「半歩」
役員会の、二日目が来た。
朝、会議室の前で、リアと合流した。
「答えは、できていますか」リアは言った。
「はい」ハルトは言った。「昨夜、記録を揃えました」
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会議室に入った。
昨日と、同じ顔が並んでいた。
議長が、再開を告げた。
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「では、昨日の続きから」議長は言った。
「神崎さん。『同情の採決になる』という指摘への、答えを」
ハルトは、立ち上がった。
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「まず、申し上げます」ハルトは言った。
「制度を同情で変えるべきではない。その点には、同意します」
業界団体出身の役員が、少し、眉を動かした。
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「その上で、記録を三つ、置きます」ハルトは言った。
「一つ。事件の後、私に取材依頼が四十二件ありました。すべて断りました。広報の記録にあります」
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「二つ。私が事件について公の場で話したのは、一度だけです」
「『記録を続けます。それだけです』。それが全文です。報道されている通りです」
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「三つ。問い合わせの数字です」
「百三件という数字は、事件より前の、前回の役員会で出したものです」
「同情が始まる前から、数字は、ありました」
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会議室が、静かになった。
「同情は、記録に残せません」ハルトは言った。
「ここに出しているのは、すべて、記録に残るものだけです」
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「採決していただくのは、空気ではありません。この記録です」
ハルトは、座った。
業界団体出身の役員は、すぐには、何も言わなかった。
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そのとき、古株の役員が、手を上げた。
「一つ、報告がある」役員は言った。
「昨日の登録番号を、調べた。台帳の原本に、当たった」
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会議室が、役員を見た。
「記載は、神崎さんの言った通りだった」役員は言った。
「『適合性の記載なし。術式の発動が記録により確認されたため、登録を認める』。一言一句、その通りだ」
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「つまり」議長が言った。
「先例は、ある」古株の役員は言った。「私は先例のない変更には、反対する。それが筋だ」
「だが、先例があるなら、話は別だ。正式な手続きで、検討すべきだ」
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「廃案には、反対する」役員は言った。
「審議もせずに葬るのは、それこそ、先例にない」
業界団体出身の役員が、役員を見た。
何か言いかけて、やめた。
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議長が、まとめた。
「では、動議を採決する」
「定義変更案の廃案に、賛成の方」
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手が、上がった。
数えるまでもなかった。
「反対の方」
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手が、上がった。
こちらの方が、多かった。
「動議は、否決」議長は言った。
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ハルトは、息を、静かに吐いた。
だが、議長は続けた。
「ただし、定義変更案そのものを、この場で採決するのは、時期尚早と考える」
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「そこで、提案する」議長は言った。
「神崎さんの新条文案――『区分は記録として残すが、術式使用の資格判定の要件としない』」
「これを、小委員会に付託し、条文として詰める」
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「小委員会の設置に、異論は」
異論は、出なかった。
業界団体出身の役員も、手を上げなかった。
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「付託を、決定する」議長は言った。
閉会になった。
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廊下で、リアが言った。
「負けませんでした」リアは言った。「今日は、それで十分です」
「はい」ハルトは言った。
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「小委員会は、長くなります」リアは言った。「向こうも、委員を送り込んできます」
「はい」
「でも、机の上に乗りました」リアは言った。「廃案の机ではなく、条文の机に」
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「白銀部長」ハルトは言った。「古株の役員は、なぜ、動いたんでしょうか」
リアは、少し考えた。
「あの人は、区分を守りたいのではなく、筋を守りたいんです」リアは言った。
「先例という筋を出されたら、従う。そういう人です」
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「敵では、なかったんですね」ハルトは言った。
「敵かどうかは、構えを見ないと、わかりません」リアは言った。
ハルトは、頷いた。
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午後、フロアに戻った。
岸本が、待っていた。
「主任、どうでした」
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「廃案は、否決です」ハルトは言った。「条文は、小委員会に付託されました」
「それって、勝ちですか」岸本は言った。
「半歩です」ハルトは言った。「でも、前に出た半歩です」
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窓口に、問い合わせが一件あった。
非適合者だった。
百三十四件になった。
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夕方、庁舎を出る前に、ハルトは端末に向かった。
サクの申請の、記録を開いた。
関連記録の欄に、追記した。
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「本件関連の定義変更案について、役員会にて廃案動議が否決された」
「新条文案は、小委員会に付託。審議は継続する」
「関連記録として整理。継続して記録する」
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担当欄に、自分の名前を書いた。
事実だけを、書いた。
でも、この記録が海の向こうで開かれるとき、伝わるものは、事実だけではなかった。
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審議は、続いている。
記録は、進んでいる。
こちらは、元気にやっている。
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家に帰った。
夕食を作った。
時計を見た。八時を過ぎていた。
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ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「役員会、二日目。記録を三つ置いた。同情は、出さなかった」
「古株の役員が、台帳の原本に当たっていた。『先例があるなら、話は別だ』と」
「廃案動議、否決。新条文案は、小委員会に付託」
「白銀部長が『負けませんでした。今日はそれで十分です』と」
「サクさんの申請に、審議経過を紐づけた。記録は、進んでいる」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
二行目を、もう一度、読んだ。
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筋を守る人は、筋を出せば、動く。
線を守る人と、筋を守る人は、違った。
それが、わかった二日間だった。
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今日のことを頭の中に入れた。
三つの記録。
古株の役員の「一言一句、その通りだ」という言葉。
上がらなかった手。議長の「付託を、決定する」という声。
リアの「条文の机に」という言葉。
百三十四件目。そして、サクの申請に書いた三行。
全部、残った。
廃案の机から、条文の机へ。
半歩だった。
でも、前に出た半歩だった。
窓の外に、六月の夜があった。
風は、なかった。
寝た。
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第百五十九話 了




