストに、もう一つ項目があった。
二番目。「適合性の確認」。
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今のリストには、ない。
自分は、あの項目を、一度も使わないまま、審査する側になった。
指が、覚える前に、消えた項目だった。
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「受理しました」
男性は、頷いて、帰っていった。
三島の受理印は、区分欄の上を、素通りした。
見るのは、記載が正しいかどうか、だけだった。
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昼前に、二十代後半の男性が来た。
「写しの交付を、お願いしたいんです」男性は言った。「自分の、測定記録の」
申請書の氏名欄に、片岡、とあった。
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三島は、記録を照会した。
素地の応答測定。取り扱い注意の解除済み部分。
交付には、担当課の確認が要る記録だった。
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「少々、お待ちください」
隣の列の主任に、確認を回した。
主任は、書類を見て、すぐに頷いた。
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「交付できます」主任は言った。「それと、これを一緒に」
主任は、引き出しから、一枚の文書を出した。
「説明の文書です。お渡しする約束でした」
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三島は、写しと文書を、封筒に入れた。
「お待たせしました」
片岡という男性は、封筒を、両手で受け取った。
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「これ、親に見せるんです」男性は言った。
「はい」
「波形だけ見せても、わからないだろうから、説明も欲しくて」
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男性は、封筒を、少しの間、見ていた。
「治験も、続いてるんです。装置の」男性は言った。「まだ、使えるようになるかは、わからないんですけど」
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三島は、手を止めなかった。
「使えるかどうかは、この申請に、関係ありません」三島は言った。
「交付の要件は、記録の本人であることだけです」
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男性は、少し、黙った。
それから、笑った。
「そういう時代なんですね」男性は言った。
「そういう窓口です」三島は言った。
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男性は、封筒を鞄にしまって、一礼して、帰っていった。
軽い足取りだった。
三島は、次の番号を呼んだ。
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午後、隣の四番窓口に、田中が立った。
田中も、今日が、初めての受理担当だった。
非適合の、同期だった。
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田中の一件目は、時間がかかった。
添付の確認で、二回、手が止まった。
三島は、口を出さなかった。
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研修のとき、主任が、そうだったからだ。
黙って、隣にいる。
聞かれたら、答える。
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「受理しました」
田中の声が、聞こえた。
一件目が、終わっていた。
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田中が、こっちを見た。
三島は、頷いた。
それだけで、足りた。
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終業前、主任が、三番窓口に来た。
「今日の担当分を、確認しました」主任は言った。
三島は、少し、背筋を伸ばした。
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「どう、でしたか」
「普通でした」主任は言った。
三島は、一瞬、黙った。
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それから、思い出した。
施行日の、あの会話。
普通にするために、やってきた、という言葉。
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「……それ、最高の評価ってことで、いいんですか」三島は言った。
「はい」主任は言った。「普通は、強いので」
主任は、自分の列に、戻っていった。
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帰りの電車で、三島は、窓の外を見ていた。
研修の最初の日のことを、考えた。
術式の輪郭さえ、出せなかった日のこと。
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才能がないんだと、思っていた。
でも、足りなかったのは、才能ではなかった。
構造と、記録だった。
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楽譜と、同じだった。
読めない曲は、弾けない。
読めれば、時間はかかっても、弾ける。
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今日、自分の列に来た人たちのことを、考えた。
適合者も、非適合者も、来た。
私の受理印は、その違いの上を、素通りした。
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素通りできる窓口を、作った人たちがいる。
私は、その窓口に、座っただけだ。
でも、座り続けることにも、意味がある気がした。
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窓口が普通であり続ける限り、普通が、続いていくから。
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家に帰って、三島は、手帳を開いた。
研修で習ったことの、一つだった。
記録は、残すものだから。
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三行、書いた。
「初めて、一人で列を持った。受理、十一件。差し戻し、二件」
「『使えるかどうかは、この申請に関係ありません』と、考える前に言えた」
「主任に『普通でした』と言われた。最高の評価として、受け取っておく」
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手帳を閉じて、ピアノの楽譜を、棚から出した。
丸で囲んだフレーズが、そのままになっていた。
久しぶりに、少しだけ、弾いた。
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明日も、窓口に立つ。
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第百七十六話 了




