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魔法特許庁ーーその魔法、違法ですーー  作者: にけ


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172/199

「普通」

役員会の日が、また来た。


三度目だった。


机の上に、小委員会の答申があった。


---


条文の本体は、変わらずに残っていた。


「区分(適合者・非適合者の別)は、記録として残すが、術式使用の資格判定の要件としない」


一字も、削られていなかった。


---


代わりに、附帯事項が、三つついていた。


移行期間を、半年置くこと。


装置関連の登録を、義務化すること。


そして、申請様式の区分欄は、当面、残すこと。


---


「欄を残すことに、こだわりましたね」リアは言った。


「はい」ハルトは言った。「向こうの、最後の持ち帰りが、それでした」


「いいんですか」


「いいんです」ハルトは言った。「記録は、残すものなので」


---


役員会が、始まった。


答申の説明。質疑。


質疑は、短かった。


---


聞くべきことは、小委員会で、聞き尽くされていた。


世界も、この数か月で、変わっていた。


制裁。研究の加速。増え続ける申請の予告。


---


業界団体出身の役員が、最後に、一言だけ言った。


「欄は、残していただいた」


「はい」ハルトは言った。「記録として、残ります」


役員は、それ以上、何も言わなかった。


---


古株の役員が、口を開いた。


「一つだけ、言っておく」


会議室が、役員を見た。


---


「今日のこれは、先例になる」役員は言った。


「五十年後の誰かが、今日の議事録に、当たる日が来る」


「そのとき恥ずかしくない審議だったかどうかだけが、私の関心だ」


---


議長が、採決を告げた。


「新条文の制定に、異議のある方」


手は、上がらなかった。


---


「可決とする」議長は言った。


それだけだった。


拍手は、なかった。


誰も、立ち上がらなかった。


書記が、議事録に一行、書いた。


---


廊下で、リアと歩いた。


「終わりましたね」リアは言った。


「始まりました」ハルトは言った。「施行の実務が」


---


リアは、少し笑ったように見えた。


それから、前を向いたまま、言った。


「いつか、あなたが言った通りになりましたね」


「区分は残る。でも、機能しなくなればいい、と」


---


「はい」ハルトは言った。


「言葉が、条文になるまで」リアは言った。「何件の記録が要ったか、数えましたか」


「数えていません」ハルトは言った。「でも、全部、残っています」


---


施行日は、二週間後と決まった。


その二週間、ハルトは、実務に沈んだ。


審査フローの改定。様式の改定。各窓口への通達。


---


チェックリストから、一つの項目を消す作業に、一番、時間がかかった。


「適合性の確認」


三十年、フローの二番目にあった項目だった。


---


消すのは、一行だ。


でも、その一行に、研修資料が、システムが、慣習が、ぶら下がっていた。


一つずつ、外した。


---


施行日の朝が、来た。


庁舎は、いつも通りだった。


垂れ幕も、式典も、なかった。


---


ハルトは、窓口に立った。


隣に、三島がいた。


今日から、受理も担当する。


---


午前十時過ぎ、最初の一件が来た。


三十代の男性。装置関連の、術式登録の相談だった。


「先日の報道を見て」男性は言った。「自分でも、登録できるのかと思って」


---


三島が、新しい様式を出した。


男性が、書いた。


区分欄に、男性は「非適合」と書いた。


---


三島は、書類を受け取った。


チェックリストを、上から、確認していった。


二番目にあった項目は、もう、なかった。


---


記載の確認。添付の確認。手数料の案内。


「受理しました」三島は言った。「審査結果は、後日、通知されます」


「それだけですか」男性は言った。


---


「それだけです」三島は言った。


男性は、少し、拍子抜けした顔をした。


「もっと、いろいろ聞かれるのかと」男性は言った。「使えるのか、とか。適合してるのか、とか」


---


「様式に書かれたことが、全部です」三島は言った。


男性は、控えを受け取って、帰っていった。


軽い足取りだった。


---


三島が、ハルトを見た。


「神崎主任」三島は言った。「今の、一件目ですよね。新様式の」


「はい」


「……なんか、普通でしたね」三島は言った。


---


「はい」ハルトは言った。「普通です」


「もっと、こう、歴史的な感じになるのかと思ってました」


「普通にするために、やってきたので」ハルトは言った。


---


三島は、少しの間、受理印を見ていた。


「そうか」三島は言った。「普通が、ゴールだったんですね」


「はい」ハルトは言った。「普通は、強いんです。誰も、普通とは戦えないので」


---


午後も、窓口は、普通だった。


申請が、三件。相談が、二件。


そのうち二件が、非適合者だった。


---


「使えるようになりますか」という問い合わせは、今日は、なかった。


代わりに、「登録したいのですが」が、二件あった。


問いの形が、変わり始めていた。


---


夜、八時過ぎ。


ハルトは、電話をかけた。


三回目の呼び出しで、つながった。


---


「もしもし」サクの声が言った。


「可決の日の話、しましたっけ」ハルトは言った。


「してない。でも、知ってる」サクは言った。「登録状況、毎日見てるから」


---


「今日、施行でした」


「知ってる」サクは言った。「新様式の画像も、公開されてた。区分欄、残ってたね」


「残しました」ハルトは言った。


「うん」サクは言った。「あれで、いいと思う。消したら、忘れるから」


---


少し話して、電話を切った。


つながる電話に、まだ、慣れていなかった。


慣れていないことが、嬉しかった。


---


ハルトは、ノートを開いた。


新しいページに、日付を書いた。


その下に書いた。


---


「新条文、可決。そして今日、施行。『区分は記録として残すが、資格判定の要件としない』」


「向こうは欄を残した。構わない。記録は、残すものなので」


「古株の役員が『今日のこれは、先例になる』と。五十年後の誰かの話をしていた」


「窓口で、三島が新様式の一件目を受理した。何も、起きなかった」


「『使えますか』が減って、『登録したい』が来た。問いの形が、変わり始めた」


---


五行、書いた。


ペンを置いた。


四行目を、もう一度、読んだ。


---


今日のことを頭の中に入れた。


上がらなかった手。書記の一行。

チェックリストから消えた、二番目の項目。

男性の拍子抜けした顔。

三島の「普通が、ゴールだったんですね」という言葉。

「登録したいのですが」という二件。


全部、残った。


歴史が変わる日は、静かな窓口の形をしていた。


事件は、何も起きなかった。


何も起きないために、ここまで来た。


窓の外に、七月の夜があった。


月が、細かった。


寝た。


---


第百七十二話 了

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