「同じ形」
測定の手順書が、届いた。
公的回路の、取り扱い注意つき。
サクからだった。
---
一枚目に、前提が書いてあった。
「装置本体は、移送不可。今回の検証は、素地の応答確認までとする」
装置は、海を越えられない。
越えられるのは、手順と、記録だけだった。
---
それで、足りるように、手順書は組んであった。
使うのは、発現投与の適合判定に使う、標準の応答測定器。
どこの国にもある、ありふれた機器だった。
---
測定の項目。信号の設定値。
そして、照合用の波形データが、二つ。
魔法使いの標準波形と、自分のものだった。
---
最後の頁に、注意書きが一行あった。
「記録者は、被験者の緊張に留意すること」
ハルトは、その一行を、二度読んだ。
---
自分の記録の、脈拍の欄。
あれを読んだ人の、書いた一行だった。
ハルトは、手順書を、閉じた。
---
測定の場所は、魔法庁になった。
判定用の応答測定器は、あそこが一番、精度が高かった。
リアが正式に協力を要請し、倉田主任が、受けてくれた。
---
「神崎さん」電話で、倉田主任は言った。「面白いことに、なってきましたね」
「はい」
「測定室を、押さえておきます」倉田主任は言った。「私も、立ち会います」
---
測定までの三日間、片岡には、準備をしてもらった。
風系基本術式第三号の、構造の資料。
発動点。収束点。全体の形。
---
手順書に、理由が書いてあった。
「構造を想起した状態で測定すること。素地の応答は、構造の想起で明瞭になる」
三島の方法が、海の向こうの手順書に、入っていた。
---
当日、魔法庁の測定室に、四人が集まった。
片岡。倉田主任。記録係の職員。
そして、ハルトだった。
---
片岡は、測定器の前に座った。
センサーが、腕と胸に、ついた。
画面に、脈拍が出た。
---
速かった。
片岡の顔は、白かった。
ハルトは、隣の椅子に、座った。
---
「片岡さん」ハルトは言った。「一つ、お見せしたいものがあります」
タブレットに、一枚のグラフを出した。
「私が、初めて発動に成功した日の、脈拍です」
---
片岡は、グラフを見た。
発動の直前で、線が、跳ね上がっていた。
「……審査官の人でも、こうなるんですね」片岡は言った。
---
「なりました」ハルトは言った。「緊張も、記録のうちです」
「消さなくて、いいんですか」
「消したら、データではなくなります」ハルトは言った。
片岡は、少し笑った。
画面の数字が、少しだけ、下がった。
---
測定が、始まった。
最初は、信号を送らない測定だった。
「発動を、試みてください」ハルトは言った。「構造を、思い出しながら」
---
片岡は、目を閉じた。
一分、待った。
画面の波形は、動かなかった。
---
「応答なし」記録係が言った。
これが、確認の一つ目だった。
素地は、自分の力では、動かない。
片岡は、判定の通り、非適合だった。
---
「次に、進みます」ハルトは言った。
測定器が、微弱な信号を、片岡の神経系に送る。
手順書の、設定値の通りだった。
---
「構造を、もう一度」ハルトは言った。
片岡は、目を閉じた。
検証の部屋が、静かになった。
---
画面に、波形が、立ち上がった。
ハルトは、その形を、見た。
頭の中の、二つの波形と、重ねた。
---
魔法使いの標準波形。自分の波形。
そして、いま画面にある、片岡の波形。
同じ形だった。
---
「応答、あり」記録係が言った。
倉田主任が、ハルトを見た。
ハルトは、頷いた。
---
素地は、あった。
大人になってから受けた、適合しなかった投与。
それでも、素地は、できていた。
---
ハルトは、画面に、三つの波形を並べた。
「片岡さん。見てください」
片岡が、目を開けた。
---
「右が、あなたの応答です」
「真ん中は」片岡は言った。
「魔法使いのものです」
「左は」
「私のです」
---
片岡は、三つの波形を、順に見た。
長いあいだ、見ていた。
「……同じ形、ですね」片岡は言った。
---
「同じ形です」ハルトは言った。
