「動議」
役員会の日が来た。
朝、いつもより早く、庁舎に着いた。
資料は、頭の中に全部あった。
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会議室の前で、リアと合流した。
「動議が、最初に出ます」リアは言った。
「はい」
「手続きは、私が受けます」リアは言った。「数字と先例は、神崎さんです」
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会議室に入った。
役員が、並んでいた。
古株の役員。業界団体出身の役員。
前回、「検討の余地はある」と言った役員もいた。
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議長が、開会を告げた。
業界団体出身の役員が、すぐに手を上げた。
「動議があります」役員は言った。
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「定義変更案の、廃案を求めます」
会議室が、静かになった。
役員は、分厚い封筒を、机に置いた。
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「業界団体からの、連名の意見書です」役員は言った。
「区分は、秩序を守るものです」
「拙速な変更は、混乱を招く。産業の前提が、崩れます」
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リアが、口を開いた。
「継続審議中の案件です」リアは言った。「審議を尽くす前の廃案には、理由が要ります」
「理由は、意見書にあります」役員は言った。「これだけの団体が、反対している」
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「団体の数は、理由になります」リアは言った。「では、こちらも数を出します」
リアは、ハルトを見た。
ハルトは、立ち上がった。
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「論文の公開から、昨日までに」ハルトは言った。「非適合者からの問い合わせが、百三十一件あります」
「前回は、百三件だったな」古株の役員が言った。
「二十八件、増えました」ハルトは言った。「日付、内容、すべて記録にあります」
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「増えているのは、わかった」古株の役員は言った。
「だが、私が問うているのは、数ではない」
「先例だ」
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役員は、ハルトを見た。
「適合性を確認せずに、術式の使用を認める」役員は言った。「そんな先例が、この庁のどこにある」
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ハルトは、その言葉を、待っていた。
「あります」ハルトは言った。
会議室が、少し、動いた。
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「登録番号を、申し上げます」
ハルトは、番号を、そらで言った。
「制度が始まって、間もないころの登録です」
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「記載を、そのまま読みます」
「『適合性の記載なし。術式の発動が記録により確認されたため、登録を認める』」
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古株の役員が、黙った。
「その記録は、正式なものか」役員は言った。
「原本が、台帳にあります」ハルトは言った。「確認できます」
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「制度の初期には、適合性より、発動の記録が優先されていました」ハルトは言った。
「区分を要件にしたのは、あとからです」
「先例に従うなら、戻るだけです。発動の記録で、確認する形に」
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古株の役員は、長いあいだ、何も言わなかった。
「……調べさせてもらう」役員は言った。
「はい」ハルトは言った。「記録は、逃げません」
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「検討の余地はある」と言った役員が、小さく頷くのが見えた。
流れが、少し、こちらに来ていた。
そのときだった。
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業界団体出身の役員が、口を開いた。
「話を、変えたい」役員は言った。
「神崎さん。あなたは先日、襲撃を受けましたね」
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ハルトは、役員を見た。
「はい」ハルトは言った。「事実です」
「気の毒なことだと思う」役員は言った。「だが、だからこそ言う」
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「世論は今、あなたに同情しています」
「報道は、事件と定義変更を、並べて語っている」
「この空気の中で採決をすれば、それは、同情の採決になる」
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役員は、会議室を見回した。
「制度は、同情で変えるべきではない」
「だから、廃案にすべきです。少なくとも、世論が冷めるまで」
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会議室が、ざわついた。
こちらが使わなかったものを、向こうが使ってきた。
ハルトは、口を開こうとした。
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議長が、手を上げた。
「時間です」議長は言った。
「動議の扱いは、明日、続きから審議する」
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「神崎さん」議長は言った。「今の指摘への答えは、明日、聞かせてもらう」
「はい」ハルトは言った。
閉会になった。
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廊下で、リアが言った。
「向こうは、事件を使ってきましたね」
「はい」ハルトは言った。「こちらが、使わなかったものを」
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「答えは、ありますか」リアは言った。
「あります」ハルトは言った。「事実だけで、足ります」
リアは、頷いた。
「では、明日」リアは言った。
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午後は、窓口に立った。
問い合わせが、二件あった。
二件とも、非適合者だった。
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百三十三件になった。
ハルトは、二件を、記録に加えた。
明日、この数字も、少しだけ新しくなる。
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夕方、岸本と庁舎を出た。
「主任、どうでした」岸本は言った。
「持ち越しです」ハルトは言った。「明日、続きです」
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「二日がかりですか」岸本は言った。
「向こうも、本気だということです」ハルトは言った。
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家に帰った。
夕食を作った。
机の前に、座った。
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同情の採決になる、と役員は言った。
ハルトは、その言葉を、頭の中に置いた。
半分は、正しかった。
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同情で制度を変えては、いけない。
それは、ハルト自身が、リアに言ったことと同じだった。
同情は、数字ではない。
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でも、半分は、違った。
こちらは、同情を、一度も出していない。
出したのは、百三十一件と、一つの先例だけだった。
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取材は、全部断った。
記者の前では、事実を三つ、置いただけだった。
それも、全部、記録に残っている。
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同情を使っていない証拠が、記録にある。
明日は、それを置くだけでいい。
事実だけで、足りる。
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ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「役員会、初日。廃案動議が出た。連名の意見書つき」
「先例を出した。古株の役員は『調べさせてもらう』と。先例は、効いた」
「向こうは、事件を持ち出した。『同情の採決になる』と」
「議長が、答えを明日に回した。持ち越し」
「同情は使っていない。その証拠も、記録にある。明日、置く」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
三行目を、もう一度、読んだ。
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今日のことを頭の中に入れた。
そらで言った登録番号。古株の役員の沈黙。「調べさせてもらう」という言葉。小さく頷いた役員。「同情の採決になる」という声。リアの「では、明日」という言葉。
全部、残った。
向こうは、こちらが使わなかったものを、使ってきた。
使わなかったことは、記録が知っている。
明日は、記録に話させる。
窓の外に、六月の夜があった。
月が、出ていた。
寝た。
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第百五十八話 了




