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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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174/199

「基準」

朝、実家を出るとき、母が弁当を持たせた。


「研究室って、お昼あるの?」


「コンビニならある」


「じゃあ、これ」


断る理由が、なかった。


---


研究の新しい拠点は、大学の共同研究棟に決まっていた。


MPBから、二駅。


装置の治験と、登録の実務を考えれば、これ以上の場所はなかった。


---


昼前に、空港からの車が着いた。


エマだった。


スーツケースが、二つ。


---


「遠かった」エマは言った。「頭の半分が、まだ太平洋の上にいる」


「私も、先週までそうだった」サクは言った。


「日本、暑いね」


「八月だから」


---


エマは、研究室を、ひと回り見た。


機材は、まだ半分も入っていなかった。


でも、窓が大きくて、明るかった。


---


「山の施設より、いいね」エマは言った。「隠れてる感じが、しない」


「うん」サクは言った。「もう、隠れないから」


---


午後、機材の搬入の合間に、エマが、不意に言った。


「サク。決めたことがある」


手に、データケースを持っていた。


---


「私のデータ、公開する」


サクは、手を止めた。


「全部?」


---


「全部」エマは言った。「装置なしの発動記録。三分間の、全部」


「公開したら、注目が、全部エマに来るよ」サクは言った。「世界初の、装置なし発動者として」


「わかってる」


---


エマは、データケースを、机に置いた。


「父はね、全部、断って、一人で持ってた」エマは言った。


「危ないものだと思ったから。誰かに渡したら、奪い合いになるって」


「うん」


---


「でも、一人で持ってたから、狙われた」エマは言った。


「隠すことが、一番危なかった」


「だから、逆にする。記録にして、みんなに持たせる」


---


「みんなが持ってるものは、奪えないから」


サクは、エマの顔を見た。


迷いの残っていない顔だった。


---


「発表の形式、どうする」サクは言った。


「論文と、登録」エマは言った。「MPBの関連記録に、正式に紐づける。あなたの申請の、続きとして」


「……いいの? 私の記録の続きで」


「そこが、一番安全な場所でしょ」エマは言った。「あの審査官、記録を絶対に消さないから」


サクは、笑った。


---


夕方、アルカナテックの桐島社長と、初めての電話会議をした。


量産設計の、打診だった。


「率直に伺います」桐島は言った。「量産の設計、うちにやらせていただけますか」


---


「条件があります」サクは言った。「研究の主導権は、こちらにあります。仕様の最終決定権も」


「構いません」桐島は言った。


「即答ですね」


「市場は、あなたの後ろにしかないので」桐島は言った。「それに、私は言ったはずです。営利目的ですが、革命に携わりたい」


---


「もう一つ」サクは言った。「価格です。装置は、高級品にしません」


「利幅は薄く、数は多く、ですか」


「魔法を、線のこっち側だけのものにしないためです」


電話の向こうで、桐島が少し笑うのが、わかった。


「その言葉、どこかのNPOの設立趣意書で、読みましたよ」桐島は言った。


---


夜、ハルトくんが、研究棟に寄った。


窓口の帰りだった。


机の上に、書類を広げた。


---


「事前相談の、続きです」ハルトくんは言った。「実用化登録には、『実用レベル』の定義が要ります」


「定義」


「様式の、この欄です」ハルトくんは言った。「基準値を、数字で書きます」


---


サクは、その欄を見た。


空欄が、静かに、こちらを見ていた。


「どう書けばいいと思う?」サクは言った。


---


「先例に倣うのが、審査上は最短です」ハルトくんは言った。


「先例って、あるの? 装置の実用化なんて」


「一件だけ、参考記録があります」ハルトくんは言った。


---


サクは、少し考えて、気づいた。


「……あなたの二分?」


「はい」ハルトくんは言った。「非適合者が、基本術式を、二分以上、安定して発動する。これを基準に書けば、審査で通ります」


---


サクは、ペンを持った。


書く前に、一度、ハルトくんを見た。


「基準値、あなたなんだけど」サクは言った。


「はい」


「治験で、みんなが超えるべき壁が、あなたの記録なんだけど」


「私は、超えられますか」ハルトくんは言った。


---


サクは、笑った。


「超えさせる」サクは言った。「それが、実用化だから」


「はい」


「あの日の二分を、誰でも出せる二分にする」サクは言った。「そうしたら――」


---


サクは、ペンを置いて、言った。


「約束の話、していい?」


「はい」


---


「実用レベルになったら、最初に使わせて、って言ったよね。ずっと前」


「言われました」ハルトくんは言った。「覚えています」


「基準も、あなた。約束の相手も、あなた」サクは言った。「全部、あなたになっちゃった」


---


ハルトくんは、少しの間、黙った。


「では、私が最初に超えれば」ハルトくんは言った。「基準として、正しいことになります」


「そういうこと」サクは言った。「第一号使用者の欄、空けておくから」


---


ハルトくんが帰ったあと、サクは、様式の欄を埋めた。


「実用レベルの定義:非適合者が基本術式を二分以上、安定して発動できること」


数字の後ろに、あの日の実験室が、見えた気がした。


---


サクは、自分のノートを、開いた。


新しいページに、日付を書いた。


その下に書いた。


---


「エマが、日本に来た。研究室が、また二人になった」


「エマが決めた。データを全部、公開する。『記録にして、みんなに持たせる』と」


「桐島社長と、量産の話。主導権は渡さない。装置は、高級品にしない」


「実用レベルの定義を、書いた。基準は、あの二分」


「約束の相手も、基準も、同じ人になった」


---


五行、書いた。


ペンを置いた。


五行目を、もう一度、読んだ。


---


窓の外を、見た。


星は、あまり見えなかった。


街の明かりが、多すぎるからだった。


---


山の施設では、毎晩、星を見て、想像していた。


日本は、もう夜だろう、って。


今は、その夜の、真ん中にいた。


---


想像は、もう、いらなかった。


明日の朝が、代わりにあった。


---


明かりを消した。


ベッドに入った。


---


第百七十四話 了

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