片岡は、自分の胸のセンサーに、手を当てた。
それから、下を向いた。
肩が、少しだけ、震えていた。
---
「続き、残りましたか」片岡は言った。
「残りました」ハルトは言った。「波形も、数値も、全部」
---
記録係が、手を止めて、言った。
「一つ、確認です。彼の適合判定が、間違っていた可能性は、ありませんか」
「ありません」ハルトは言った。
---
「最初の測定を、見てください。信号なしでは、応答すら出ていません」
「自力では、発動できない。判定の通り、非適合です」
「測定器の信号が、素地を外から動かした。それだけです。私と、同じです」
---
「分類は、変わらないわけですね」倉田主任は言った。
「変わりません」ハルトは言った。「変わるのは、分類の意味の方です」
---
倉田主任は、画面の波形を、見ていた。
「『適合せず』の紙を一枚もらって、帰った人の体に」倉田主任は言った。
「魔法使いと同じ形の応答が、眠ってたわけですか」
「はい」ハルトは言った。「素地は、あります。ないのは、装置だけです」
---
帰り際、片岡が言った。
「俺、装置があれば、使えるんですか」
「可能性があります」ハルトは言った。「確かめるには、装置が要ります」
「装置は、どこに」
「海の向こうです」ハルトは言った。
---
「……遠いな」片岡は言った。
「遠いです」ハルトは言った。「でも、あなたの素地は、今日、記録になりました」
「記録になると、どうなるんですか」
「消えなくなります」ハルトは言った。「装置がいつか来る日まで、消えずに、待てます」
---
片岡は、空を見て、息を吐いた。
「この波形、親に見せたら、わかりますかね」片岡は言った。
「わからないと思います」ハルトは言った。「説明の文書を、つけます」
片岡は、今日はじめて、声を出して笑った。
---
庁舎に戻って、報告をまとめた。
サクへの送付データに、全部を入れた。
波形。数値。時系列。対照測定の結果も。
---
最後に、備考欄を書いた。
「被験者の脈拍は、測定開始時、私の記録とほぼ同じ値を示した」
事実だった。そして、あの一行への、返事だった。
---
書き終えて、ハルトは、一つ、自分に確認した。
今日の記録は、大きい。
大きいからこそ、飛ばしてはいけないことがある。
---
応答は、発動ではない。
波形は、風にはならない。
装置は、まだ、海の向こうにある。
---
そして――。
投与を、受けない人。受けられない人。
その人たちは、この道の先にも、残る。
道が増えることと、全員が歩けることは、違う。
---
それを忘れた制度は、いつか、新しい線を引く。
「投与を受けましたか」という、次の線を。
忘れない側に、いなければいけなかった。
---
家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。八時を過ぎていた。
---
ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
---
「片岡さんの測定。素地の応答があった。三つの波形が、同じ形だった」
「適合しなかった成人投与でも、素地はできる。世界で初めての記録」
「応答は、発動ではない。装置は、海の向こう。ここを飛ばさない」
「受けない人、受けられない人は、残る。忘れた制度は、また線を引く」
「サクさんに、全部送った。備考に、脈拍のことを書いた」
---
五行、書いた。
ペンを置いた。
一行目を、もう一度、読んだ。
---
今日のことを頭の中に入れた。
手順書の「装置本体は、移送不可」という一行。
「緊張に留意すること」という一行。
片岡さんの白い顔。並んだ、三つの同じ形。震えていた肩。
「この波形、親に見せたら、わかりますかね」という言葉。
全部、残った。
一件の記録が、二件になった。
二件は、一件の、二倍ではなかった。
一件は例外で終わる。二件は、道になる。
窓の外に、七月の夜があった。
蝉の声が、まだ残っていた。
寝た。
---
第百六十八話 了




