「構え」
朝、包帯を外した。
手のひらの傷は、ふさがり始めていた。
絆創膏だけにした。
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役員会は、明日だった。
庁舎の前の記者は、減っていた。
ハルトは、正面から入った。
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フロアで、岸本が言った。
「主任、手、もういいんですか」
「ふさがってきました」ハルトは言った。
「明日、ですね」岸本は言った。
「はい」
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朝のうちに、リアに呼ばれた。
机の上に、明日の資料が積んであった。
ハルトが作ったものだった。
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「確認します」リアは言った。「動議は、最初に出ます」
「廃案の、ですね」
「はい」リアは言った。「向こうは、審議に入る前に、終わらせたい」
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ハルトは、頷いた。
資料を、順に指した。
問い合わせの集計。古い登録の先例。新しい条文案。
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「集計は、昨日の時点で百三十一件です」ハルトは言った。
「まだ、増えていますか」
「増えています」ハルトは言った。「事件の後、少し、速くなりました」
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リアは、少しの間、黙った。
それから、言った。
「神崎さん。事件のことを、使いますか」
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ハルトは、リアを見た。
「世論は、こちらに傾いています」リアは言った。「役員の中にも、同情があります」
「襲われた本人が、あの席にいる」リアは言った。「それだけで、空気は動きます」
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ハルトは、少し考えた。
手のひらの傷を、見た。
それから、言った。
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「使いません」
「理由を、聞きます」リアは言った。
「同情は、数字ではないからです」ハルトは言った。
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「同情で通った定義は、同情が冷めたら、揺れます」
「記録で通った定義は、揺れません」
「記録だけで、行きます」
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リアは、ハルトを見ていた。
それから、資料の一番上を、まっすぐに直した。
「わかりました」リアは言った。「そのほうが、強いです」
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「ただし」リアは言った。「事件は、事実としては存在します」
「はい」
「向こうが触れてきたら、事実だけ、返してください」
「はい」ハルトは言った。「それは、得意です」
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昼、研修室の前を通った。
三島が、田中と木村に、術式記録を読ませていた。
三島が、気づいて、出てきた。
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「神崎主任」三島は言った。「明日、なんですよね」
「はい」
「勝てますか」三島は言った。
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ハルトは、少し考えた。
「勝ち負けでは、ありません」ハルトは言った。
「記録が、正しく読まれるかどうかです」
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三島は、頷いた。
「読まれなかったら、どうするんですか」
「読まれるまで、積みます」ハルトは言った。
三島は、少し笑って、研修室に戻った。
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夕方、スマートフォンが震えた。
神宮寺ソウからだった。
「神崎。今、話せるか」
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「はい」ハルトは言った。
「もう一人の反対役員だ」ソウは言った。「わかったぞ」
ハルトは、ペンを持った。
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「魔石関連の団体の、元顧問だ」ソウは言った。
「今も、つながりが残ってる」
「意見書の連名にいた団体の、一つだ」
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ハルトは、書き取った。
「先例主義の方とは、違うわけですね」
「ああ」ソウは言った。「あっちは筋の話だ。こっちは、商売の話だ」
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「使い方は、お前に任せる」ソウは言った。
「追及には、使いません」ハルトは言った。
「だろうな」ソウは言った。
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電話の向こうで、ソウが少し笑った。
「じゃあ、何に使う」
「読みに、使います」ハルトは言った。
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「反対の理由がわかれば、構えがわかります」
「構えがわかれば、次に何が来るか、読めます」
「あとは、当たらないように、半歩引くだけです」
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ソウは、少しの間、黙った。
「襲われたときと、同じだな」ソウは言った。
「はい」ハルトは言った。「同じです」
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「例の三人は、まだ挙がってない」ソウは言った。
「明日までは、まっすぐ帰れ。人通りの多い道でな」
「はい」
「明日、頑張れよ」ソウは言った。
電話が切れた。
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家に帰った。
夕食を作った。
机に、資料の控えを広げた。
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ペンを握ると、手のひらの傷が、少し引きつった。
構わず、最後の確認をした。
頭の中に、明日の役員会を並べた。
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最初に、廃案動議が来る。
根拠は、意見書の論理。秩序。混乱。産業の前提。
それぞれに、返す記録は、決めてあった。
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秩序には、百三十一件の問い合わせ。
線の外に置かれた人の数も、秩序の一部だった。
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先例主義の役員には、先例。
「適合性の記載なし。術式の発動が記録により確認されたため、登録を認める」
古い台帳の、一行。
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商売の話をする役員には、公開の事実。
桐島社長は、テレビで言っていた。
「市場で必要なら、量産の準備がある」
市場は、もう動いている。線を守っても、商売は戻らない。
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追及は、しない。
弱みも、使わない。
置くのは、記録だけだった。
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火系。正面に来る。
風系。右から来る。
あの夜と、同じだった。構えを見れば、読める。
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読めれば、当たらない。
当たらなければ、記録は残る。
残れば、いつか、読まれる。
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ハルトは、資料を閉じた。
明日の審議も、終われば経過が記録になる。
その記録は、台帳に載る。
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台帳は、海の向こうからも、見える。
サクは、登録状況を、見ているはずだった。
明日の結果も、届く。
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急がなくて、いい。
でも、明日は、引かない。
半歩引くのは、当たらないためだけでいい。
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ハルトは、ノートを開いた。
新しいページに、日付を書いた。
その下に書いた。
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「明日、役員会。廃案動議が最初に来る見込み」
「白銀部長に『事件を使いますか』と聞かれた。使わない。記録だけで行く」
「神宮寺さんから、もう一人の反対役員の情報。商売の話らしい。追及には使わない。読みに使う」
「構えがわかれば、次が読める。あの夜と、同じ」
「明日の結果も、記録になって、サクさんに届く」
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五行、書いた。
ペンを置いた。
四行目を、もう一度、読んだ。
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今日のことを頭の中に入れた。
リアの「そのほうが、強いです」という言葉。三島の「勝てますか」という質問。ソウの「明日、頑張れよ」という言葉。手のひらの、ふさがり始めた傷。そして、頭の中に並べた、明日の読み。
全部、残った。
向こうは、終わらせるために来る。
こちらは、続けるために行く。
構えは、もう、できていた。
窓の外に、六月の夜があった。
風が、少しあった。
寝た。
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第百五十七話 了




