「もしもし」
朝、警備責任者が、研究室に来た。
いつもと、顔つきが違った。
「お知らせがあります」警備責任者は言った。
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「通信制限が、解除されました。本日付です」
サクは、手を止めた。
「解除、というのは」
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「外線の制限が、なくなります」警備責任者は言った。「検閲も、ありません」
「……全部、ですか」
「通信については、全部です」警備責任者は言った。「移動については、次の段階と聞いています」
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昼前に、デイヴィッドから、確認の連絡が来た。
「本当です」デイヴィッドは言った。「大統領の決定です。段階的ですが、最初の段階が、今日です」
「どうして、急に」
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デイヴィッドは、少し、間を置いた。
「急では、ないんです」デイヴィッドは言った。「数字が、動いたんです。ずっと、動き続けていました」
「それに――先週、彼の署名入りの記録の束を、私が運びました」
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サクは、受話器を、握り直した。
「ハルトくんが、何か送ったの?」
「中身は、彼から聞いてください」デイヴィッドは言った。「もう、直接聞けるんですから」
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電話を切って、サクは、しばらく、立っていた。
直接、聞ける。
その言葉が、まだ、体に馴染まなかった。
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「解除されたって?」エマが、駆け込んできた。
「うん」
「かけなよ、今すぐ」
「今、日本は昼」サクは言った。「仕事中。窓口に立ってる時間」
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エマは、笑った。
「順番、決めてるんでしょ、もう」
「決めてる」サクは言った。
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最初の電話は、迷わなかった。
いや、正確には、順番を、迷わなかった。
先に、かけるべき相手がいた。
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日本の、実家の番号。
何年も、頭の中にだけ、あった番号。
呼び出し音が、三回、鳴った。
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「はい」
母の声だった。
「……お母さん。サクです」
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少しの、沈黙があった。
「サク?」母は言った。「珍しいね、こんな時間に」
泣くかと思った。責められるかと、思った。
どちらでも、なかった。母は、いつも通りだった。
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「心配、かけたと思って」サクは言った。
「してたよ」母は言った。「でも、偉い人が来て、説明してくれたから。安全な場所にいます、って」
「うん。安全な場所にいる」
「ちゃんと、食べてる?」
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サクは、少し笑った。
涙が出たのは、その質問のときだった。
「食べてる」サクは言った。「野菜も」
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父にも、代わった。
父は、一つだけ、聞いた。
「研究は、お前のものか」
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「うん」サクは言った。「私のもの」
「なら、いい」父は言った。「続けなさい」
それで、終わりだった。父らしかった。
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夜になった。
サクは、端末の前に、座った。
日本の番号を、画面に出した。
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指が、止まった。
何を、話そう。
言いたいことが、多すぎて、順番が組めなかった。
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そのときだった。
画面が、光った。
着信だった。
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国際番号。
知っている並びだった。
何年も、応答できなかった番号。
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サクは、息を、一つ吸った。
受けた。
「もしもし」
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沈黙が、あった。
短い、沈黙だった。
「……つながって、しまいました」ハルトくんは言った。
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サクは、笑った。
笑いながら、少し、泣いた。
「しまいました、って何」サクは言った。
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「いつもの時間に、いつも通りかけたので」ハルトくんは言った。「案内が流れる前提で、かけました」
「毎晩、かけてたの?」
「はい」ハルトくんは言った。「記録なので」
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「何回かけたか、数えてる?」
「ノートに、全部あります」
「あとで数えて、教えて」サクは言った。
「はい」
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それから、少しの間、二人とも、黙った。
気まずい沈黙では、なかった。
回線の向こうの呼吸が、ただ、そこにあった。
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「元気ですか」ハルトくんは言った。
「元気。そっちは」
「元気です」
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「役員会の話、聞かせて――って言おうと思ってたけど」サクは言った。「全部、知ってるんだよね、私」
「私も、波形の報告を、全部読みました」ハルトくんは言った。
「だよね」
「はい」
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「近況が、ないね」サクは言った。
「記録で、済んでいるので」ハルトくんは言った。
サクは、また笑った。
こんなに何もない電話を、何年も、待っていた。
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「じゃあ、次の話をしよう」サクは言った。
「次の話」
「次に、何を書くか」サクは言った。「記録の、続き」
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それからの一時間は、早かった。
装置の改良の話。治験の設計の話。
片岡さんの波形の、次の測定の話。
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途中で、サクは、一つだけ、確認した。
「約束、生きてるからね」
「実用レベルになったら」ハルトくんは言った。「最初に、使わせてください」
「うん」サクは言った。「一番に」
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「それと」サクは言った。「移動の制限も、次の段階で解除されるって」
「はい。デイヴィッドさんから、聞いています」
「帰ったら」サクは言った。「どこに行けばいい?」
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少しの、間があった。
「窓口が、開いています」ハルトくんは言った。
「平日の、九時から五時まで」
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サクは、受話器を持ったまま、しばらく、黙った。
「……申請者として、行くね」サクは言った。
「はい」ハルトくんは言った。「番号札を、お取りください」
サクは、声を出して、笑った。
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電話を切った。
研究室が、静かだった。
でも、昨日までの静けさとは、違った。
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サクは、自分のノートを、開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「通信制限が、解除された。検閲も、なし」
「お母さんに電話した。『ちゃんと食べてる?』で泣いた。お父さんは『なら、いい』と」
「夜、ハルトくんから電話が鳴った。毎晩、かけ続けていたって」
「近況は、話さなかった。全部、記録で知ってた。だから、次の話をした」
「『窓口が、開いています』と。帰る場所の、住所がわかった」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
三行目を、もう一度、読んだ。
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窓の外を、見た。
山の上に、星が出ていた。
日本は、もう夜だろう。
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いつもなら、ここで、想像をする。
ハルトくんは、今ごろ、何をしているだろう、と。
今日は、しなくてよかった。
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さっきまで、その夜と、つながっていた。
声は、想像より、少しだけ、低かった。
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明かりを消した。
ベッドに入った。
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第百七十一話 了




