「数字」
朝、執務室の机に、封筒があった。
IMPO経由。日本から。
補佐官が、先に中身を検めてあった。
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「書類の束です」補佐官は言った。「機密は、含まれていません」
「差出人は」
「神崎ハルト」補佐官は言った。「肩書の記載は、ありません」
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コールは、封筒を開けた。
一番上に、一枚の紙があった。
短い文章と、署名。
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読んだ。
もう一度、読んだ。
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「私は、魔法を使えません。役職は、審査官に過ぎません。あなたの言われた通り、一般人です」
「だから、私にできることは、一つだけです」
「記録を、積むことです」
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コールは、椅子の背に、体を預けた。
あの伝言への、返事だった。
だが、伝言の言葉は、どこにも引用されていなかった。
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記録に残すな、と言った。
あの男は、それを守った。
守った上で、記録で、答えてきた。
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こちらは、部屋を出たら消える形で、問いを送った。
あちらは、部屋を出てから歩き始める形で、答えを送ってきた。
やり方そのものが、答えだった。
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コールは、束をめくった。
発動記録。応答記録。問い合わせの集計。
議事録。古い先例。新しい条文案。提供の様式。論文の公開部分。
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八つの記録が、日付の順に、並んでいた。
読み進めるほど、わかった。
これは、報告書ではなかった。
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歎願書でも、なかった。
「サクを返してほしい」とは、一行も書いていない。
彼女の名前は、論文の著者名として、しか出てこない。
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ただ、事実が並んでいた。
そして、並んだ事実は、一つの方向を指していた。
コールは、その構造に、覚えがあった。
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自分が、演説でやることと、同じだった。
結論を言わない。材料を並べて、聞き手に結論を出させる。
出させた結論は、押し付けた結論より、強い。
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「一般人のやることではないな」コールは言った。
「は?」補佐官が言った。
「独り言だ」
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コールは、机の引き出しから、先日の試算を出した。
制限を段階的に外した場合の、損と得。
命じておいた、あの試算だった。
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左側に、囲いを続ける場合の費用。
警備。検閲の人員。研究の遅れ。科学者たちの士気。
同盟国からの、静かな問い合わせ。世論。
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右側に、囲いを外す場合の危険。
残党。報復。情報の流出。
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数字は、もう、動いていた。
ネットワークは、割れた。口座は、凍った。実行犯は、挙がった。
危険の側の数字が、この一か月で、目に見えて縮んでいた。
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そして、費用の側は、育っていた。
研究は、海の向こうの記録を、必要とし始めた。
素地の測定は、日本でしかできなかった。
囲いが、守るはずの研究の、足を引っ張り始めていた。
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保護という名目は、脅威があってこそ、成立する。
脅威に名前がつき、資産が凍り、犯人が挙がった今。
名目は、薄くなる一方だった。
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コールは、試算を、机に置いた。
答えは、出ていた。
たぶん、試算を命じた日から、出ていた。
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「マクレガー」コールは言った。
「はい」
「佐久間博士の通信制限を、解除しろ」
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補佐官が、顔を上げた。
「段階的に、ですか」
「最初の段階を、今日やる」コールは言った。「直接通信の復旧だ。検閲なしで」
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「移動制限は」
「次の段階だ」コールは言った。「残党の摘発が、あと二つ、片付いてからだ」
「時期は」
「遠くない」コールは言った。
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補佐官は、メモを取った。
それから、少し、間を置いて、言った。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
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「なんだ」
「ずいぶん、早い決断に見えます」補佐官は言った。「あの手紙が、効きましたか」
「情が動いたか、という質問なら」コールは言った。「違う」
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「情ではない。数字だ」
コールは、言った。
言ってから、少しの間、黙った。
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その言い方を、どこかで、聞いた気がした。
思い出せなかった。
まあ、いい。正しい言い方は、誰が言っても、同じ形になる。
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「返事は、どうされますか」補佐官が言った。
「要らない」コールは言った。
「よろしいのですか」
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「制限解除が、返事だ」コールは言った。
「文章より、伝わる」
補佐官は、頷いて、出ていった。
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コールは、一人になった。
もう一度、一枚目の紙を、手に取った。
肩書のない署名を、見た。
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一般人だ、と言ったのは、こちらだった。
あの男は、否定しなかった。
引き受けて、そのまま、武器にした。
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魔法が使えないことを、引き受けて、記録を選んだように。
一般人であることを、引き受けて、署名を選んだ。
引き受けた者は、強い。奪うものが、もう、ないからだ。
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「君は、どうする」
あの問いに、あの男は、答えた。
こうしている、と。とっくに、始めている、と。
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コールは、紙を、束に戻した。
そして、束ごと、執務室の書棚に、立てた。
シュレッダーでは、なかった。
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記録は、消さない。
あの男の流儀に、それくらいは、付き合ってやる。
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窓の外に、朝の街があった。
会計は、締まった。
あとは、決済が、海を渡るだけだった。
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第百七十話 了




