「受理」
その男のことは、報道で、断片的に知っていた。
元・魔法庁主任の、起訴。全面的な供述。国際捜査への協力。
保釈。そして、公判は、続いている。
---
賠償のために、私財のほとんどを手放したことも、報道に出ていた。
Sクラスの術式使用は、保釈の条件で、制限されていた。
風系Sクラスが、今は、紙の上の記録でしかなかった。
---
会ってはいなかった。
出頭の日、警察署の玄関で別れてから、一度も。
電話も、なかった。
---
その日の午後、窓口で、ハルトは次の番号を呼んだ。
「二十三番の方、どうぞ」
「おう」
---
顔を上げると、ソウが立っていた。
少し、痩せていた。
番号札を、指に挟んでいた。
---
「番号札を取れと、書いてあったからな」ソウは言った。
「はい」ハルトは言った。「ご用件を、伺います」
ソウは、書類の束を、窓口台に置いた。
---
「装置取扱事業者の、登録申請だ」ソウは言った。
「例の附帯事項で、義務になったろう」
「なりました」ハルトは言った。「事業の内容を、伺います」
---
「非営利の団体を、作った」ソウは言った。「装置を使った術式の講習と、装置の貸出をやる」
「対象は」
「誰でもだ」ソウは言った。「金のない奴。学校に行けなかった奴。制度の外にいた奴。線の外に、置かれてきた奴ら全部だ」
---
ハルトは、趣意書を、読んだ。
一行目に、こう書いてあった。
「魔法を、誰にでも届くものにする」
---
団体の名称は、「開架」といった。
由来の欄に、短い説明があった。
「図書館の開架に倣う。鍵のかかった書庫ではなく、誰でも手に取れる棚に、魔法を置く」
---
ハルトは、書類を、順に確認していった。
定款。役員名簿。事業計画。収支の見込み。
役員名簿のところで、手が、止まった。
---
知っている名前が、いくつかあった。
捜査の報道で、見た名前だった。
摘発を免れた末端。自分から、組織を抜けた者たち。
---
「この名簿は」ハルトは言った。
「全員、警察に供述済みだ」ソウは言った。「俺が、出させた」
「俺と同じで、返すものがある連中だ。返し方も、俺と同じにした」
---
ハルトは、名簿を、もう一度、上から読んだ。
区分を守るために集まった男たちが、線を溶かす側の名簿に、並び直していた。
記録の上で、並び直していた。
---
確認を、続けた。
そして、二か所で、止まった。
「不備が、あります」ハルトは言った。
---
「どこだ」
「役員一名の、住所の記載が、定款と名簿で食い違っています」ハルトは言った。「それと、収支見込みの添付資料が、一枚足りません」
ソウは、書類を覗き込んだ。
---
「……細かいな」ソウは言った。
「はい」ハルトは言った。
「まけてくれても、いいんじゃないか。俺とお前の仲で」
「手加減は、しない約束です」ハルトは言った。
---
ソウは、少しの間、ハルトを見た。
それから、声を出して笑った。
「そうだったな」ソウは言った。「言ったな、確かに」
---
「補正は、本日中にできますか」ハルトは言った。「住所は訂正印、資料は再提出で」
「事務所に電話して、送らせる」ソウは言った。「一時間、くれ」
「お待ちしています」ハルトは言った。「番号札は、そのままで結構です」
---
ソウは、ロビーの椅子で、待った。
背筋を伸ばして、座っていた。
魔法庁の廊下を歩いていたころと、同じ姿勢だった。
---
一時間後、補正が揃った。
ハルトは、最初から、全部を確認し直した。
不備は、なくなっていた。
---
「受理しました」ハルトは言った。
受理印を押して、担当欄に、名前を書いた。
神崎ハルト。
---
ソウは、その欄を、見ていた。
「審査する日が、来ましたね」ハルトは言った。
「来たな」ソウは言った。
---
「審査結果は、後日、通知されます」ハルトは言った。「登録されれば、公開の台帳に載ります」
「公開の台帳、か」ソウは言った。
「はい。誰でも、見られます」
---
ソウは、控えを受け取って、少しの間、黙っていた。
「公判の方は、どうなるか、わからん」ソウは言った。
「実刑になるかも、しれん」
---
「はい」ハルトは言った。
「なったら、出てから続ける」ソウは言った。「だから、先に、記録にしておく」
「記録なら、俺が塀の中にいる間も、動き続けるからな」
---
ハルトは、ソウを見た。
それは、自分がずっと、やってきたことだった。
動けない場所から、記録だけを、動かし続けること。
---
「はい」ハルトは言った。「記録は、止まりません」
「お前の受け売りだ」ソウは言った。「文句は言うなよ」
---
ソウは、控えを、内ポケットにしまった。
「じゃあな、神崎」ソウは言った。「次は、登録の通知で会おう」
「はい」
---
ソウは、背を向けて、歩き出した。
ロビーの途中で、一度だけ、立ち止まった。
振り返らずに、言った。
---
「あの三人に襲われた夜の道な」
「はい」
「今度、うちの講習の、最初の教室になる」ソウは言った。「あの近くの、公民館だ」
---
ソウは、そのまま、出ていった。
ハルトは、その背中が見えなくなるまで、見ていた。
それから、次の番号を呼んだ。
---
夜、家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。八時を過ぎていた。
---
サクに電話して、少しだけ話した。
「今日、誰が窓口に来たと思いますか?」
「わかった、当てる」サクは言った。「……神宮寺さん?」
「なぜ、わかるんですか」
「趣意書、読んだもん」サクは言った。「桐島社長が、褒めてた」
---
電話を切って、ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
---
「窓口に、神宮寺さんが来た。番号札を取って、列に並んで」
「装置事業者の登録申請。NPO『開架』。『魔法を、誰にでも届くものにする』」
「不備が二か所。差し戻した。手加減はしない約束なので」
「名簿に、昔の仲間たちの名前。全員、供述済みで、並び直していた」
「受理した。担当欄に、名前を書いた」
---
五行、書いた。
ペンを置いた。
三行目を、もう一度、読んだ。
---
今日のことを頭の中に入れた。
指に挟んだ番号札。
「誰でもだ」という言葉。開架、という名前。
訂正印を待つ、伸びた背筋。
「記録なら、塀の中でも動き続ける」という言葉。
あの夜の道の近くの、公民館。
全部、残った。
赦す、とは、言わなかった。
言う資格が、自分にあるのかも、わからなかった。
代わりに、受理した。
記録は、公平なので。
窓の外に、八月の夜があった。
雷が、遠くで鳴っていた。
寝た。
---
第百七十五話 了




